第18話 2度目の採用面接

 前回にあいさつに行った病院や、安藤の採用面接に同行してきた佐竹という女性の就業・生活支援センターにも案内をしてみたが、前回ほどには集まらず、応募者は2名だけだった。募集すればするほど、というわけにはいかないらしい。

 田中鶴次郎、と履歴書にはあった。安藤が病院で知り合った友人で、よかったらぜひ、と誘われて来たのだという。年齢は安藤よりもさらに上で、すでに還暦に近づいている。履歴書の学歴欄は中学校卒業で終わっていて、職歴は特に書かれていない。それにしても、鶴次郎って本名なんだろうか。履歴もさることながら、それを上回るインパクトのある名前に気を引かれた。

「田中鶴次郎さん、ですね。では面接を始めさせていただきます。私はサービス管理責任者の香川みどりで、こちらが社長の香川仁志です。よろしくお願いします」

 みどりが面接を開始した。前回の経験があってか、慣れて来ている様子である。ところが、当の田中鶴次郎の方は面接官の方を見ていない。前を向いてはいるが、2人の上の方の天井あたりをぼんやり眺めているという感じである。

「田中さん、よろしいですか」

 仁志が念を押すように呼びかけるとようやく向き直り、

「ああどうも」

 とだけ、応えた。出鼻をくじかれたような格好になってしまったが、なんとか気を取り直して、質問をしてみる。

「履歴書を拝見すると、職歴は特に書かれてないんですが、これまでお仕事をされたことはない、ということでしょうか」

「いやまあ、ない、というわけでもないんですが、大したことはしてませんな」

「今回、こちらに応募された動機をお聞かせいただけますか」

「ええまあ、知人にね、勧められたもんで、断るのも悪いと思いましてね」

 とりつくしまがないというか、やる気が見られないというか、採用面接に、ならない。まるで腹に力が入っていないというか、ささやくような声で静かに話す様子は、真白な髪もあいまって、仙人かなにかを連想させた。みどりの方も、どう扱ったものかと戸惑っているのが分かる。

「じゃあ今は、毎日どんな風に過ごしてはるんですか」

 仁志が尋ねると、手の甲を唇に当てて考えるような仕草をし、

「毎日、ねえ。どう過ごしてるんでしょうねえ。特にこれと言って、大したことは何もしていません。ふらふらしてる、というところでしょうか」

 まるで他人事のように応答した。その様子を見ながら、仁志はどこかで見かけたことがあるような気がし始めた。もちろん自分の周囲にこんな人物はいないし、関わったこともない。しかし、見覚えがあるような気がする。いずれにしても、いくらなんでもこのままでは採用を決めることができない。

「田中さん、率直にお聞きしますけど、こちらで採用になったら、来てくれはるお気持ちはありますか」

「まあ、来ると思いますよ」

来る気がない、と言われたら、面接を打ち切ろうと思っての質問だったが、これもまた、予想をくつがえされた。思わず、

「いや、来るって言うても、仕事にですよ。毎日仕事に来ようと思ってはるんですか」

 と問い返していた。言ってしまってから、さすがに失礼だったかと一瞬反省をしたのだが、特に気分を害した様子もなく、

「もちろん、分かっています。仕事は来たり来なかったりしていいものでもありませんから」

 相変わらず何の力も入っていない声で、答えてくる。

「ウチの仕事は、厨房で料理を作ったりすることと、ホールで接客をすること、それに配達や出張販売なんかがありますけど、どれかやってみたいことはありますか」

 次にみどりが問いかけた。すると今度は、少し考え込むように間を置いてから、

「特にはありませんね」

 と言い、続けて少しだけ寂しそうに笑って、

「僕は終わった人間ですから」

 と締めくくり、それきり黙り込んでしまったので、面接もそれ以上は続けられなかった。


 次に登場したのは、40歳の男性だった。つり上がった小さな目に同じくつり上がった薄い眉。ダークスーツを来て座っている様子は、採用面接に来た求職者というよりは、借金取りか何かにしか見えない。支援者だということで隣に一緒に座っている男性も、同じくスーツを来てきちんとした服装ではあるが、髪を茶色に染めていて、やはり堅気とは思えない。これはまずい。おかしな因縁をつけられる前に、早々に追い返さなければ、と緊張した。

「上野……修さん、ですね」

 枠いっぱいに震える字で書かれた履歴書を見ながら恐る恐る声をかけると、口をへの字に結んだまま、小さくうなずく。

「では面接を始めさせていただきますが」

 と話し始めた矢先に、茶髪の男が口を開いた。

「すみません、その前に、本人の希望をお伝えしたいんですが。あ、失礼、私は上野さんが通所しておられる就労移行支援事業所の支援員をさせていただいている高木と申します」

 低いドスの利いた声。緊張が高まる。警戒しながら、了解の旨伝えると、

「彼は言葉が滑らかに出て来ませんので、面接では緊張もあってなかなか分かってもらいにくくて、できれば採否を決めるのに、面接だけじゃなくて実習をさせてもらいたいと思っているんです」

「おねがいしまちゅ」

 上野修本人も口を開いた。一瞬ふざけているのかと思ったが、口元が小刻みに震えているところを見ると、本当に緊張している様子で、そんな余裕はなさそうである。

「しゃべるの、にがて。でも、ちごとはいっちょうけんめい」

 それだけ言うと、またへの字の形に口を閉じて、黙り込んだ。仁志は、見た目のいかつさとは不釣り合いなそのたどたどしい言葉に、思わず顔をほころばせた。

「本人もそう言っとります通り、言葉はこんな感じなんですが、仕事は本当に一生懸命なんです」

 茶髪の高木が後を継いだ。

「前のお仕事は結構長く続けておられたようですけど、どうして辞められたんですか」

 みどりが尋ねると、上野修は口をもごもごさせて、答えられない。高木の方がその様子を見て、本人に目で合図をしてから、

「1つ目の仕事はご実家が引っ越されまして、距離が遠くなってしまったので辞められたそうです。2つ目は、レストランの洗い場だったんですが、残念ながらつぶれてしまって。次の仕事がなかなか見つからないんでウチの作業所に来て、訓練に通いながら就職活動を続けて来られました」

 なるほどな。仁志はみどりと顔を見合わせた。これは、断るわけにはいかない。2人の見た目に気をとられて、読み飛ばしていたが、上野修の最終職歴欄に、氏名と同じような、大きな震える字で書かれていたのは、「みつなかコーポれション」という社名だった。


「こんなことってあるんやな」

 面接を終えてから、仁志はみどりと、机の上に並べた2通の履歴書を眺めていた。まさか、光中コーポレーションの倒産で自分と一緒に失業した人間と、こんな形で出会うとは思わなかった。店舗が違うので相手も気付いてはいなかっただろうが、間違いなく、元同僚ということになる。

「神様の導きね」

「神様かどうかは知らんけど、なんかちょっと、偶然とは思えんな、確かに。それにしても、なんか話し方とか他のメンバーとは感じが違うな」

「この人は療育だからね」

「りょういくってなんや」

「療育手帳のことよ。他のみんなは精神障害だけど、この人は知的障害ね」

 また、専門用語が出てきた。

「ちてき障害ってなんやねん」

「昔はね、知恵遅れとか精神薄弱とか言ってたんだけど、たとえば知能指数が低いとかね。この人は手帳にAって書いてあったから、重度ね」

 知能指数、と言われるとなんとなく仁志にも想像はできる。ただ、それが低いということは、仕事ができるのか、という疑問が出てくる。それを問うと、

「働いてたんでしょ、お父さんと同じ会社で」

 と返された。そう言われれば、確かにそうである。どちらにしても、採用の方針に変わりはない。問題はもう1人。

「こっちの田中氏の方は、どうするかね」

 ううん。ふたりとも、うなってしまった。来る気はある、とは言っていた。しかし本当に仕事になるのだろうか。やる気が感じられた部分はなかった。少なくとも、これが普通の求人だったら、まず間違いなく不採用にするだろう。

「とは言っても、就労継続支援事業だものね。暫定支給決定の間に判断させてもらうしかないわね」

 とみどりが言った。なるほど、暫定支給決定。就労継続支援A型事業は、続けてやっていけるかどうかを判断するために、市役所で発行してもらうサービス受給者証は、最初は有効期間が2ヶ月間と限定されている。その間に、事業者が本人を評価して、継続できるだろうという書類を出してはじめて、1年間の受給者証を発行してもらえる。そういえば安藤ら全員の評価をした書類を先日ようやく提出したばかりだった。それはみどりの役割だが、

「なんでこんなに面倒なことをしなきゃならないのよ」

 と愚痴を言いながら作成していた。確かに、回りくどすぎると思ったが、こういう場合に活用できるのか、と少しだけ納得できた気がした。


 採用通知を出すと、2人ともきちんと出勤はしてきた。果たして上野修の方は、洗い場での経験を活かして初日から張り切って仕事に取組んだ。舌足らずでたどたどしい言葉とひたむきな仕事ぶりで好感を持たれ、その日のうちに

「おさやん」

 という愛称で呼ばれるようになった。本人の方も新しい職場にすぐに打ち解けた感がある。不思議なことに、ひょうたん食堂の一同は、仁志が感じたような見た目のいかつさについては誰も気にならないのか、怖がったり距離をとろうとしたり、といった雰囲気ははじめからなかった。

 一方、田中鶴次郎の方は、採用面接に来た時と同じようにゆらゆらと立っていて、何をするにしても、反応がワンテンポ、遅れる。とりあえずホールで、テーブルを拭くようにと指示されてもすぐには動かず、聞こえなかったのかと再度名前を呼ぼうとした頃におもむろに動き出した。ただ、ゆっくりではあるけれども作業は丁寧で、きちんとしている。また、ささやくような小さな声なのに、言っている言葉は意外にはっきりと聞き取れる。なんともつかみどころのないまま、1日が終わるという感じだった。


「田中さんのことが、分からなすぎるわ。これを書いて出さなきゃならないんだけど、全然書けないの」

 みどりが珍しく困っていた。継続して利用可能、という書類を作成するのに、田中鶴次郎は確かに謎だらけだった。さすがに生年月日や住所は履歴書にも書いてあったが、保証人はおろか家族の名前も何も分からない。ここは仁志が聞くべきだろうということになり、営業が終わって解散する際に呼び止めて、事務室に招き入れた。

「田中さん、どうですか、ひょうたん食堂の仕事は」

「ええ、まあ」

「やっていけそうですか」

「そうですね」

「何か困っていることとか、分からないことはありませんか」

「いえ、特にありません」

 何を尋ねても、例のささやくような声で短く答えるだけである。これではらちが明かないと考えた仁志は、思い切って言った。

「田中さん、実はそのう、市に提出しなければならない書類がありましてね。ほら、最初の出勤日に持ってきてもらった、受給者証というやつの手続きで。色々と書かんといかんのですけど、田中さんのことが正直なところ、よく分からないんで、困ってるんですよ」

「それは、どうもすみません」

 謝られたところで、どうしようもない。

「いや、すみません、ていうようなことでもないんですけどね。あ、そうや。たとえば田中さんのこと、ちょっと詳しくご存じの方とか、おられないんですか」

 本人に聞いても分からないなら、誰か分かる人間に聞くしかない。仁志は話しながら、そう言えば、何故はじめから、誰かに尋ねてみようと思わなかったのだろうか、とむしろ不思議に思った。

「私のことでしたら、病院のケースワーカーさんに聞いてみてもらったらどうでしょうか。大体のことは、ご存知ですから」

「病院の方が、教えてくれますかね」

「私の方から、お伝えするように連絡しておきますから」

 それ以上は出てきそうにもなかったので、その場は切り上げて、そのケースワーカーを訪ねてみることにした。

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