第8話 日曜礼拝

 その夜は、親子三人で食卓を囲んだ。仁志の中では、丸岡のことが頭から離れないという部分があったが、同一人物なのかどうかの確認も取れていないし、そもそも仁志の学生時代のことなど、家族の誰も知らない。だから、それには触れずに、見学した内容を話題にした。基本的に夕食時間は仕事だったので、ここ数年は一緒に食事をしたという記憶がない。皮肉なことに、失業してからそういう時間ができていた。みどりが珍しく、発泡酒を仁志のグラスに注ぐ。やはり、彼女としても嬉しいのだろう。

 拓也の話は、意外に要領を得ていた。いつものように不愛想な様子で相手を不快にさせないかと実は冷や冷やしていたくらいだが、関心のなさそうな顔をしながらしっかり聞いていたようだ。仁志があいまいにしか覚えていないことについても、きちんと把握している。仁志は拓也の話を聞きながら、グラスをちびちびと舐めていた。こんな時間が持てるなら、失業もあながち悪いことばかりじゃあないな、と少し思った。きんぴらごぼうの唐辛子が口の中にぴりっとした感触を残している。

「この子の中に私がおる、ていうの、なかなか良かったな」

 拓也が言った。

「そう言えば、なんでこの仕事を選んだのかって聞いてたな。急になにを聞くねんと思て、はらはらしたけど」

「いや、なんでも聞いたらええって言うから」

「いいじゃない、大事なことよ。ああいうのを理念って言うのかしら」

 みどりが拓也に加勢する。その場では、大して反応も見せなかったが、拓也なりに感じるところはあったらしい。

「理念とはちょっと違うと思うけどな」

「あら、じゃあ理念って、どんなのよ」

 せっかく加勢したのにばっさり切られて、少し意地になっている。

「理念、な。コンサルの出宮さんも言うてたな」

 書類をそろえたり役所で手続きしたり、ということは代行もできるが、事業の理念なんかは自分で考えなければ、と言われた。

「そうは言うても、考えたこともないからな。今まで全く無縁やった世界やからなあ」

「だから理念ってなに。どんなのを言うのよ」

 みどりがあくまでも食い下がる。

「こだわりだしたら、おかんって結構面倒臭いよなあ」

 仁志が思っていても絶対に口に出せないようなことを、拓也はずけずけと言う。言いながら、またスマートフォンを取り出して、なにやら操作をする。

「モノゴトの、こうあるべきという根本の考え方、やってさ」

「事業の理念って言うたらモノ作りを通して社会に貢献する、とかまあ、そんな感じのことやな」

「お父さんの勤めてた会社にも、あったの」

「あったなあ。豊かな食事で心豊かに、みたいなん。自分で決めたわけとちゃうからあんまり意識してなかったけどな」

 そう答えながら、仁志は自分が勤めていたということがずいぶん遠い過去のことだったような気がしていた。考えてみれば、ほんの十数日前までは、雇われ店長として毎日のように通勤していたのだ。

「食堂するのに、そんな大層なこと、考えなあかんのかな」

 拓也が不審な顔をした。正直、それは仁志にも分からない。しかし、確かに出宮は確かに、自分達で考えなければならないと言った。理念がしっかり立てられていない事業は場当たり的になってしまい、結局立ち行かなくなる。確か、そんな話だったと思う。

「そう言えば、私が勤めていた作業所にも、そんな感じのキャッチフレーズみたいなの、あったな。忘れちゃったけど。うちがやるんだったら、どんなのにするの」

「そうやなあ。会社のをそのまま使わせてもらうっちゅう手もあるけど、倒産してしもたから縁起悪いしなあ」

「まだよくは分からんけど、単に食堂っていうだけやないんやろ。たとえば今日見学させてもらったビーンやったら、ここに書いてある、このあたりなんかがそれなんと違うのかな」

 拓也がいつの間にかもらってきたパンフレットを開けている。指差している先を見ると、「誰もが参加できる社会のために」と大きな文字で書いてあった。その下に細かな字で文章が書かれていたが、確かに会社のパンフレットなんかを見ていると、こんな感じのページが必ずある。それに、清掃業務などの業務内容ではなく、仕事を提供するという事業の内容に焦点が当てられている。なるほど、障害福祉サービスだから、その方面で理念を考えないといけないということか。

「昔、恵まれない子供達に愛の手を、言うて募金が回って来てたけど、福祉言うたらそれくらいしか思いつかへん。恵まれない障害者に仕事を、みたいな感じでええのか」

 みどりが、あきれ顔でかぶりを振った。ご丁寧に、深いため息もついている。

「よくは知らんけどそれは違うと思うな、やっぱり」

 拓也にまであっさりと否定され、仁志は途方に暮れてしまう。

「ほんだら、どうしたらええねんな。違うっていうんやったら、アイデアを出してくれよ」

 仁志は独り言のように、つぶやいた。するとみどりが、名案を思い付いた、とばかりに身を乗り出して、

「お父さん、それだったら一回教会行ってみない。毎週いい話、してるわよ」

 と言った。

「教会って、今そんな話してないがな。まだ神頼みするほど煮詰まってないで、ほんまにもう。いや、待てよ、いい話か。神父の説教いうのもなんか使えるかもしれんな。拝観料とか、どれくらいすんねん」

 教会など縁のない生活を送ってきたので、想像もつかない。けれども商売のタネを探せるなら一回くらい行ってみてもいいかもしれないと仁志は考えた。

「お布施なんかいらないわよ。礼拝の中で献金のかごが回ってくるけど、意味のよく分からない人は入れなくてもいいって言ってるし。それに、神父さんじゃなくて、牧師さん、ね」

「どっちでもええがな。金はいらんのか。タダほど怖いものはないって言うねんけど、まあええわ。それより、その神父さん、やなくて牧師さんの話っちゅうのは、どんなんやねん。ヒントになるような話、ありそうなんか」 

「きっと何かヒントが見つかるわよ。お父さん次第だけどね」

 微妙にひっかかったがあえて気付かないふりをしながら、

「まあ、じっとしてても思いつくもんでもないやろうしな」

 としぶしぶながら、仁志は「妻に曳かれて教会参り」をすることにした。つまらなかったらみどりにクギを刺すチャンスにもなるしな、と心の中で思ったが、それは口にはしないでおいた。拓也はと言えば、そっちは関心がないとばかり何の反応も見せていない。


 金沢にいた時期を除いてこの付近で生まれ育った仁志だが、そんなところに教会があるとは知らなかった。駅のすぐ近くだが商店街からは少し入ったところで、市役所や郵便局などが集まっている一帯からも外れている。特に通る必要のない場所だったからだろうけれど、それにしてもあずき色のレンガに覆われたその建物は、これまで気づかなかったのが不思議なくらいの大きさだった。

「おはようございます。あ、これはうちの主人なんです」

 とすれ違う人ごとに紹介をして回られるので、仁志は作り笑いをひっこめる暇がなくて少々疲れてしまった。商売に携わってきた習慣は、しぶしぶ来ざるを得なくなってしまったことに対する不機嫌な内面とは裏腹に、その気分のままの仏頂面を他人の前で見せることを許さなかった。

 それにしても、こんなに人がいるのか、と思うほど、集まっているのを見て、日曜の朝から物好きなことだ、と感心もした。小さそうなエレベータに乗るのも気が進まなかったので、階段で三階まで上がり、ホールに並べられたビニールの椅子に、案内されるままに腰かけた。仁志が知っている教会は木製の長いすのようなものが並んでいるイメージだったが、何故かここでは普通のスタッキングチェアが並べられている。


 しばらくして、時間になったのか、正面の講壇に登場した男性が、開始の合図をした。

「あれが牧師なのか」

 と小声でみどりに尋ねる。想像していたよりもずっと若い。仁志はふと、経営コンサルタントの出宮を思い浮かべていた。

「違うわよ。あの人は司会者。よく知らないけど、役員さんか何かだったと思う」

 と説明された。生まれて初めて教会というものに来て緊張している自分に比べ、妻が落ち着き払っていかにも毎週来ている常連、とでもいう風に座っていることに何故だか焦りを覚えた。講壇の上の人物の名前を尋ねようとして妻の耳元に口を近づけたが、

「しっ、もう始まるわよ」

 と注意され、しぶしぶ黙り込んで、前に向き直った。するといきなりドラムが響き、まるで文化祭のコンサート会場のような音が会場を満たした。映画なんかで観る厳粛なミサを想像していた仁志は面食らい、会場に座っていた自分以外の全員が――みどりももちろん含めて――バンドの演奏に合わせて手拍子をして歌い出すのを、あっけにとられた。

 元気な音楽に続いて静かな祈りがあったり何やらセリフを全員で唱和したりと、何もかもはじめての仁志はただ目を白黒させながら座っていた。みどりの方は、さも当たり前の儀式をしている、という感じでいるので、今日だけ特殊なわけではなく、毎週こんな感じなのだろう。しばらくそういうことが続いた後、今度はみどりの方が小声で、

「ほら、お父さん、あれが牧師さんよ」

 とささやいた。講壇の上にはなるほど別の人物が立っている。スーツを着てはいるが、硬すぎる雰囲気ではなく、やや砕けた感じだった。

「みなさん、おはようございます。私はこの教会の牧師で田淵と申します。メッセージを始める前に、今日、この礼拝に初めて来てくださったお客様をご紹介します。香山仁志さん、ああ、香山みどりさんのご主人ですね。ようこそお越しくださいました」

 まさかそんな紹介があるとは聞いていなかったので、全く油断をしていた。みどりが仁志の腕をとって立ち上がらせたので、雰囲気に呑まれながら会釈をした。すると、会場にいた全員が拍手をしたので、そんな体験をしたことのなかった仁志は、気恥ずかしくて小さくなるしかなかった。

「よかったらゆっくりして行ってください」

 田淵牧師はそう告げて、本題の説教を始めた。

「あいさつさせられるなんて聞いてなかったぞ」

 みどりに小声で苦情を言ったが、肩をすくめて笑われただけだったので、仕方なく牧師の話を聞くことにした。とりあえず、事業のためのネタを拾いに来たのだから、何か持ち帰らないと、とは思ったのだ。

「すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』」

 スクリーンに映し出され、読まれたのはどうやら聖書の一部らしかった。最も小さい者、か。意味は詳しくは分からないが、要するに気の毒な人達を助けてあげることはいいことだ、というようなことだろう。その後で話された説教の内容はあまり分からなかったが、そのフレーズだけは耳に残った。

 仁志にとって福祉とは、「誰かのお世話をしてあげること」というくらいのイメージだった。それが「わたしにしたことだ」と神様が言うのだったら、ありがたいことではないか。仁志には聖書についてもキリスト教についても全く予備知識もなく、かと言って他の宗教を信じているわけでもなかったので、こだわりもなかった。まあ、それらしいのでこれなら使えるんじゃないかと漠然と考えた。

 それに、最近頭の片隅から離れない、丸岡のことがある。谷沢との会話をきっかけに30年ぶりに思い出してしまった上、同一人物かどうかは怪しいにせよ、就労支援事業所ビーンにいた男に丸岡の面影を見たということが、高校生時代の苦い思い出をやけに生々しいものにしていた。あれが丸岡だったとしたら、あの後、悩んで病んでしまったということなのだろうか。あの時に、自分たちが何か手を出していれば。今更考えたところでどうしようもないことなのだが、どうしても気持ちがざらついてしまう。これから始めようとしている事業で少しでもそういう「小さい者」の手助けができるなら、ある種の罪滅ぼしにもなるのではないかとも、考えた。。

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