第12話 採用面接

 出宮は、求人さえ出していたらハローワークが利用者を紹介してくれる、と言っていた。ただ、それだけでは心もとないと思ったので、ビーンの森村からもらった助言通り、簡単なチラシと名刺を作って関係機関に挨拶をして回ってみた。半信半疑だったが、意外と反応があり、話を聞いてもらえた。これまで役所の窓口というのは手続きのために訪れる場所でしかなかったので、ちゃんと顔を見て話したのも初めてだという気がする。

 中でも一番意外だったのは、近くの精神科病院である。森村から、あいさつをしておいたらいい、と言われた機関のリストに挙がっていたため一応訪れてみたのだが、そもそも精神科に来たこと自体が初めてだった。応答に出てくれたのは女性で、名刺には「精神保健福祉士」と書いてある。そういえば、みどりも同じような資格を持っていると言ってたな、と思いながら、仁志は事業の説明をした。

「精神障害があって働きたいと思っている人はたくさんいるんです。デイケアといって、体調を整えるためのリハビリに通ったりして準備しておられるんですけど、このあたりには就労継続支援事業所もあまりなくて。だから、患者さん達が希望されたときに、探すの苦労してたんですよ」

 そう言われ、病院というのはそんなことも相談に乗っているのか、と別なところで感心したものだった。


 それから幾日と経たないうちに、ハローワークから求人への応募希望者があると連絡が入った。はじめから関わっていた千代を除けば、第一号の利用者兼従業員ということになる。

「支援者、ですか。そんな付き添いの必要な方が来はるんですか」

 その連絡の中で、支援者が面接に同行をしてよいか、と尋ねられて、思わず問い返していた。本音だった。障害者といっても、実際にはどんな状況なのか、身近に接した経験がない仁志には想像がつかない。少なくとも自分が雇用主となって、仕事をさせなければならない相手である。どこまで仕事ができるのかということが選考の基準になるのは当然だと思える。それに、店長としてアルバイト店員の採用面接は何度もしていたが、付き添い人がいる採用面接など、初めての経験だった。

「ただ能力の高い、仕事ができそうな人を採用するだけじゃなくて、私達の支援が必要だと思える人を選びたいと思っています」

 森村はそう言っていたが、仁志にはきれいごととしか思えなかった。


「安藤隆二と申します。よろしくお願いします」

 改装工事があらかた終わったミーティングルームで採用面接をしているということからして、仁志にとっては不思議に感じられた。なにせ、自宅の敷地内である。

 安藤と名乗ったその男性が差し出した履歴書を見ると、仁志よりも二歳年上だった。白いポロシャツに綿パンツという服装だったためか、若く見える。

「安藤さんの支援をさせていただいております、就業・生活支援センターの佐竹と申します。よろしくお願いします」

 きちんとスーツを身に着けて佐竹と名乗った女性の方は、息子と変わらないくらいの年齢と思え、二人が並んでいると、まるで親子のようだった。

「応募してくださった動機を聞かせてもらえますか」

 席にかけるように勧めてから、まずは月並みなところを質問してみた。そもそも、店長をしていた頃から、採用面接ということ自体があまり得意ではない。何を尋ねたらいいのかよく分からないし、へんに緊張してしまう。第一、話を聞いただけで採否の判断など自信を持ってできたためしがない。本社の人事担当の応援に頼っていた部分が大きい。

「もともと、調理の仕事が好きだったんです。他の仕事にも挑戦してみましたが、うまくいきませんでしたし、できたらもう一回、やりたいと思ってたところで、病院の相談員さんからこちらのことをお聞きしたんです」

「調理の仕事をしてはったんですね。調理師の資格もとって、結構長く働いてはりますね」

 履歴書に記されていたのは、聞き覚えのあるチェーン経営の和食レストランの名前が一軒、その下にもう一軒、これは聞いたことはない店の名前が書かれている。

「高校を卒業しまして、見習いで入れてもろたんです。それである程度仕事教えてもろてから、次のレストランに行きまして」

 同じような業界にいたから、特に違和感はない。よくある職歴である。近頃は専門学校卒業の若い調理師が多くなったが、仁志達が若い頃にはまだ、そうやって修業をさせてもらって料理人になるという道をたどることも、珍しくはなかった。

「一軒目は十年くらい、いてはったんですね」

「はい、育ててもろた恩もあったんで、仕事覚えたからすぐに辞めるっていうわけにもいきませんので。二軒目のところはそろそろ移ってもええかな、と思ってた頃に友達から誘われましてね」

 友人に誘われて、小さな店を一緒にやっていたというところか。ただ、そちらの方は、期間は3年弱と、短い。競争の激しい飲食店のことだから、うまくいかなかったのだろうか。それも珍しくないとはいえ、その後、現在に至るまで20年ばかりの間の職歴が、全く書かれていない。当然、尋ねなければならない。

「そこは、どうして辞めはったんですか」

「始めたばっかりの店やったんで、なんとか盛り上げようと思いましてね。根詰め過ぎて、体壊してしもたんですわ」

 なるほど、それもまた、ありがちな話である。ただ、その後の履歴書の空白が分からない。

「で、その後はどうしてはったんですか」

 仁志としては、自然な流れの質問だったが、安藤は少し間を置いてから、心持ち声のトーンを落として答えた。

「入退院を繰り返してたんです。デイケアに通ったり、何回か働きにも行ってみたんですけど、続かんと今まで」

 最後の方はうつむいてしまって、一段と声も小さくなってしまった。

「入退院て、そんなに……」

 言いかけてからようやく仁志は、それが安藤の「障害」に関わることなのだということに気付いた。それに、デイケア、と言った。よくは知らないが、確か病院に挨拶に行ったときにリハビリをしているところだ、というようなことを聞いた覚えがある。

「ああ、ええとあのう……」

 触れてはいけない部分に触れてしまったのかもしれない、と思った仁志は話を変えようとしたが、うまくいかない。すると、隣に座っていたみどりが、質問を引き取った。

「こうして応募してくださったということは、今は落ち着いておられるんですよね」

「ええまあ、大丈夫です。薬をちゃんと飲んでるんで、ここ何年かは悪くなってないんです。それであの、働きたいと思って」

 今度は顔を上げて、答えている。働きたいという部分では、はっきりと明るい表情になったのが分かった。

「もし調子が悪くなられたときはどうしたらいいですか。こちらで何か、配慮できることはありますか」

「いえ、大丈夫だと思います。あ、どうしてもっていう時は頓服があるんで、ちょっとだけ休憩をもらえたら助かるんですけど」

「もちろん。大丈夫だわよね」

 みどりが仁志の方に顔を向けて言った。

「ああ、大丈夫ですよ。休憩、してください」

 なんとか答えることができた。安藤も仁志を見て、うなずいている。採用面接は何度も行ってきたが、障害者となると、どうしたらよいのか皆目分からなかった。それでみどりが一応一緒に面接に参加したのだが、助かった。店長の経験よりも、作業所で働いていたという経験の方が、この場合はずっと役に立つものなのか、と仁志は思った。気付けば、こめかみを汗が幾筋も流れ落ちている。

「あ、その、こんなことを聞いてええのかどうか分からないんですが、その、調子が悪くなると、どうなりはるんですか」

 思わず、聞いていた。普通の病気だと、例えば熱が出たり、めまいがしたり、といった症状が出る。場合によっては下痢や嘔吐など、特に飲食を扱う業界では注意しなければならないようなこともある。では、安藤はどうなのか。そもそも「体を壊して」とは言ったが、具体的にどう壊したのかは見当がつかない。しかも、20年近く、仕事ができていないというのだ。本当に仕事ができるのだろうか。

 安藤は、隣に座っている佐竹が、にっこりと小さくうなずいたのを確かめるようにしてから、仁志の方に向き直った。

「聞いてもらって全然構いませんよ。私の場合は統合失調症です。まあ、以前みたいに幻聴とかは今はほとんどないんですけどね。寝にくくなるっていうのが、今の主な症状ですね。だから、仕事中はほとんど問題ないです」

「トウゴウシッチョウショウ、ゲンチョウ、ですか……」

 どちらも聞いたことはある、という単語だったが、目の前で自身のこととして話すのを聞くのははじめてだった。

「幻聴、というのは現実ではない声がご本人にだけ聞こえてくる、という症状のことなんです」

 と佐竹が少しだけ身を乗り出して解説し、すぐに元の姿勢に戻った。安藤がそれに続ける。

「私の場合、ほとんどが悪口でした。死ね、とか消えろ、なんていうもありましたね」

 現実にはない声で、死ね、と言われる。やはり想像できなかった。聞くだけ聞いておいて、呆然としてしまっている仁志に代って、みどりが再び引き取る。

「でも今は、落ち着いてるっておっしゃってましたよね」

「ええ、大丈夫だと思います」

「安藤さんはデイケア、という病院のリハビリプログラムにほぼ毎日参加しておられるんですけど、ここ数年は症状も出ていないし、他の利用者の方とも良好な関係を作っておられると、病院の相談員さんからもお聞きしています」

 佐竹が付け加えた。やりとりが自然なので、二人を相手にして採用面接をしているという特殊な状況を思わず忘れた。


 情けないことに、緊張していてその後のやりとりはあまり覚えていない。求職者の側より求人側の方が緊張している採用面接も、他にそうないだろう。最後に何か質問は、との問いかけに、

「ああ、ええと、できたら後で厨房を見ておきたいんですけど」

 と安藤に言われて仁志はようやく、落ち着きを取り戻した。もともと香山食堂は廃工場の一部で営業していたので、使われていなかった部分を事務所やミーティングルームに改装したものだ。つい最近まで古い鉄骨がむき出しになっていたところが、このような部屋に姿を変え、あまつさえそこで採用面接なんかをしている。あまりの変化に少しついていけていなかったのだが、厨房の話が出て、我に返ることができた。

「もちろん、結構ですよ。細かなものなんかはまだこれから、というのもありますけど、工事の方はあらかた終わってますので」

 それで初めての面接の方は、終了した。


 厨房を見て回った安藤は仁志から大体のメニュー構成を聞き、少し遠慮しながらも、細かな調理器具や厨房での動線について意見を言った。面接での内容というより、そこでのやり取りの的確さが、仁志にとっては採用の決定打になった。

 採用の通知を受け取ると、安藤は開店のための準備を手伝うために、毎日のように通って来た。まだ開店していないし、あらかたの準備は整って来ているとはいえ、事業そのものも開始できていない。そう伝えはしたが、

「どうせひまなんで。もちろん、ボランティアでいいので」

 と言いながらレシピ作りを手伝うので、仁志としては正直に助かった。こんなチャンスを待っていたというだけに、実際に調理が始まると、さすがに元本職の実力を発揮した。仁志自身も食堂を継ごうと思って大阪に戻って来たくらいだからそれなりに調理の技術はあったが、どちらかというと経営の方を軸にしていたので、及ぶべくもない。

「安藤さんって包丁使うとき、あんまり手元見ないですよねえ」

 事業所の支援員という形で採用した垣内紀子が感心しきりという表情でつぶやく。紀子はビーンの森村の教え子で、仁志が指導員を探している旨連絡を取ってみると、ちょうど仕事を探しているいい人材がいる、と紹介されて来た。国家試験の結果が分かるまではと様子を見ていて、同級生達が軒並み卒業と同時に就職して行っている中で、のんびりと就職活動を始めたところ、ということだった。ずいぶん呑気な話で、仁志としては大丈夫なのかと思ったが、みどりはひと目見て、気に入ったようだった。彼女の方も、まだ仕事は始まっていないというのに、せっかくだから立ち上げの手伝いをしたいということで通って来ていた。もっとも、こちらの方はさすがにボランティアというわけにはいかず、開所準備のアルバイトという形で契約をしていた。収入が入って来ていない段階では厳しかったが、実際の現場での記録の様式など専門的な領域の準備には、助かった。

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