第4話 居酒屋
まだ日が高かったので、どうせなら少しひっかけてから帰るか。そう考えていたところに、タイミング良く、谷沢という高校時代の同級生からメールが入った。時間が空いたので、一杯付き合わないか、という内容だった。学生時代から割に気の合う男で、家業を継いで小さいながら会社の経営をしていると聞いていた。まさか再就職の話をするつもりもないが、何かいい情報を持っていないだろうかという下心もあり、応じることにした。というより、恰好の暇つぶしの相手が現れたというところか。
阿倍野区と道路一本を隔てて向かい合っている天王寺の界隈は、日本一の高層ビルという阿倍野ハルカスを中心にずいぶん雰囲気が変わったが、JRの北側の商店街には昔ながらの居酒屋が並んでいて、仁志達には馴染みやすい。カウンターに並んでとりあえずの生ビールが心地よく沁みていく。繁華街の飲食店で働いていたが、外で酒を呑む機会は意外と少なかった。枝豆をつまみながら、肩の力が抜けていくのを自覚し、ここ数日は結構張りつめていたのだということを改めて実感する。
「で、どうやねん、最近会社の方は」
いきなり倒産の話を持ち出すのも、と思ったので、とりあえず相手に水を向ける。
「あかんなあ。もうかりまっか、ぼちぼちでんなあ、なんて言えてたのはえらい昔の話に思えるわ」
大阪に戻ってきてから年に一度か二度は会っているが、いつも同じようなことを言っている。あかんなあ、とは言っているものの、それが十年も二十年も続けられているのは、谷沢がそれなりに手堅く経営できているからだろう。そう考えると、自分の会社の話はかえって言い出しづらくなってしまったが、
「それより、お前の方はどうなってん。倒産したんやろ」
とあっさり切り込まれて、仁志の方が慌ててしまった。考えてみれば、それなりの規模の会社なので、情報はどこにでも出ている。知られていないはずがなかった。偶然を装っていたが、仁志が失業したことを知った上で、心配して、わざわざ時間を作って出てきたのではないかということに、今更ながら気づいた。
「うんまあ、晴天の霹靂ちゅうやつやな。社長にはかわいがってもろてたんで、何にも聞かされんうちに、いきなりおらんようになってしもた、ちゅうのはびっくりしたけど。まあ、しゃあないわな。飲食は特に、入れ替わり激しいから。そう考えたら、よう続いた方やで」
「晴天の霹靂、か。お前、店長やったんやろ。なんかそれらしい気配とか、なかったんか」
倒産そのものについては、確かに具体的には何も聞かされておらず、突然のことだった。ただ、それらしい気配と言われると、思い当たる節がなくもない。誰とも話したことはなかったが、こうなってしまってはどうなるものでもない。仁志はジョッキの中身を一気に流し込んで、お代わりを注文してから、ぼそぼそと話しだした。
「ちょっと、調子に乗り過ぎてしもたんやろな。最後の方は結構無茶な投資もしてた。実は俺も相談を持ちかけられたことが何回かあってな。危ないからやめといた方がええ、とは思てんけど」
「思てんけど?」
「言わんかった。まあ、俺が口出ししてどうなることでもないからな」
仁志は、光中社長夫妻の、漫才コンビのような調子のいいやりとりを思い出していた。突然連絡がとれなくなってしまったが、あの人懐こい夫妻は今頃どこで何をしているのだろう。そういえば、突然倒産し、放り出された割には自分も含め、社長への恨み言を言う人間はいなかった。もちろん、それどころではなかったという事情もあるだろうけれど、ある程度、従業員には慕われていたと思う。もしあの時、自分が反対して無茶な投資を取りやめさせていたら、もしかしたらまだ会社は持ちこたえていたのだろうか。いや、そんな甘いものではないはずだ。仁志は新しく運ばれてきたジョッキを口に持って行ったが、一口含んだだけで置いた。ビールがいつも以上に苦く感じた。
「……なんか、あの時と同じやな」
谷沢がやはりジョッキを置き、突き出しに出てきたどて焼きにはしをつけている。
「何のことやねん」
薄々勘付きながら、仁志はさっぱり見当もつかない、という反応をした。実際、頭の中から意図的に締め出しているために、何も考え付いてはいない。
丸岡のことや。あの時も、俺らが何か言うてもどうなるもんでもないって、お前は言うてた。忘れたわけやないやろうに」
谷沢は、一度つまみ上げたこんにゃくを、口の前まで持って行ってからまた小鉢に戻した。確かに、覚えている。けれども仁志は答える気にはなれずにジョッキを持ち上げて、今度は一気に半分くらいまで、中身を呑み下した。腹の底にまで広がる苦味は、ビールそのものから来るものではない。
丸岡は仁志達と中学校の頃からの同級生だった。肥満気味で、赤い頬と眉の上で横一文字に切りそろえた前髪のために、実際の学齢よりもいくつか幼く見られていた。どちらかと言うと大人しい丸岡は、同級生達からたかられていた。と言っても、不良学生から脅されていたりしたわけではなく、昼休みの購買部や、放課後の下校途中での駄菓子屋で、ジュースやちょっとしたスナックなどをせがまれていただけだ。初めは恐らく何のことはない軽いやりとりだったのだろう。けれども本人が断らないのをいいことに、要求はエスカレートして、毎日のように何人もの、時には十人以上の同級生達から取り囲まれるようになっていた。事情を知らない周りから見れば、きっとクラスの人気者、という風にしか映らなかっただろう。けれども、どう考えても高校生の小遣いの範囲で収まる遣い方ではないので、そんなことが続いて何事も起こらないはずがなかった。
格別に親しくしているわけでもなかったが、同級生達のそんな様子を見ていて、谷沢が何度か、
「放って置いたらまずいんやないかな」
と言ったのだが、仁志は
「俺らが何か言うたところでどうなるもんでもないやろ」
と取り合わなかった。気にならなかったというわけではない。どうすることもできないだろう、と思っただけだ。いや、余計なことを言って自分達に何かが降りかかってくるのも避けたかったというところもあっただろう。
それでなくても大人しかった丸岡が、輪をかけて無口になっていき、半年ほどその状態が続いた後、ぱったりと学校に姿を見せなくなってしまった。
「今、その話持ち出すか」
感じ取った苦味をそのまま表情に浮かばせて仁志が言うと、
「あ、いや、すまん。そんなつもりやないんや。なんとなく思い出してもうてな」
と素直に答えた谷沢は、どて焼きの小鉢を手に取って、一気にかきこむように食べた。
「それはそうと、金沢から帰ってきて、十年くらいやったっけ。結局お前が店長やってた店には行かず仕舞いやったなあ。サービスしてもらお、と思ってたのに。ああ、すいません、揚げ出し豆腐お願いします。それと生中もう一つ」
谷沢は手元のジョッキを干しながら言う。その様子を見て、仁志は少しからかってみた。
「相変わらずピッチ速いなあ。あてのチョイスもおっさんやし」
「おっさんに言われたないけどな。で、どうすんねん、これから」
本題に戻って来た。問われると、やはり話しづらい。
「一応ハローワークには行ってるんやけどな。なかなか、目ぼしいのが見当たらへん」
「ハローワークなあ。この年での就活はなかなか厳しいやろう」
言い終わるより先に生ビールが出てくる。谷沢はすぐにジョッキを手に取るが、
「うーん」
とうなったきり、口には持っていかないで、その景気よく盛り上がって、あふれ出しそうになっているその白い泡を見つめた。しんみりするのも、と思い、仁志は
「それにしても、今のハローワークは便利になったもんやな。全部パソコンで検索や。クリアファイルにはさんである求人票を一枚ずつ見ていくのと違うて、座ったままで簡単に検索できる。まあ、さすがに俺らが行けそうな求人は少ないやろうけど、あれやったらじき見つかるな、次のとこも」
とわざと軽い感じで言ったが、谷沢は少し眉をひそめ、
「難しいやろうな」
とため息交じりに答えた。
「なんでやねん」
仁志は思わずその顔を見返したが、
「お前、店長やってたんやから、人使うことを知ってるやろ」
「だから、そのキャリアを使うてやな」
「はじめから経営者募集してるんやったら別や。そやけど、あんまりそんな求人は出せへん。使われる側、を募集するんや。当然、一から仕事を教えることになる。そんな時に、お前みたいなキャリア持っているやつ、かえって使いにくいで」
言われてみれば、その通りだった。
「なんでやねん……」
まがりなりにもこれまでの経験がセールスポイントになると思っていた仁志は、返す言葉がほとんど声にならないくらいに小声になった。かすかな酔いも手伝ってか、改めて、自分の置かれた状況がのっそりとのしかかってきたことを感じた。谷沢は思い切るように生ビールを半分くらい飲み干してから、
「まあ、頑張ってくれよ。何かええ情報があったら俺も気いつけて見とくから」
と言った。仁志には呑み残した生ビールが妙に苦く感じられ、まるで呑みなれない若者のように、顔をしかめて飲み下すことになった。
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