第29話 ギャップ萌は正義♪
うぱまろが入浴剤を誤飲した翌日。
獣医にお礼の品を購入しようと、仕事終わりに新宿のデパ地下に立ち寄る。
かわいらしいパッケージのクッキー缶が目に入る。
チョコレートのクッキー缶を手に取るが、甘いものが苦手だったら……と考え、クッキー缶を元の位置に戻す。
ワインコーナーを見るが、お酒を飲まない人なら貰っても困るだけだ。
「お湯を入れるだけ!素材にこだわるお茶漬けセット」なんてプチ贅沢な商品は、自分では買わないからプレゼントされたら嬉しいから、これにしようかな。
だが、獣医は夕食をホールコーン缶で済ますような人間だ。
お湯を沸かすことすら面倒かもしれない。
ふんわりと、香ばしいバターの濃厚な香りが漂う。
最近ブームの高級食パン「ギャップ萌は正義♪」だ。
店の看板に「何も付けなくてもおいしいバター味!手で裂ける柔らかさ!」という宣伝文句。
パンが苦手、という人はあんまりいなさそうだから、これにしよう!
ほかほか焼きたての高級食パンを購入し、持ち帰る。
それにしても、どうして高級食パン店っておもしろい名前のお店が多いんだろう。
午後8時過ぎ。
一度帰宅した後、うぱまろを連れて獣医の動物病院のインターホンを鳴らす。
名前を伝えると、白衣の下にモスグリーンのスクラブを着た獣医がドアを開ける。
「昨日は、突然押し掛けたのに対応してもらって、本当にありがとうございました」
「いえ。元気になりましたか?」
「はい」
鞄のなかからうぱまろが飛び出す。
「うぱぁ、あわあわ、しちゃったよぉ」
「元気そうですが、念のため診させてもらいますね」
診察室に入り、獣医はうぱまろを診察する。
「問題なさそうです。良かった」
「安心しました!うぱまろったら、急に袋を開けちゃったので……これからは気をつけます。お代、本当に大丈夫ですか?」
「いえ、大したことしてませんから」
「お礼と言っては何ですが……パン、お好きですか?」
買ってきた高級食パンの入った紙袋を渡すと、獣医はわなわなと震えている。
「……どうしました?」
獣医は、診療室の引き出しをガラッと空け、雑誌を取り出すと、あるページを見せつける。
「これは……関東では新宿でしか買えない『ギャップ萌は正義♪』!バターの濃厚な香りと、柔らかな甘さのなかに少し塩気の効いた味わいが特徴的なこのパンは、手で綺麗に裂ける程の柔らかさっ!しかも、パンの温かさと袋に着いた水滴から想定すると、焼いてからまだ2時間程度しか経過していないなんて……!」
獣医は、パンを手に持ち、頭上に掲げる。
何だろう、この変わり様は。
「パン、お好きなんですか?」
「……はい。パンは持ち帰れるので、人目を気にせずにゆっくり食べられますから」
我に返った獣医は、いつもの様になる。
「スイーツ!」
うぱまろは獣医の引き出しの中から、別の雑誌を取り出す。
「うぱまろ、勝手に空けちゃだめ!」
うぱまろが一瞬取り出して戻したのは、「デートにも、女子会☆代官山グルメ&スイーツ特集」と書かれた雑誌だった。
「あ……」
獣医は、赤くなった顔を片手で覆っている。
「代官山、お洒落な街ですよね!もしかして、デートですか?」
獣医はうつむいて、聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟く。
「いえ、行ってみたいお店がたくさんあるのですが、お洒落すぎて1人ではいけなくて」
「よかったら、一緒に行きませんか?私も食べ歩き大好きです」
「……2人、ですか……」
「気になります?」
獣医は、顔を赤くしたまま俯いている。
「うぱぁも、ぐるめだよぉ!」
「うぱまろも一緒で、みんなで楽しみましょうよ」
提案すると、獣医はこくりと頷く。
「フルーツパーラーと、マカロンスタンドと、カウンターデザートと、パフェ専門店……巡りましょう」
滅茶苦茶に甘党発言だ。
「すごく甘いもの好きですね。1日は無理なので、何日かに分けてにしましょう!」
獣医は、再びこくりと頷き、日付を提案する。
「では来週土曜日、12時に代官山、いかがですか。ランチを食べてから、スイーツで。ランチは何が食べたいで……」
「うぱぁ、おにくぅ♪」
うぱまろは間髪入れず意見する。
「では、肉系で考えますね。来週土曜日、よろしくお願いします」
「はい、楽しみにしてますね!」
獣医と外出。
タマキさんについて語れたら語りたいな☆
午後11時50分、代官山・約束の日。
駅に到着すると、紺色のスーツ姿に赤いネクタイをした獣医を発見した。
「お待たせしました!今日、お仕事でしたか?」
獣医はいつものごとく、ぼそぼそ話す。
「いえ。……僕、私服が滅茶苦茶ダサいらしいので、男友達……友達なのかなぁ……知り合いに『プライベートは絶対私服で来るな』って釘をさされているんです」
……合コン時のメンバーのことを言っているのだろうか。タマキさんのコラボパーカー時の服装は確かに酷かったが、その時はたまたま寒空に悪天候だっただけだし、その後の同人誌即売会ではそんな強烈な印象なかったけどなぁ。
「お肉のお店、予約しました。行きましょう」
「予約ありがとうございます!楽しみですね」
ものすごくお洒落なフレンチビストロだったらどうしよう……!
身構えたが、その不安は一瞬にして消えた。
獣医が予約していたのは、煙がもくもくと出ているようなサムギョプサル店だった。
男性店員がナムルやサラダを提供し、生肉を目の前のプレートで焼き始める。
「いい具合になったらこちらでカットしますので、先にお野菜やスープを食べてください」
「いただきます」
このナムル、ごま油の香りと程よい塩加減でおいしい。
「……」
獣医は、食べずにプレートに乗った肉を見つめている。
私もナムルやサラダを黙々と食べる。
空気を読んだのか、うぱまろも静かに食べている。
「……」
獣医は、ずっと肉を見つめる。
「気になりますか?」
しびれを切らした私は口を開いた。
店員がやってきて、肉をハサミでカットし始める。
「……はい。赤色から茶色に変わっていく様子を見ているんです。僕たちの体は食べたものから作られることや、他の生物の犠牲のもとに構成されることを忘れてはなりません」
丁寧に手を合わせ、1分ほどの黙祷を終えてからようやく食べる獣医。
店員は奇妙な目で獣医を見つめているが、彼の言うことは確かに正しい。
重い空気が流れる。
食事を終え、会計の際。
獣医が払おうとするので、慌てて財布を出す。
「そんな!うぱまろのお礼ですから!」
「いえ、付き合ってもらっているので」
そんなやり取りをしていると、店内から悲鳴が聞こえる。
振り向くと、サムギョプサルの焼かれたホットプレートにうぱまろが寝転んでいる。
「ほかほか♪岩盤浴ぅー」
「うぱまろだめぇぇぇ!」
急いでうぱまろを掴んで店を出る。
次に入ったのは、お目当てのスイーツ・マカロンショップ。
ピンクのハートの壁紙、テディベアのぬいぐるみが置かれている女の子の部屋のような店内で、獣医は周囲をきょろきょろとしている。
ハートや貝殻の形のマカロンは、選ぶところから、すでに楽しい。
食後のスイーツにマカロンとコーヒー、ほっこりする。
鞄のなかで、もきゅもきゅマカロンを食べるうぱまろは幸せそうだ。
「……あの」
獣医が目線を反らして話しかけてくる。
「何ですか」
「すごく失礼なんですけど、大事なこと、言っていいですか」
「はい」
何だろう。
「貴女の名前、ずっと聞けていませんでした」
「大丈夫ですよ、あぴ子です」
大変申し訳ないが、実は私も獣医の名前をきちんと憶えていなかった。
タマキさんとの妄想で半分この世から離脱していた失礼な自分をひっぱたいてやりたい。
「合コン以来、きちんとお話していませんものね」
「合コン……」
きょとんとする獣医。
「あの……恵比寿の……」
「……ああ、ウーパールーパーのあぴ子さん」
何だろう、まるで私がウーパールーパーみたいな言い様だ。
「ずっと話したかったんですけど、『ポーカー探偵・エクスプレス☆』ってお好きですよね?私も大好きなんですよ。特にタマキさん♡」
再びきょとんとする獣医。
「……僕、あんまりアニメって見なくて」
「え、コラボパーカーや即売会にいたじゃないですか!」
「……他人の空似ではないですか」
そんな!
せっかくの共通の趣味の話なんだから、乗ってくれてもいいじゃない!
「あぴ子さん、僕の名前、知りませんよね。だって、話してないですもの。友人……知り合いが、『女なんて、職業と顔しか興味ないんだから自己紹介で名前なんて言うだけ無駄』って。僕、セイジです。これから好きに読んでください」
これから好きに呼んでくださいということは、今、彼は楽しんでいるということなのだろうか。
「んー、じゃあ、セイ君って呼びますね」
獣医・セイ君は心なしか微笑んでいるように見えた。
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