第173話.騎馬民族

 ――翌日の早朝。


 リガルは、ロドグリス王国の王都をった。


 いきなりの展開に、何故そうなったのかと疑問を覚える人もいるだろう。


 一体、この忙しい時期に、国王であるリガルが王都を離れて、何処どこへ行くというのか。


 その答えは、ヘルト王国の更に北――騎馬民族のもとである。


 彼らとの交渉のために、沢山の外交官を派遣してはいるが、その交渉は難航している。


 と言っても、まだ交渉を始めて数日しか経っていないので、難航していると決めつけるには、時期尚早と言えるだろう。


 しかし、それにしても感触の悪さは最初からあった。


 まぁ、そりゃあそうだろう。


 彼らの方からしてみれば、急に自分たちとヘルト王国の問題に、第三者が首を突っ込んできたのだ。


 ヘルト王国が属国になったのだから、当然のことだと理屈では分かっているものの、感情的な部分で納得がいかない。


 ということで、リガル自らがこの問題に決着をつけに向かったのである。


 まぁ、それだけが目的ではないのだが……。


 しかし、後一週間後には、エイザーグ王がロドグリス王国にやってくる。


 今からヘルト王国の更に北になど行って、一週間で帰ってこれるのかと思うだろう。


 訪問してくる人間が、他国の貴族程度なら王が不在でもいいかもしれないが、エイザーグ王自らやってくるとなれば、流石にリガルが不在では失礼すぎる。


 少し前までは、敢えてリガル不在の状態でエイザーグ王を迎えることによって、エイザーグ王国との関係を悪化させるというのは、逆にメリットになったかもしれない。


 だが今は、これからもエイザーグ王国とは仲良くやっていこうという方針に定まったのだ。


 それは出来ない。


 で、結局一週間で騎馬民族と話をして、帰ってくることなど出来るのか。


 その答えは、yesだ。


 もちろん、戦争における行軍のようなペースで進んでいたら、到底間に合わない。


 行軍は、基本的に徒歩だ。


 いくら荷物が軽いこの世界の軍隊とはいえ、一日に可能な移動距離は60㎞くらいだけ。


 また、少数だけの軍勢で、馬を使って移動したとしても、常歩なみあしなら時速5~6㎞程度であるため、その速度は人間と大して変わらない。


 しかし、今回はヘルト王国が味方になのだ。


 その上、現地に向かう人員は、リガルと数人の護衛だけなので、全員が馬に乗ることが出来る。


 早馬のリレーを使って超スピードで移動すれば、一週間で往復することなど造作もない。


 駆歩かけあしなら、速い馬は時速30㎞くらいの速度で進むことが出来る。


 その速さは、実に行軍速度の5倍だ。


 ロドグリス王国の王都から、ヘルト王国と騎馬民族の国境までの距離は、大体900㎞弱。


 かなりのハードスケジュールとなるが、1日に12時間進めば、2日半で片道を移動できる計算だ。


 つまり、往復で5日。


 交渉の時間は2日用意できる。


 相当に厳しいスケジュールである自覚はあるが、今のところリガルはこの交渉を成功させる他に、いい案を思いついていない。


 だから、やるしかないのだ。


 とはいえ、いくら頑張ろうとも、たった2日で全ての部族と話を付けることなど、不可能に決まっている。


 そこで、リガルは騎馬民族の中でも大きな部族だけをいくらかピックアップして話を付けることにした。


 その、リガルがピックアップした部族が、ナメイ族、マールー族、エカノド族の3部族である。


 それでも、非常に大変であることには変わりが無いが。


 本来なら、一つの部族に対して、最低でも3日は時間を取って、丁寧に話を進めていくべきだろう。


 それを、数時間で押し進めようと言うのだ。


 リガルが如何に無茶なことをやろうとしているかが分かるだろう。


 こんなこと、格上の国を相手に行ったら、失礼すぎて絶対に大問題になるはずだ。


(格下相手だし、条件さえ悪くないものを提示すれば、呑んでくれる……と信じたいところだ……。表向きの礼節よりも、利益を優先してくれる、合理的な奴であることを祈ろう……)


 そんなことを心の中で考えるリガル。


 正直、成功する確信はない。


 戦争などの、自分の力量次第でどうにでもなる物と違い、交渉事はどうしたって相手にも依存してしまう。


 常識的に考えれば、相手は間違いなく受け入れるだろう、という条件を提示したとしても、それを相手が呑まない事だってあるのだ。


 そこは、リガルがどうにかできることじゃない。


(はぁ……。あんまり脳筋なことを言いたくは無いんだが、どうやら俺はこういう面倒な交渉事よりも、戦ってる方がしょうに合っているらしいな)


 心の中でため息を吐いて、そんなことを思うリガル。


 しかし、苦手だからと言って投げ出すことも出来ない。


 まぁ、そもそも自分がやると決めたことだ。


 今更投げ出すつもりも無いが。


(そんなことよりも、交渉材料でも再確認しておきますかね。えーっと――)


 思考をリセットして、過去の事よりも未来の事を考えようとした時だった。


「うおぉっと!」


 考え事に集中しすぎたせいか、バランスを崩しかける。


 体幹がしっかりしているお陰で、何とか落馬はまぬかれたが。


「ちょ、大丈夫ですか?」


「あ、あぁ。流石に焦った」


 その隣で並走しているレオが、慌てたようにリガルに声をかける。


 早く走っているだけに、落ちた時の事を考えると全く笑い事ではない。


 馬から落ちたせいで計画が全て水泡にしたなど、あまりに間抜けすぎる。


(しかしこりゃあ、おちおち考え事もしてられないな……。油断してたら、マジで今度こそ本当に落馬しかねない)


 何と言ったって、時速30㎞もの速度が出ているのだ。


 そんな状態で考え事にふけっていたら、簡単に振り落とされてしまうだろう。


 しっかりと、常に体幹に力を入れておかなければならない。


 そう意味では、スケジュール的な大変さだけでなく、肉体的な疲労によるキツさも中々である。


(はぁ……。この前の戦争であんなにぼろぼろになったと思ったら、1週間後くらいにはもう似たような状況を体験する羽目になるのか……)


 それを考えると、まだ道のりの10分の1程度すらも進んでいない段階から、リガルは憂鬱な気分にさせられるのであった。






 ー---------






 ――翌々日の朝。


「はぁ、実に疲れた……。ヘルト王国領は超えたから、やっと少し気を抜くことが出来る」


 リガルはようやくヘルト王国領を抜け、騎馬民族が支配する、大陸の北にまでやってきた。


 ここまでくると、早馬のリレーも出来ないので、駆歩かけあしではなく常歩なみあしで進むことになる。


 タイムリミット的には非常に大変なのだが、このスピードならある程度気を抜いていても、落馬する危険性はかなり低い。


 昨日も一昨日も、ずっと気を張っていたリガルにとっては、ようやく少し気持ちを落ち着けることが出来る。


「ですねぇ。流石に私も限界です」


 そしてそれは、リガルたけではなく、レオを含めた護衛の皆もそうだった。


「はは、まぁこれ以降は楽だから安心しろ。とはいえ、話し合いの日程の方も、結構ハードスケジュールだから、全然ゆっくりとはしてられないんだけどな」


「それは陛下だけで、別に俺たちは関係無いのでは? 護衛なんだから、少し離れたところで見張ってればいいだけですし」


「…………」


 レオの言葉を聞いて、リガルは「確かに……」とばかりに黙り込む。


 あまりにその通り過ぎて、反論することも出来なかった。


 だが、そう思うと……。


(なんか腹立ってきたな。一番大変なのは俺だけかよ。よし……)


 一瞬不機嫌な顔を浮かべたかと思ったら、何故かすぐにニヤリと笑みを浮かべるリガル。


 完全に、何か良からぬことを考えている表情だ。


 それをレオもすぐさま感じ取ったが、かといって、どうにか出来る事でもない。


 何を言われるのかとビクビクしながら、ただリガルの言葉を待つ。


 そして……。


「お前も同席しろ。このロドグリス王国の王である、俺が許可する」


 悪い笑みを浮かべながらリガルは言う。


「やっぱりね! なんか良からぬこと言われそうだと思ってましたよ! ちなみに一応聞いておきますが、拒否しても良いですか?」


「ダメに決まってんだろ」


「何でですか!? 俺がいる意味無いですよね? そもそも陛下だってかなり戦闘力高いんだから、仮に不意打ちされたとしても、そう簡単にはやられないでしょう? それに、俺は近接戦闘は苦手ですし……。護衛ならもっと別の人が適任でしょうが」


 圧倒的に正論である。


 だが、そんなことはリガルも分かっていて……。


「理由なんて簡単さ。俺が地獄を味わうなら、相棒であるお前も当然道連れにされるべきだろ?」


 かつてないほど優しな笑みを浮かべて、レオに声を掛けるリガル。


「……いや、そんな笑顔で最低過ぎる台詞言わないで下さいよ。まぁ、実際別にいいんですけどね。それくらいなら。それに、交渉の方は陛下が全て行うのですし、結局私は常に姿勢を正しく保っていることが追加された程度なのでは?」


「……確かに」


 言われてみると、確かに大した道連れにはなっていない。


 まぁ、元々冗談に過ぎなかったので、そんなことはどうでもいいのだが。


 やがて、そんな下らない冗談の言い合いも飽きてきて、リガル達の間に静寂が訪れる。


 そしてしばらくした後、リガルがぽつりとつぶやいた。


「そういや、そろそろナメイ族と合流する予定だったと思うんだが……」


 一応、何のアポも無しに来ている訳ではない。


 出発すると決めたその日――つまり出発の前日に、「そちらに伺いたい」という内容の書状を送っている。


 まぁ、本当にスケジュールがギリギリすぎたため、返答は聞かずに来てしまっているが。


 ダメと言われたらそんな時考える、といった感じだ。


 かなり、行き当たりばったりである。


 まぁ、元々外交官自体は派遣していたのだ。


 それが受け入れられていることを考えれば、リガルが拒まれる可能性は非常に低い。


 そして、もしも受けてくれる場合は、「ヘルト王国との国境辺りから案内してもらえると嬉しい」みたいなことを書状で書いたため、ここら辺で合流できるはずだ。


 何せ、彼らは遊牧民であるがゆえ、常に拠点としている場所が変化する。


 その上、ロドグリス王国と非常に離れた場所にいるため、その居場所すらもおおよそでしか分からないのだ。


 案内してもらわなくては、いつまで経っても合流できない。


(うーん、大丈夫だろうか)


 リガルが心の中で、訪問を拒まれたのではないかと危惧していると……。


「あ、もしかしてあれじゃないですか?」


「うん?」


 レオが唐突に前方を指さして言う。


 それにつられてリガルも正面を向く。


 すると、遥か前方――。


 まだはっきりとは見えない。


 しかし……。


「おぉ、来てくれたか」


 リガルの目に、一風変わった装束を身に纏い、馬でこちらに近づいてくる一団が映ったのだった。

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