第6話 コンサルタント

「個別にご相談させていただきますので、是非ご連絡ください」

 セミナーはそんな台詞で締め括られていた。まさか、本当に連絡をとることになるとは、その時には想像もしていなかったが、仕事がなかなか見つからない以上、他に手がかりはない。仁志一人だと、そんな踏ん切りもつかなかったかもしれないが、みどりの方が積極的で、

「とにかく電話してみたらいいじゃない。じっと座り込んでいても、分からないわよ」

 とせっついてくる。仕方なく、という体裁をとりながら、資料の最後に載せられている携帯電話に、電話をかけてみることにした。連絡先が固定電話ではなく、携帯電話の番号になっているというところが、個人経営のコンサルタントらしい。三回目の呼びだし音が鳴る前に、つながった。

「お電話ありがとうございます、出宮でございます」

「ああ、ええと……先日のセミナーを聞かせていただいた香山と申しますが」

 自分の中では半信半疑というか、迷いながらだったので、電話のやりとりからしてしどろもどろになっている。

「香山様、こんにちは。松原市の方でいらっしゃいましたね。その後、就職活動の方はいかがですか」

「ええまあ、おかげさまで……」

 確かにアンケートには住所は書いたし、現在の状況欄には就職活動中にチェックをしていた。しかし、携帯電話に出て咄嗟にそんな言葉が出てくるのは、資料を手元に持っていたからか、それとも覚えていたからなのか。店長として顧客の情報は可能な限り覚えておくべきだというのは分かるが、それでもこんなにスムースに応答されると、少々薄気味悪い。

「お電話を頂戴できたということは、先日のセミナーに関して何か、関心をお持ちいただけましたか」

「まあ、関心と言いますか、もう少し詳しくお話をお聞きできないかと思いまして」

「喜んで。ところで、アンケートには特に書かれていませんでしたが、香山様は何か、経営資源になるものをお持ちでいらっしゃいますか」

「経営資源なんて大層なものじゃありませんが、古い工場跡というか、食堂跡というか、一応自宅の敷地に、そんな感じのものがあるにはあるんですが」

「なるほど、不動産をお持ちなんですね。分かりました。そういうことでしたら、是非一度拝見したいので、その場所までお邪魔させていただいてお話できればと思うのですが、いかがでしょうか。午前中でしたら空いておりますので、これからすぐにならお邪魔できるのですが」

 さすがにコンサルタントを名乗るだけあって、そのあたりの切り返しは素早い。仁志はややたじろぎ、少々早まったか、とも思ったが、すでに電話はつながってしまっている。

「今日、これからですか。まあ、こちらも大丈夫ですけど……そしたら、駅まで迎えに行きましょうか」

「いえ、詳しいご住所だけ頂戴できれば、資料を用意して、こちらから伺います。周辺の環境なども見ておきたいと思いますので」

 なるほど、下見も兼ねて来るということか。手際のいいことだ、と思った。まあ、こちらとしても悠長に構えている場合ではないことには違いない。

「わかりました。そしたら、お待ちしています」

 ということになり、アンケートには市町村名までしか書かなかった自宅住所を伝えて電話を終えた。

「今から、来るって。ここに」

 戸惑いながら伝えると、みどりの方も、

「よかったじゃない。実際に見ていただいてお話を聞いた方が、イメージしやすいわ」

 と乗り気な姿勢を崩さない。こうなると、みどりの方が断然肝が据わっている。

「まあ、放っておいても固定資産税がかかるだけやしな」

 仁志は半ば、自分自身を説得するようにつぶやいて、待つことにした。


 出宮正は、セミナーの時と同じく、やはり一人でやってきた。正直なところ、本当にここを活用することができるとは考えられなかった。だから、一見してやはり難しいだろう、と言われると思っていた。そもそもきちんとしたレストランでもやっていたならともかく、工場跡の一部を使っただけの大衆食堂なので、一見してそれとは分からない。すべて壊して建て直しでもするならまだしも、そんな予算はとてもない。

しかし、食堂跡を見て回った出宮は、予想に反して

「いいですね。建物はしっかりしているし、厨房も少し手を入れれば十分に使えそうです。広さも充分にありますし」

 と前向きな評価を口にした。虎の子の不動産をそんな風に評価されると、やはり悪い気はしない。

「ところで、立ち入ったことをお聞きしますが、こちらの土地や建物は、香山様の名義でしょうか。あと、ローンなど、お持ちでしょうか。」

「いや、祖父の代からの不動産でね。名義は一応私で、借金の類は全然ありませんよ。まあ、それだけが救いと言えば救いですね」

「よく分かりました。結論から申し上げますと、先日ご説明した就労継続支援事業を始められるには絶好の物件かと思います」

 と言い切られた。仁志は内心では喜んだが、それはできるだけ抑えて、

「とは言うても、この周辺は駅からは距離があって、周辺の住民か工場の従業員くらいしか客がいないんですよ。まあ、歩いてこられたから、お分かりでしょうけれど。商売をするには不利やから、食堂もたたんだんです。その就労なんたら、ていう事業にしたって、同じことと違いますか。採算がとれる保証ありませんやろ」

 と渋い顔のままで言ったが、出宮の方は表情を変えない。小さく二、三度うなずいてから、

「確かに、食堂の経営だけを考えると、少々不利だと思います」

「ほら、やっぱり」

「しかし、この事業の本体は食堂の営業ではありません。そこのところをもう一度、説明させていただきましょう」

 と言って鞄の中から資料らしき書類の束を取り出した。仁志は食堂で使っていた椅子を勧め、自身も席に着いた。みどりが定期的に掃除だけはしていたようで、そういう家具什器の類も、大きく傷んではいない。


 出宮が取り出してきたのは先日のセミナーでも見覚えがある資料だった。何枚かめくると、表が印刷されてある。表のタイトルは、収支予算例と書かれていた。

「この表なんですが、上下に分かれているのがお分かりになると思います」

 とその表を指しながら出宮が説明を続ける。

「上の方は就労支援事業会計、下の方には福祉事業会計、となっています。こちらで言うと、上が食堂部分の会計、下がこれから立ち上げられる就労継続支援事業の会計、ということになります」

 出宮の説明は、仁志がその事業を開始するという前提で進められている。まだやるとは言ってない、と内心で戸惑いながら、とにかくまずは説明を聞くことだ、と自分に言い聞かせる。

「制度としては上の部分の就労支援事業会計、つまり食堂の収支と、下の部分の福祉事業部分は別にすること、となっています」

 雇われ店長とは言え、一応は経営者のはしくれだったので、こういう表も少しは分かる。確かに、表は上と下に収益、費用とそれぞれ別々に書かれている。仁志が黙って聞いていると、出宮は続けた。

「この事業の本体は、福祉事業の側にあります。通所訓練ということですから、通所してくる障害者、一般に利用者と言われますが、その利用者が通所すれば一日いくら、という形で市から報酬が支払われます。つまり、利用者である障害者がお客様、ということですね。通所訓練の食堂云々はあくまでもプログラムのようなものだと思っていただいて構いません。利用者が仕事をするための場所に過ぎません。もちろん原価を割ってしまうような大きな赤字が出れば大変ですが、黒字でなくても大丈夫です。むしろ、食堂部分、つまり就労支援事業部分の収支はプラスマイナスゼロが一番理想なんです。別会計とはいえ、最終的には事業全体で決算をしますので、食堂の部分は赤字でも、訓練等給付の収支がそれを上回る黒字であれば、事業全体は成り立つということになります」

 収益が上がらなくてもいい食堂。そんなものが成り立つのか。それはちょっと想像を超えていて、どこかだまされているような気がしなくもない。しかし、魅力的ではあった。

「そやけど、その下の方の福祉事業が黒字出せたらっていう話でしょう。そんなにもうかるもんなんですか」

「もちろん、他の事業のようにいくらでも利益が上がるというものではありません。あくまでも福祉サービスの一環ですからね。ただ、安定的に経営ができるという意味ではこれほどのものは他にそうありません」

 出宮は、やや苦笑に近い笑みを浮かべながら別の頁を開いた。仁志の質問に大阪人らしいがめつさを感じたのだろう。自覚はしている。

「こちらは厚生労働省が出している、報酬の一覧です。細かな条件で単価は変わるんですが、無難なところでこのあたり、ご覧ください。20名以下で5時間以下、これは利用者の定員と平均労働時間のことですが、このランクですと、534単位と書かれています。就労継続支援事業の一単位当たりの単価は10.57円ですから、一人の利用者が一日来られたら約5,600円ということになるわけです。人数分に営業日数をかけると、月収が出てきます。月20日の営業で名が毎日来たら224万円くらいにはなるわけです。この他にも細かな加算があったりしますが、まあ目安で無難な線だけをとればそうなります。何度も申し上げますが、食堂の収支とは別の会計で、です。支援スタッフは少ない方で10対1とサービス管理責任者ですから、20名の規模でしたら最低で3名の配置になります。その人件費や光熱水費などを差し引いても、成り立つのがお判りでしょう。通常はそれに賃借料が必要です。こちらの場合はそれが手持ちの不動産ということですから」

 そんなに、か。仁志は正直、驚いた。予想以上の収入額だった。

「そやけど、平均労働時間っていうことは、利用者て言うても、雇わなあかんていうことでしょう。給料を払わんといかんのですよね。確かそう説明してはったと思いますけど。人一人雇うて、簡単やないですよ。それも10人も20人もって。第一、その利用者は障害者なんでしょう。普通の人みたいに仕事できへんのと違いますんか」

「そんなこと、ないわよ。内容にもよるし、人にもよるけど、仕事はできるわ。障害者だからやれないっていうのは偏見だわ。そんな風に思っている人が多いから、働きたくてもその機会がなかなかないんじゃない」

 それまで、仁志の隣で黙って座っていたみどりが口をはさんだ。会計の話にはあまりついて来れないのか、聞いているのかどうかも怪しかったが、障害者、という言葉が出てきた途端に身を乗り出している。資料ではなく仁志の顔を見ている目の険しさに、仁志は若干たじろいだ。どうも、地雷を踏んでしまったらしい。

「い、いやその、そういう意味やなくてやなあ」

「じゃあどういう意味よ。大体お父さん、障害者と関わったこと、ないじゃない。仕事できないなんて、どうして思えるのよ」

 仁志が返答に窮していると、出宮が助け舟をだしてくれた。

「まあ、奥様のおっしゃることももっともです。ただ、だからと言って、あるべき論だけを交わしていても仕方がない。就労継続支援事業はそういう現状をなんとかしましょう、というとことから発しています。なかなか機会がないならば、その機会を作ってしまおうというわけです」

「そうそう、そういう機会を作るんやがな。とは言うても、やっぱり人を雇うって、簡単やないですよねえ」

 助かった、と胸をなでおろしながら、話を戻す。同時に、人を雇うって簡単ではない、と自分で言ったことがそのまま自分に跳ね返ってくる。そもそも、倒産し、失業している今の自分にとって、それは深刻な話である。だからこそ、こんな苦労をしているのだ。雇うというからには責任が伴う。当たり前のことだが、身をもって体験しているため、今更ながら、慎重にならざるを得ない。

「もちろん、簡単なことではありません。ただ、いたずらにリスクを警戒するだけでは、何事も前には進めません。繰り返しになりますが、就労継続支援事業というのは、そのリスクの極めて少ない事業なので、お勧めしているわけです」

「その、リスクが少ないっていう理屈がもう一つよく分からんのですが」

「事業で一番の鍵は、当然ながら利用者、つまり顧客の確保ですが、この事業の場合には雇用するわけですから、看板を掲げておけば、こちらが宣伝するまでもなく、ハローワークが紹介してくれることになります」

「ああ、なるほど」

 宣伝に力を注がなくても、ハローワークが利用者を紹介してくれるので、顧客集めには事欠かない。そういうことか。仁志は納得し、思わず大きくうなずいていた。

「もう一つは、雇い方です。なにも全員を、フルタイムで雇用する必要はありません。極端なことを言えば、半日ずつで入れ替わりに来てもらえばいいんです。それで、たとえば一日の、1人分の仕事を2人でやってもらうんです。支払う賃金は同じですが、給付費の方はたとえ1時間だけでも同じ1日分出るんです。先ほどご紹介しましたように、平均の勤務時間によって単価は変わりますが、組み合わせ方によっては5人分の仕事を確保すれば十人の利用者を受け入れて、その分の報酬を受け取れる、という仕組みです」

 流暢な出宮の言葉にはかえって警戒感を覚える。みどりの方も、納得しかねる、という表情をしていたが、数字の話でもあるのでうまく反論もできないでいるようだ。どうせコンサルタントなので、うまく言っているだけという部分はあるだろう。ただ、全くのでたらめというわけでもないだろうから、もう少し情報を集めてみてもいいかもしれない、と仁志は思った。第一、騙されていたとして、なくすものはそんなに大きくはない。そもそも手の込んだ詐欺にかけるほどの財産とも思えない。

「私の話を聞かれるだけではご心配でしょうから、一度実際に経営をされているところを見学に行かれてはいかがでしょう。その上で、やってみようというお積りになられたらご連絡いただければ結構です。具体的な手続きなどはお手伝いできますが、たとえば運営のための理念など事業の柱になる部分はご自身でお考えいただく他ありませんから」

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