第10話 計画
なかなか再就職の口が見つからない以上、他に選択肢も思いつかないので、とにかくやれるだけやってみよう、という話にまとまり、出宮は具体的な契約の書類などの準備と、法人登記その他の手続きの準備をするために一旦引き上げて行った。
そうなると、仁志としても腹を決めざるを得ない。とりあえず店舗を開けて腰掛けた。次回の来訪までに、簡単な事業計画を考えておく様にという宿題を与えられたのだが、テーブルの上にコンビニで買ってきた真新しいノートを開いたまま、一文字も書けないままで固まってしまっている。
「うーん」
店舗に座ってみれば、多少のイメージも沸いて来るのでは、と思ったが、遠くを走るバイクの音が聞こえてくる他、何の動きもないその屋内は、寂寥感しか伝わって来ない。
「煮詰まってるね」
こちらが煮詰まっているというのを見極めたような、満を持したタイミングで、みどりが入ってきた。聞かれないように小さく舌打ちをしながら入口の方に目をやると、みどりの後からもう一つの人影があ見えた。
「こんにちは。あのお、お邪魔します」
みどりに続いて姿を見せたのは、瀬川千代だった。
「前にも話したと思うけど、千代ちゃんね、働けるところ、探してるの。うちでね、就労支援みたいなこと、ちょっと考えてるんだけどって話したら、是非とも手伝いたいって」
みどりに促されて入ってきた千代は、屋内を見回しながら、小さな子供のように目を輝かせた。
「うわあ、懐かしいなあ。昔のまんま。お母さんと一緒によく来てたもの」
手を後ろで組んで、嬉しそうに店内を眺めている姿に、仁志はあっけにとられた。
「あ、ええっとこんにちは。今日は遊びに来てくれたんかな」
それどころじゃないんだが、と若干苦々しくみどりを見ると、千代の目線に合わせてにこやかに店内を見回した後、
「ね、どんなお店にしたらいいだろうね」
と千代に向かって話しかけている。
「みどり、悪いけどな、今はちょっと取り込んでてやな」
こんなところに入れるなんて、ととがめる目をみどりに向けたが、
「取り込んでるって言っても、煮詰まってるじゃない。一緒に考えた方が、色々アイデアも浮かぶかもよ。それに、考えるところから参加してもらえるって、楽しいじゃない」
と切り返された。みどりは、ねえ、とばかりに、千代に向けて大きくうなずいている。どうやらみどりは、千代を加えるつもりにしているようだ。何を勝手に、と言いかけて、千代が目の前に突然駆け寄ってきたので言葉を呑み込んだ。
「ねえ、お持ち帰りのお弁当とか、配達とか、いいんじゃないかなあ。そしたら、ここで食べるだけじゃなくってもっとたくさんの人が食べられるし」
「あら、いいわねえ。近くに住んでる人とか市役所もあるし、配達してあげたりしたら喜ばれるかも。千代ちゃん、さえてるねえ」
「わたし、この辺の道やったら、詳しいよ」
「そうよねえ、頼もしいなあ」
仁志は、自分が置き去りのまま二人が勝手に盛り上がっていくのを見て、少しくやしい気持ちになった。
「そんなことを言うてもやなあ、店をやるんやから、そんなに簡単にはいかへん。作り過ぎたおかずを隣り近所に分けるのんとはわけが違うやろ。色々難しいことがあるんやで」
「あら、それいいじゃない。お惣菜、たくさん作ったからどうぞって。そんなイメージにしたら、親しみやすくていいと思うな」
色々難しい、と言っておくとみどりは黙るかと思ったのだが、どこ吹く風の様子である。
「ちょっと待ってや。今、色々考えてる最中やへんから」
少し苦しまぎれに言ってみたが、
「煮詰まってるようにしか見えなかったけど、何か考えたこと、あるの」
と切り返され、言葉に詰まってしまった。
「それに、配達は色々難しいって、どんなことが難しいの」
と言われてしまってはいよいよ進退極まってしまう。当然のことながら、具体的に何も考えていないし、何が難しいかなんて、知識も持っていない。
「まあ、調べるだけ調べてみるけど。でも配達や持ち帰りって言うても、一部の話やろう。店があるねんから、ここで食べてもらうのんが中心や。どんなものをやっていったらええのか、それをまず考えなあかんやろ」
言いながら、そうだ、細かなサービスの話は後でいくらでも考えたらいいが、肝心の中身を考えないことには、と我ながら大事なところに気づいたと思った。しかし、
「肝心の中身って、何のこと言ってるの。中華とかフレンチとか、そういうことなの? それだったら、決まってるじゃない。大体、お惣菜以外、作れないんだから。どれくらいの品数とか、どれくらいの値段とか、そんなことだったら得意でしょ。店長だったんだから」
とあっさり返されてしまうと、それ以上言い募ることは難しそうだった。それに、考えてみれば一応は食堂の店長だったのだから、喫食数だとか単価設定なんかはやり慣れたことだ。そもそも、そういう経験を活かしてできる仕事を探そうというところから始まっていたのだった。
「うん、まあ、言うてみたらそういうことやねんけどやな」
それでも、みどりに押し切られる形になるのは面白くない。ここは、千代の言うことをこちらが取り上げてやるという形で、度量を示すしかないか、と仁志は考えた。
「ええと、千代ちゃん……は配達をしたらええって言うてたよねえ。それはどこかで聞いてきたのかな。おかずの配達をしている店、どこか知ってるのかな」
「ううん、自分で考えたのよ。おかず、配達してくれたら嬉しいかなあって」
千代の方は屈託がない。普通に配達を考えたら、当然人件費に見合うだけの売り上げが確保できるかどうかということが先に来るが、雇わなければならない、ということが先に来るなら話は別だ。
「ちょっと待っててな。そうや、みどり、メニュー表ちょっと考えてみてくれへんか」
と言って、開きっぱなしになっているノートに、計算を始めた。店舗での売り上げ。それに配達や持ち帰りの売り上げ。合わせてどれくらいあれば、人を雇っていられるのか。確か、出宮は20名が基準だと言っていた。その人数を雇って賃金を支払うのに必要な利益はどれくらいか。そこから計算して、どれくらいの売り上げが必要か。高級レストランではないので、客単価はそう高く期待できない。
「そうか。一日300から350食くらいは確保したいけど、店舗だけやったらとてもさばききれん。配達とか持ち帰りを合わせたら、なんとかなるかもしれへんな」
「大きく出たわね。そんなに売らないといけないんだ」
「まあ、食材だけのことやないからな。配達とか持ち帰りにするんやったら容器やとか割りばしやとか、そんなもんもいるやろ」
「割りばしはいらないと思う」
千代が少し口をとがらせて言った。
「え、どういうことかな」
予想外の反応だった。一体何が言いたいのか。
「割りばし、いらないと思うの。自分のおはしで食べてもらったらいいし、ここで食べてもらうときには普通のお箸を使ってもらったらいいと思う」
「ええと、だからなんでそう思うのかな」
仁志は少し苛立ってきた。そんな訳のわからないところでこだわっていたら、話が進まない。
「森が壊れるから」
千代は目を丸くして、なぜそんなことを尋ねられなければらないのか分からない、とでも言いたげな表情になった。なるほど、エコロジーとか、そういうことにこだわりたいタイプか。議論をしてもかみ合わないだろうと思い、仁志は軽く流すことにした。
「うん、なるほどな。まあ、細かなところはあとで考えるとして、今は大まかな話を決めていかないとね」
「細かいところじゃないと思うわよ。それにエコにこだわった店って、それだけで一つのセールスポイントじゃない。なかなか途中で始められることでもないかもよ」
今度はみどりが食い下がる。心の中で舌打ちをしながらも、二対一では不利である。
「セールスポイントねえ」
そもそもそういうことに関心を持っていないので、仁志にとってはセールスポイントには映らない。ただ、顧客層で言えばみどりのような主婦層が圧倒的に多いと思われるので、無視もできない。
「そやけど、割りばしを使わへんっていうだけでエコになるんか。しれたあるやろ、それぐらい」
「よくは知らないけど、量が多いからかなり影響があるって聞いたわよ。それに、そういう小さなことだったら、やってみても店に影響は少ないじゃない。損になることじゃないでしょう。様子見て変えたっていいんだし。途中で出さなくなるより、途中から出すっていう方がやりやすいでしょう」
損になることじゃない、か。仁志には受け入れやすい表現である。それに、途中から出さなくなるというのはマイナスイメージになりやすいが、確かに逆のパターンだとサービスの向上という意味で、プラスのイメージにできる。
「うん、そらまあ、そうなんやろうけど」
仁志のトーンが下がると、千代もたたみかけてきた。
「それに、小さなことから取り組むことが大事だって、テレビでも言っているもの」
小さなこと、ね。だから小さいことはあとで話したらいい、と言ったはずなんだが。仁志はちょっと思ったが、そのやりとりがそもそも面倒くさいので、ここは流すことにした。
「まあ、ほんだら割りばしの話はそれでええとして、売り上げが確保できるかどうかっちゅう肝心な話が先や」
「関心がないから、聞き流そうとしてるでしょ」
仁志に自覚はないが、思っていることは態度に現れるらしい。今もなぜか、みどりにはお見通しで、それを見逃す気はないらしい。
「いや、だからやなあ」
「そうやってすぐごまかす。千代ちゃんがせっかく一所懸命考えて提案してくれたことをそうやって聞き流そうとするなんて、理念はどこへ行ったのよ」
「り、理念って、なんやねんな」
「もう忘れたの? 最も小さい者にって、決めたんじゃなかったの」
「あ、ああ、それかいな。それはそうやけど、何も今持ち出さんでも。そんな大層な話、してないやんか」
なんだか分からないうちに、ずいぶん分が悪くなっている。仁志は使われていないこの食堂で、なんだか尋問を受けているような錯覚にとらわれかけた。語尾はほとんど消え入りそうな小声になってしまっている。
「大層な話じゃないわよ、確かに。でも、最も小さな者っていうのは、お父さんとしては千代ちゃん達のことを言ってるつもりなんでしょう。そしたら千代ちゃんの言っていることをどんな風に聞くのかっていうのは、一番大事なことなんじゃないかしら。中身もよく考えないで聞き流そうとしちゃうのは良くないと思うわよ」
「う、む」
そこまで言われて仁志ははじめて、自分が踏み込もうとしている世界の、特性というのかこだわりというのか、そんなものをなんとなく感じさせられ、うめくより他なくなってしまった。
「割りばしが環境破壊になるのかどうかっていうのは、色んな意見があるみたいやけどな」
沢庵を一切れ口にほうり込んで、拓也が言った。
「どういうことなの」
「間伐材を使うから、森を守ることになるっていう話。でも、輸入ものの場合は無計画に木を切ってしまっているだけのところもあるから、森林破壊につながってるっていう話もあるみたいやし」
仁志は、息子がそんな知識を持っていることに素直に驚いた。アルバイトも満足に続かず概ね家に引きこもっているような息子が環境問題などに関心を持っているようには思えなかった。夕食を囲みながら昼間のやりとりについて話している時だった。
食卓の上にはスーパーで買ってきたコロッケときんぴらごぼうが並んでいる。結局夕方まで三人で食堂の内容を考えていたので、食事を用意する時間がなかったのだ。みどりに押し切られて千代を追い返すこともできないまま、そのまま強引にミーティングになってしまった。とはいえ、実際に食堂を始めるにあたってのアイデアはほとんど千代とみどりの発想を取り入れることになった。一応は店長をしていた仁志は、食堂の経営のプロのはずだったが、一から立ち上げた経験はない。それならば、消費者の感覚で自由に発想する千代と、その意見を面白がってどんどん引き出していくみどりのほぼ独壇場となったのはある意味で当然と言えるのかもしれない。
「お前、なんでそんなことに詳しいねん。割りばしの話なんか俺もよう知らんのに。いつの間にエコとか何とかに関心持つようになってたんや」
仁志が言うと、拓也は少し驚いた様子で父親の顔を見た。
「別に詳しいわけじゃなくて、割りばしの話聞いたからちょっとググってみただけやけど……そっちこそ、いつになく素直やからびっくりしたんやけど」
と言われたが、当の仁志に自覚はない。息子から素直、と言われて逆に少し気恥ずかしさを感じながら、
「俺はいつもと変わらんわい。で、ググってみたっていうのはどういうことやねん」
と続けてまた疑問を口にした。多分これまでにも何回か聞いたことはあるはずだが、実際に自分が使うこともなく、関心もないために、覚えていない。
「それ、今頃聞くか? グーグルで調べるって言う意味やがな」
一応説明をしながらあきれ顔の拓也と、顔を合わせてみどりも苦笑していた。
「それはそうと、店の名前、何にするの。企画書の一番上が、空欄のままじゃない」
「名前なあ。香山食堂、でええんちゃうんか」
「それはあかんやろ。格好悪いからやめてくれよ」
拓也が間髪を入れずに反対した。否定されると不機嫌になるものだが、会話が続いていることが少し嬉しかった。
「ほんだらどんな名前がええねん。松原食堂とかどうや」
「それ、他の店とかぶってるわよ。お父さん。そういえばこの、カヤマコーポレーションって何なの」
「ああ、それは会社の名前や。法人登記にいるからな。自分の名前でええんちゃうかと思てんけど、漢字のままやったら何となく障害福祉サービスらしくないからって出宮さんが言うたからな、カタカナにしたんや」
「安易よねえ。でも店の名前って、大事よ。そもそも、働きたい、と思ってもらわないといけないわけじゃない。ほら、森村さんのところだって、就労支援事業所ビーンって言ったじゃない。あんな感じの名前がいいんじゃない」
「ほんだら、バーンとかボーンとか」
「それじゃただのパロディじゃない」
「あのさあ、それって初めから決めとかんとあかんのか」
仁志とみどりのやりとりを聞いていた拓也が切り出した。
「いや、そら決まってた方がええやろうけど、会社として求人出すんやから、最初は仮称でもええやろうけど」
「それやったら、その利用者が集まってから皆で決めたらええんちゃうん」
仁志達は顔を見合わせた。なるほど、言われてみれば、確かにそうだ。自分達も考えておくとしても、色々アイデアを募ってみるというのはいいかもしれない。
「それはええ考えやな。最初に名前を考えるところから入った方が、従業員の意識高まるかもしれなんしな。拓也、ええこと言うやないか」
これまでにない拓也の前向きな態度が少しうれしくもあって、仁志がやや大げさにほめると、拓也は照れたのか、
「まあな」
とだけ言って飯をかきこみ、いつもの仏頂面に戻った。
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