第6話『ギャラリスト長谷川修(はせがわおさむ)』


 翌日の私は頭を抱えた。


「ううう、頭痛い……」


 二日酔いだった。

 昨晩は夜中まで悩みながら酒を飲んだ。気が付くとボトル半分ほどを飲み干していた。大学生時代はもっと飲めたはずである。随分と酒に弱くなったものだ。


 コップに水を注ぎ一気に呷った。普通の水なのに冷たくて大変美味しく感じる。体に水分が吸収されていく。そのまま量販店で買ってきたチープなソファーにへたり込んだ。


「これだから、お酒は嫌なのだ……」呟いてみた。


 そう言えば、お酒を飲まなくなったのも大学を卒業してからすぐの時期に、ひどい二日酔いになったせいだった。私はその頃から何も進歩していないらしい。


 時計を見ると時刻はすでにお昼前になっていた。とりあえず、何かをお腹へ入れようと思いキッチンへ立った。



 プルプルとインターフォンが鳴っている。ボタンを押した。


「よお、元気してるか。様子見に来たぞ」


 少し頭でっかちにモニターに映し出されたのは長谷川はせがわ先輩だった。


「はい、どうぞ」と答えてから開錠ボタンを押す。

 モニター越しの長谷川が開いた扉を中へと入りエレベーターへと向かっていった。


 私はポットへ水を注ぎセットしてから玄関のかぎを開けた。



「よお、調子はどうだ」


 長谷川は軽く声を掛けながら部屋へと入ってきた。今日の彼は黒縁眼鏡に黒のシャツに紫のスーツを着ている。どこのホストだ。


「いや、ちょっと二日酔いです。何ですかそのスーツ」

「ん? 今日はお客回りの日なんだよ。良いだろイタリアのブランドものだ。高かったんだぞ」

「はあ」気のない生返事を返しておく。


「それよりも、お前、酒を飲んだのか。珍しいな」そう言いながら長谷川はアトリエを見回して、真っ黒になったキャンバスを見つけ眉をひそめた。「まあ、程のほどにな。おお、これやるよ」

「何ですか、これ」細長い包みを受け取りながら私は聞いた。

「ん? ボルドーの赤ワインだ」

「嫌がらせですか」

「ちげーよ! 飲んでるなんて知らなかったから、気晴らしに持ってきたんだよ」

「ありがとうございます」丁度ポットのお湯が沸いた。「インスタントですけど飲みますか」

「おう、一杯貰おう」


 私は自分用にマグカップへコーヒー粉を入れお湯を注ぎ、長谷川には来客用のティーカップを用意した。二人で同時にカップを啜る。


「そんで、どうだ。もう、描ける様になりそうか」長谷川が聞いてきた。

「いいえ、まだ真っ黒です」

「そうか……。まあ、焦る事はない。お前の絵は時流には乗ってない分、流行り廃りが無いからな」

「それって誉め言葉ですか」

「誉め言葉だよ。それでも一応売れるんだから、大したもんだ」

「はあ、ありがとうございます。あ、そうだ明後日から二三日ここを空けようかと思ってます」

「何だそれ」

「ちょっと所用で山口の萩まで行ってきます」

「傷心旅行か」

「いえ、ちょっと人に会いに」

「ふーん……。ま、まさか女かー!」


 長谷川は妙に食いつき身を乗り出してきた。


「違いますよ。幼馴染に会いに行くだけです」

「女じゃ無いのか?」

「女性です」

「や、やっぱ女じゃないか! どうした! そうか、遂にお前もか!」


 ――本当に俗でうざったい人だ。こっちは二日酔いなのだから静かにしてほしい。頭に響く。


「お前もか、とは何ですか」

「結婚を見据えてな、お付き合いを考える事だよ。いやー良かった。お前そう言うのには全く関心が無いのかと思ってたわ」

「どう良かったか知りませんけど、そんなのじゃないですよ。会えるかどうかもわからないのに」

「ふーん、まあ、なんにせよいい傾向だな。今は色々やってみろ」

「はい、でも、もしこれで作風が変わったらどうします」

「ん? そん時はそん時でいくらでもやりようがあるんだよ。〝一皮むけた〟 とか 〝成長した〟 とか言って付加価値を付ければいくらでも売れるさ。それに元の作風ももう手に入らなくなるから値がつり上がるしな」

「嫌な商売ですね」

「何言ってやがる。夢を売る素敵な商売じゃないか」


 夢じゃなくちゃんと絵を売ってほしい。そう思いながらそれからも色々と話をして、お昼を大きく過ぎたところで「描けたら連絡入れろよ」と言放ち長谷川は帰っていった。


 結局、長谷川先輩にはソラちゃんの事は話さなかった。それは多分、先輩が私の事を気遣ってくれたおかげだろうと思う。昔から、ああやってズカズカと人の所に上がり込んでくるくせに、妙に気遣いも出来る人なのだ。やはりあの人は芸術家ではなく、根っからの商売人なのだ。


 それから、頭痛の収まった私は駐輪場の自転車を引っ張り出し、近所のうどん屋へ向かった。

 そして天ぷらうどんを注文し、少し遅い昼食を済ませた。

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