第11話『黄色のマーガレット』


 翌朝、重くなった頭で目覚めた私は隣のレストランへ朝食を食べに行った。スポーツドリンクは飲んだはずなのに何故だ? レストランで選べるメニューは鮭の付いた和風モーニングとベーコンエッグの洋風モーニングのセットだけだった。


 時刻は七時を少し過ぎたところだが、すでに満席に近いお客がいる。恐らくこのホテルの宿泊客以上の人数が居る。きっと近所の人たちも朝食を食べに来ているのだろう。

 私はカウンターへと座り洋風モーニングセットを注文した。こんがりと焼かれた厚切りトースト。カリカリベーコンの目玉焼き。ポテトサラダとコーヒーも付いている。トーストにたっぷりとバターを塗って頂いた。分厚いトーストがサクリと小気味よい音を立てた。


 朝食を終えた私は部屋へと戻り荷物をまとめた。フロントへ行ってチェックアウトを済ませタクシーを呼んでもらった。


 タクシーに乗り込み行く先を告げる。

 ソラちゃんのお墓の建てられた霊園は街から少し南に行った山中にある。村田家に引き取られたソラちゃんは澤田の名を捨てることを嫌がり養子縁組を断ったそうである。その結果、村田家の菩提寺にお墓を建てられず空きのあった一番近くの霊園に祀られたそうである。


 途中、商店街に寄ってもらい花屋で花と線香を買ってきた。花は彼女と一緒に多摩川土手で摘んだ記憶のある黄色のマーガレットにした。ソラちゃんはいつもこの花で花冠はなかんむりを作って遊んでいた。花冠をかぶりはしゃぐ彼女の姿を思い出した。


 霊園は海を見下ろす高台にあった。眼下には濃い群青色の日本海が広がっている。まだ新しい霊園らしく建っているお墓は少ない。その中でソラちゃんのお墓は他よりも広い敷地を確保してポツリと寂しげに建っていた。私は手桶に水を汲みそこへ近づいた。



「会いに来たよ、ソラちゃん。久しぶりだね」


 私は真新しい澤田家のお墓に向けてそう挨拶した。

 お墓には沢山の色とりどりの花が添えられている。何故か同じ銘柄の日本酒の小瓶も沢山供えられている。そっか、成人した彼女は日本酒が好きだったのか……。


 私は古くなっている花を選んで花差しから抜き、持ってきたマーガレットに差し替えた。柄杓で水を掬い墓石を洗う。線香に火を灯し香炉にたてた。そして、冥福を祈り手を合わせた。


「……」


 特に何の感情も湧いてこない。ただ、在るのは喪失感だけだ。ぽっかりと口を開けた真っ黒な空白。かつてそこにあった何かを思い出すことさえ難しい。自分以外の人の死とはそんなものなのだろう。大きく空いた穴から心が零れ落ちていく気がする。

 これが決して初めてではない。高校時代、大学時代、画家になってからも何度も経験してきた。故人が身近であればあるほど心に大きな穴が開くのだ。


 二十年以上忘れていたソラちゃんにもそれを感じるのは、きっと私がソラちゃんに対して特別な感情を持っていた所為だろう。掛け替えの無い特別な感情。唯一無二の存在。たぶん彼女は私にとってそう言った人だったのだ。

 だけど彼女にはもう会えない……。


 ただ風の音だけが聞こえて来る。日本海から吹き上げてくる風が頬を優しくなでた。



 お参りを終えた私は帰宅するためにタクシーを探しに県道まで坂道を下った。

 JRの線路沿いの県道なのに驚くほど車が少ない。いや、全然走っていないと言った方が良い。仕方なしに私は最寄りの玉江駅まで歩くことにした。しばらく道なりに歩いていると駅舎らしきが見えてきた。しかし、周囲にタクシーは見当たらない。


 携帯を取り出し地図を調べた。昨日、村田家から歩いた距離と左程変わらない。結局、私は明倫学舎まで歩いて戻る事にした。


 本来であれば、ソラちゃんに会った後、島根の足立美術館と京都の美術館を巡るつもりだったが、今は流石にそんな気分にはなれない。私は早々に鎌倉のアトリエへ帰る事に決めた。


 明倫センターから高速バスに乗り新山口へ。新山口で昼食にカレーを食べて新幹線に乗り込んだ。

 座席に深く座り込みバッグからウイスキーを取り出した。ショットグラスに注ぎ一気に呷る。


 この旅は私に何をもたらしたのだろうか? 残酷な真実を突き付けられただけだったのだろうか? 失ったものは多い。

 だが、これだけは言えるだろう。彼女の死は自殺などでは決してない。多くの人が彼女の死を悼んでいる。きっとそれにふさわしい人生を送ってきたのだろう。私がその姿を見る事が出来なかったのは残念だ。


 別れ際の彼女の姿さえ思い出すことの出来ない私にはふさわしい顛末なのだろう。

 私は静かに車窓から流れゆく景色を眺め続けた。

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