第27話 君への愛は世界を救う♪

 弥生も下旬になると、春を感じられる。

 冬の寒さで縮こまった身体に喝を入れるのと同時に、新しいことに挑戦してみたくなる気持ちに駆り立てられたため、前から興味のあった茶道教室の体験に行くことにした。

 パソコンを覗き込むうぱまろ。


「うぱぁもいきたいぃ。うぱぁ、和のこころ、まなぶよぉ」

 え、うぱまろ、大人しくお稽古受けられるの……。

 心配になった私は、うぱまろに脅しをかける。

「茶道具って、とっても高いんだって。掛け軸とかお茶碗とか、何百万円もするものを使っているところもあるんだから、壊したら借金増えちゃうよ」

「ええっ!じゃあ、うぱぁ、ぬいぐるみの真似ぇみたいにぃ、大人しくしてるよぉ」

 うぱまろの演技力に興味を持った私は、えぱまろを連れて教室に行くことにした。


 やってきたのは、趣のある日本庭園。

 満開の桜が春風にふよふよと揺られ、池に花びらがはらりと落ちる。

 庭園内にある和室・茶道教室にて。

「こんにちは、茶道体験に来ました」

「こんにちは、ようこそいらっしゃいました。お履き物を脱いで畳へとどうぞ。お座布団にお座り、お待ちくださいませ」

 鶯色の落ち着いた着物を着た50代ほどの女性が深々とお辞儀をする。

「あの、この子も……」 

 うぱまろを抱え、恐る恐る聞いてみる。

「大丈夫ですよ。和の文化に興味のある方なら誰でもいらっしゃい」

 女性はふわっと優しい笑顔になる。


 和室に入ると、見るからに高そうな壺に、優しい白色のハクモクレンの枝が飾られている。

 掛け軸に書いてある言葉は達筆すぎて読めない。

 座布団に座る若い女性と目が合う。歳は、私と同い年くらいだろうか。

ゆるくウェーブのかかった黒髪を、バレッタで一つに束ねている。


「こんにちは。私、茶道って初めてなので緊張してます。あ、私のことは、かるみんって呼んでください。よろしくお願いします」

 茶道に興味を持つだけあって、凄く丁寧な子だ。

「かるみんさんですね、私はあぴ子です。私も初めてなんです。今日はよろしくお願いします」

「あ、ぬいぐるみ……?」

 かるみんさんはうぱまろを不思議そうに見ている。

「そ、そんなところです」

 うぱまろは私の隣の座布団でちょこんと座っている。

 

 着物を着た女性が、和室に一列してやってくる。

 すぐに、桜の形をした上生菓子が目の前に提供される。

「本日のお菓子は、上生菓子・桜一輪です。4つほどに黒文字で切り分け、1つずつ一口でお召し上がりください」

 枝みたいな和菓子をきるものは黒文字と言うらしい。

 指示通り4等分に切り、口に運ぶ。

 うぱまろは、小さな手で黒文字をつまみ、何とか4等分に切り分けた後、和菓子に黒文字を大胆に突き刺した。

 食べようとしたが、手が短すぎて刺した和菓子を口に持っていけなく、苦戦している。

 黒文字を取り上げ、うぱまろに食べさせる。   

 うぱまろに気をとられて、せっかくのお抹茶を淹れる動作が見られなかった。


 気が付いたら、今度はお茶碗が目の前に置かれる。

「お抹茶はまず、御茶碗の正面の柄をお楽しみください。お茶碗を時計回りに2回、回してからお飲みください。正面に来ている柄を避けて飲むためです。3口程度でお召し上がりください」

 お茶碗の正面の柄は、一輪の桜。

 2回、回して3口。

 ほろ苦いけれども、優しい味わいの抹茶だった。

「飲み終わったら、今度は半時計まわりに2回回して、柄がまた正面にくるようにしましょうね」

 おもてなしする側は、お客様に楽しんでもらえるように。

 お客様側は、招いた方を気遣うように。

 茶道の世界って、奥が深い。


 うぱまろは、ぷるぷるしながらお茶碗を両手で回しているので、うっかりお茶碗を倒さないように私も手で支える。

 ようやく回せたら、うぱまろはお茶碗を持ち上げ、ゴクゴクと飲み始める。

 なんだか、ラーメンのどんぶりを抱えて汁を飲み干すおじさんのようになっていたのがおかしい。

 そして、再びぷるぷるしながら半時計回りに回していく。

「これで、茶道体験は終了です。お気をつけてお帰りくださいね」

 着物の女性にお礼をして、茶道教室を後にする。

 思っていたより、うぱまろはおとなしかった。

「うぱぁだって、やればぁ、できるもん♪」

 にこにこと得意気だ。


「あぴ子さん、この後ってご予定あります?」

 かるみんさんに話しかけられる。

「特にはないですが、どうかしましたか?」

「せっかくお知り合いになれたので、よかったらお茶でもしませんか?」

「ぜひお願いします」

 社会人になって、なかなか友達が出来ないなかで、こうやって誘ってくれる方と出会えるのは貴重だと思い、かるみんさんの誘いに乗ることにした。


 近くのチェーンのカフェに入る。

 ハーブティーを注文する。

「お茶からのお茶ですけど、抹茶とハーブティーは全然違うから飽きずに飲めますね。あぴ子さんは、ところで今どんなお仕事をしていますか」

「私は普通のOLですよ。新宿のあそこです」

 職場をかるみんさんに伝えると、とても驚く。

「ええ、すごい!大企業じゃないですか!じゃあ、残業とかもすごい多いんじゃないですか?」

「かなり多いかもしれませんね。かるみんさんは何をされているのですか?」

「私もOLですが、残業が多くて。パワハラもあって、心も体もボロボロだったんですけど、ある人に出会って今の生活が幸せになったんです」


 かるみんさんから妙齢のお金持ちそうな女性の写真を見せられた。

「このお方は素晴らしくて、私を導いてくださいました」

 きらきらとした瞳で、いきいきと話すかるみんさん。

「有り難いお話を伺いに、毎週金曜日にこのお方のもとにセミナーに通いました。しばらくすると、このお方の毎日飲まれている特殊な水を紹介されました。飲んでいたら、自然と気分が明るくなって、前向きになってきたんです」


 よく、分かった。

 かるみんさんに素敵な推しに出会えたんだ。

「素晴らしい出会いがあって良かったですね」

 私が同調すると、かるみんさんの表情は更に明るくなる。

「はい!人生が変わりました!自然の鼓動を感じられるようになって、体が自然界にどんどん馴染んでいくかんじで。もしよろしければ、あぴ子さんも一緒にセミナーに参加しませんか。私、あぴ子さんのことをあのお方にきちんと紹介しますから!」

 やや興奮気味に、熱を込めて話すかるみんさん。


「かるみんさん。あなたの推しに対する気持ちは十分に分かります。私、普段は隠して控え目にしているのですが、かるみんさんが推しに対する気持ちを熱弁してくださったので正直に話します。私も、推しがいます」

「推し……?」

「はい、私も出会えて、人生が激変した方がいるんです」

「あぴ子さん……?」

「その方に出会ってから、私の脳内、いや、身体中から、溢れるばかりの花が咲き乱れ、小鳥の囀りが……教会の鐘の音がッッ!聞こえてきます!どこに行くときも、何をするときも、何かを購入したときでさえ、その方との妄想エピソードが……止まりませんっ!」

「も、妄想……!?」

 かるみんさんは目を見開いている。

「地球が絶滅しようが、宇宙に穴が空こうが、私のあのお方に対する愛は深く深く、その愛の灯に水をかけることは決してできませんっ!むしろガソリンをかけられて、愛の焔の勢いを増していきたいくらいです」

 私はかなり早口で熱を込めて話す。

「あぴ子さんもこちらの世界の人間ですか……ちなみにあぴ子さんの仰るその方とは……」


 かるみんさん、なんて素敵な方!

 それ、言ってくれるの待ってましたっ!

 私は鞄からいつも持ち歩いている、タマキさんのアクリルキーホルダー(15センチ)をすかさず取り出す。

「タマキさんって言います。ああ、好き、大好き、愛してるッッッ!」

 アクリルキーホルダーを両手で胸に抱きしめる。


 かるみんさんは時計を見る。

「あっ、やだ、私!予定があったの忘れてました!そろそろ失礼しますね」

 かるみんさんが上着を着て、早足で店を出て行く。

「あぴ子ちゃん、いまのひとぉ、すごかったねぇ」

 うぱまろは鞄からひょっこり頭を出す。

「かるみんさん、すごく話が合いそう!友達になれて良かった。あ、連絡先交換するの、忘れちゃったなぁ……」

 しょんぼりと肩を落とす。


 あぴ子、25歳。

 まだまだ知らないことが、いや、知らなくていいことが、たくさんあるお年頃です。

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