第13話 オリエンテーション
結局、安藤と千代の他、十名の利用者が決まった。応募者は12名あったが、1名は当日面接には姿を見せず、もう1名は採用の連絡をとったところ、やっぱり断ります、とのことだった。他にも、普通に店員として雇うということだけだったら少し躊躇したかもしれないような面々もいたが、そこはみどりが、
「お父さん、問題なく働けそうな人だったらむしろウチじゃなくてもいいじゃない。就労支援事業所なんだから、ちょっと働きづらさとかがある人に来てもらわなくっちゃ」
と言うので基本的には全員が採用ということになった。確かに言われてみれば、すぐには一般企業で働くことが難しい人を対象にその機会を提供する事業なのだから、ちょっと難しいかも、と思われる人にこそ来てもらう価値があるのかもしれない。
「そんなんでほんまに店を経営できるんかな」
と繰り返し不安が襲ってくるが、そもそも利用者として設定している定員に対して半分しかいないわけだから、選んでいる場合ではない。とにかく、来てもらわないと話にはならない。
「皆さん、今日はお集まりいただいてありがとうございます。開設の準備を進めてきた当事業所ですが、いよいよ来月には正式に事業を始めることになっています。皆さんと一緒に新しい事業を始めていくために、今日は打ち合わせとこの後の手続きについての説明のためにお越しいただきました」
採用前オリエンテーションということで、全員を集め、紀子が上手に説明をした。こういう事業所で実習もしてきたというから、さすがに慣れたものである。
「社長の方から、ひとことどうぞ」
感心して聞いていたら、いきなり発言を求められた。
「え、ああ、ええと、香山です。皆さんとは面接でお会いしましたが、これからよろしくお願いします。それであの、なんやったっけ」
みどりの方を見て、助けを求めた。くすくすっと笑う声が聴こえたが、腹を立てている余裕はない。
「サービス管理責任者の香山みどりです。なんだか長い肩書ですけど、要するに皆さんと一緒にどうやって働き続けるかということを考える係です。よろしくお願いします。で、硬いお話ばっかりしてても仕方ないので、皆さんに早速ですけど、手伝ってもらいたいんです」
みどりが少し抑揚をつけて、言った。口ではかなわないのはいつものことだが、こんな外向きの話し方をする妻は初めて見る。考えてみれば、一緒に仕事をしたことはないのだから、当然である。
「それはね、これから始めるこのお店の名前を、皆で決めたいんです。いいアイデア、ありませんか」
「お店の名前、決まってないんですか」
千代の隣に座っている女性が質問した。千代よりも少し年上に見える。
「ああ、ええと、二上明美さん、でしたよね。まだお名前を覚えきれていないんで、お話しするときにはお名前を言ってもらえると、助かります。そう、お店の名前は、せっかくだから皆さんと一緒に考えたいな、と思ったんです。求人票にも食堂、としか書いていなかったでしょう」
「皆、思い付く名前を言ってみたらいいっていうことですよね」
紀子が、みどりを見て、それから一同を見回すようにして言った。すると、紀子と最後に目が合った二上明美が、向かいの席に向かって呼びかけた。
「恵ちゃん、あんたこんなん得意やんか。なんか言いや」
二人は互いに知り合いのようだった。
「ええと、富田恵さん、ですよね」
名前を確認した紀子に向かって、うん、とうなずきながら、
「食堂の名前やんねえ。ええと、パンダ食堂とか、きりん食堂なんか、かわいいんやない」
「それやったらしまうま食堂がええな、うち。おいしそうやん」
二上明美が応じた。動物シリーズか。聞いたことがあるような気もするが、とりあえず自分達だけで考えていたら出てこなかったアイデアだ。
「おかず作るんですよね。そしたら、ご馳走厨房とかどうですか。ああ、山鹿篤です」
山鹿篤は確か二十代前半で、今回集まった中では最年少だったはずだ。採用面接の時に、趣味は競馬だと言っていたのが印象に残っている。高校を卒業した後、服飾関連の専門学校に入ったが、馴染めないまま退学し、アルバイトに行っては辞めるということを繰り返してきた、ということだった。どうも社会に馴染めないことが続いたので、親の勧めで相談に行き、発達障害だと言われたのだ、とも聞いた。発達障害そのものが聞き慣れない言葉だったが、
「発達障害やったということが分かって、すっきりしたんです。なんかうまいこといかへん、と思い続けてたんですけど、そのせいやったんやって原因が分かったから」
と明るい表情で言い切った。障害があるということが分かってすっきりした。それも仁志にとっては想像を超えた話だったので、そういう意味でも印象に残っている。
「なんとか厨房っていうのも、店の名前としては新しい言い方で面白いな」
記憶に残っていることもあってか、山鹿篤の発言はちょっと取り上げてみたくなった。ただし、本当にその名前がいいと思ったわけでもない。
「花の名前もいいな。たんぽぽ食堂とか、ひまわり食堂とか」
「山の幸とか森の幸とか」
「安藤さんなんか、どうですか」
ずっと黙って静かに座っている安藤に、声をかけてみた。
「いや、私は別に。そんなことを考えるのが苦手でねえ。ただ、お聞きしてて思ったんですが、何かこう、ヒントというか、柱みたいなものがあった方が、分かりやすくないですか」
さすがに、安藤の発言は、鋭いところをついている。皆も同じことを感じたようで、全員の視線が仁志に集まった。
「確かにそうよね。それはお父さん、じゃなくて社長が出した方がいいことね」
みどりがそれを代表して問う。
「柱か。そんなにないんやけど、まあ、強いて言うたら大阪にまつわるって言う感じかな」
「大阪、ですか。また大きいですな」
安藤が少し笑いながら答える。仁志が言いたかったのは、事業計画のメモを見た出宮に言われた、「地域に根差した」ということなのだが、そのままを口にするのはなんとなく気恥ずかしく、かと言って、他にうまい表現を見つけることもできなかったので、間が短縮されて大阪にまつわるというような表現になってしまっただけである。
「大阪とゆうたら、やっぱりたこ焼きかな」
「商売が変わってしまうがな」
「ほんだら、通天閣食堂か」
「ちょっと地域が違う。あんまりおいしそうでもないな」
少し場がほぐれてきたのか、色んなアイデアが飛び交う。 仁志は安藤に戻してみた。
「安藤さんやったら、大阪と言えば」
「そうですねえ、太閤さんですかね。それもまた、大きいですけどね」
「太閤さん、千成ひょうたんですねえ。あ、でも千成って会社もありますね」
おじさん二人の会話を聞いていた千代が、突然言った。
「ひょうたんがいい」
一同、意味が分からず、千代に注目したが、千代はそう言っただけであとはにこにこと黙っているだけだ。
「ひょうたん食堂っていうのも、面白いひびきね」
みどりが愉快そうに笑いながら答えた。皆がその響きを口の中で繰り返し味わっていた。
「ひょうたんから駒っていうしなあ」
まさか眠っていた自宅の一角が、こんな形で再利用されることになると思っていなかった経過を思い出しながら、仁志はつぶやいた。それが、決め手ということになった。
就労継続支援事業を利用するためには、市役所で手続きをして、サービス受給者証というものを発行してもらう必要があるとのことだった。出来上がってくるまで少し期間がかかるし、実際、食堂に出すメニューを確定していかなければならない。枠組みの準備だけでここまで来たので、中身を詰める作業が必要だった。
「こういう時の包丁はね、引くんやなくて、軽く押す感じで、そうそう、そんな感じですよ」
拓也が安藤の手ほどきを受けながらごぼうを刻んでいる。職業指導員という枠で採用したが、調理の経験もないので、人を指導もできない。
「仕事の内容が完璧にできなくてもいいんですよ。利用者が仕事できるように助けるのが仕事ですから」
と出宮も、ビーンの森村も一致してそう助言してくれていた。とはいえ、どちらにせよ全く包丁を持ったこともない、では困るので、今のうちに厨房で練習をすることになっていた。
本来ならば仁志が教えるべきところだが、拓也の方もそこはやはり素直には聞けない。そこで、安藤がメニューの試作を兼ねて、少し一緒に練習してみましょう、と言ってくれた。教え方は丁寧で高圧的でなく、傍目に見ていても、分かりやすかった。一応は同業者だった仁志の目には一層はっきり分かる。自分なら、あんなに上手に教えることができるだろうか、と考えこまされた。実際、拓也がこんなに何かに熱中している姿を見たのは、どれくらいぶりだっただろうか。
「これ、全部です。切っておいてくださいね。その間に、ちょっと味を合わせてみますんでね……」
とりあえず指示通りの切り方を何とか覚えたらしい拓也の手元を少し見てから、安藤の方は調味料のレシピ決めに取り掛かった。計量カップにしょうゆやみりんなどを入れていく。
「うん、こんなもんかな。どうでしょう、社長。普通は酒を少し入れますが、私は醤油とみりんだけなんです。コストが安く上がるのもありますけど、唐辛子を入れてやるとわりと味がしまるんで」
差し出された小皿を、少しだけ舐めてみた。作ろうとしているのはきんぴらごぼうである。そんなにデリケートに考えることもないとも思い、
「うん、いいんじゃないですかね」
「ありがとうございます。あと、炒りごまは少々振りたいと思います」
正直なところ、こんな会話を再びする時が来るとは思えなかったので、単純な惣菜の話と言えども仁志は充実感を覚えていた。
「このあたりの一品を、最低十種類くらいは用意しときたいですね」
「そうですねえ。そうおっしゃってたんで、さしあたり私の方で四種くらいは考えてみたんですが、すみません、それ以上はまだまとまっていないんで」
「いいですよ、家内にも二品か三品は考えてもらいますから」
そんなやりとりを楽しんでいると、拓也が
「ごぼう、できました。こんな感じでどうすか」
と手首を振りながら言った。首を回している。
「ええ、いい感じですねえ。ごぼうの千切りは、疲れるでしょう。ささがきにするっていうやり方もあるんですが、この方がシャキシャキしますしね。はじめは包丁に慣れるためには、いい練習になるんですよ。私らも、散々やらされました」
安藤は拓也が刻んだごぼうをボールに入れて、水を張った。
「ごぼうはこうして水につけて洗ったら、すぐに上げてやらないと、色がついてしまうんです」
と言いいながら、ボールの中身を見せた。二、三度かきまぜるとすぐに水が茶色くなる。
「ああ、なるほど。すごいまっ茶色になるんですね」
拓也がのぞき込んでいる。
「次はにんじんです。同じような形に切ります。こんな感じで」
安藤がにんじんを取って少し見本を切ると、拓也はそれを見ただけでまねをし始めた。素直な態度である。安藤はそれを見て、少し楽しそうに、自分も残りのにんじんを切り始めた。あっという間に用意したものが刻み上がる。
「後はですね、炒めるだけです。こげつかないように、フライパンを振りながら」
それも少しやって見せたが、拓也がすぐに替ってフライパンを振り始めた。
「これはどれくらい、炒めるんですか」
手元から目を離さないままで、拓也が尋ねる。何ということはない、基本の炒め物だが、真剣そのもの、といった表情で、まるで秘伝の料理を作っているようである。
「ちょっとしんなりしてきて、艶が出始めるくらいまでですね。それからこいつを入れます」
とあらかじめ合わせてあった例の醤油とみりんの計量カップを持ち上げる。安藤の合図を受けて、拓也がフライパンにカップの中身を注ぐと、醤油の焼ける香ばしい匂いが立ち上った。安藤が唐辛子をひとつまみ放り込み、菜箸で中身を少し取り出す。自分の手の平に載せて口に入れ、小さく頷いてから同じように拓也の手にも、載せる。恐る恐るそれを口に入れると、拓也の顔に驚いた、という表情が浮き上がった。
「すげえ、きんぴらごぼうの味や」
きんぴらごぼうを作っているのだから当たり前だ、と仁志は思ったが、もちろん口には出さずに呑み込んだ。ほどなく、火から下されたフライパンが差し出され、仁志も試食をしてみた。息子が、ここの厨房で初めて作った料理である。歯ごたえの向こう側に追いかけてきたピリッとした辛味が、広がった。美味いじゃないか。こいつにもまだ、こんな素直なところが残っていたんだな。恐らく、これまで幾度となく食べてきたきんぴらごぼうの中で一番いい味がしているかもしれない、と仁志は思った。
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