第172話.閃き

 リガルたちがロドグリス王国に帰還してから、3日が経過した。


 この3日というのは、帰ってきたその日は含まない。


 その間には、凱旋式やら祝勝会やら、「この忙しい時にやっている暇があるのか?」と言いたくなるような行事が行われたりもした。


 事あるごとに国威を示さなくてはいけないというのも、面倒であるが、必要なことだ。


 しかし、それ以外の時間は、ほとんど書類確認の作業に追われていた。


 王都の街では、ここ最近ずっとお祭り騒ぎが続いているが、一歩城に足を踏み入れてみると、そんな浮かれた雰囲気は微塵もない。


 特に文官は、毎日まともな睡眠を取る事すら許されないほどに、忙しい日々を送っていた。


 もちろんリガルも。


 だがそれも、時間の経過とともに少しずつ収まってきて、今は初日ほど酷くはない。


 特に、王であるリガルが目を通さなければならない書類などは、かなり届く頻度が少なくなってきていた。


 という事で、戦争が終わってから4日目の朝にして、ようやくリガルは執務から解放されたのである。


 まぁ、「一時的に」という前置詞が付くことを忘れてはいけないが。


 そんな訳で、現在はリガルのお気に入りスポットである、自室のベランダにて、眼下に広がる街並みを眺めていた。


 特に目的があっての行動ではないが、リガルはこうしているだけで無心になれる気がするのだ。


 だが、今日ばかりはそうはならなかった。


 目はどこか焦点が合っていなくて、街並みを眺めているというよりは、虚空を見つめているかのような感じ。


 そして頭の中には、エイザーグ王国との同盟関係についての問題が、嫌でもちらつく。


 今はせっかくのリフレッシュの時間なので、そういう政治的な問題は、頭から追い出したいのだが、気が付くと無意識のうちに考え込んでしまっている。


(マジでどうしたもんかなぁ……。いくら考えてもどうするのが正解なのか、全く判断が付かん)


 一応、エイザーグ王からの書状には、しっかりと返信を済ませた。


 その返信の内容は、「エイザーグ王の訪問を受け入れる」というもの。


 先延ばしにしても、仕方がない。


 だから訪問自体は受け入れるが……。


(問題なのはここからなんだよなぁ。エイザーグ王が今回の訪問で、どこまで同盟の問題について深堀りして来るつもりなのか。軽い牽制程度で済ませてくるのなら、こちらも国力に物を言わせて無視するという選択肢もあるが……)


 色々な可能性を、頭の中で予測しては、それへの対抗策をリガルはどんどんと考えていく。


 別にリガルも、同盟を解消したいと言っても、エイザーグ王国と敵対したいわけじゃない。


 現在の同盟関係だと、ロドグリス王国に不利になるから、解消したいと言うだけ。


 もちろん、同盟を解消するためにエイザーグ王国との関係が、ある程度悪くなってしまうのは仕方ないが。


 それでも、「ある程度」である。


 かつてのヘルト王国のような関係にだけは、少なくともなりたくない。


(それとも、受け身にならず、逆にこちらから仕掛けてみるか……。まどろっこしい駆け引きを抜きにして、腹を割ってリガル側の思惑を伝えてみるのも良いか?)


 最悪な展開は、双方の国が出来る限り利益を得ようとして、意地を張り続けてしまう事。


 ――現状維持を目指したい者と、現状を打破したい者。


 双方まったく逆の思惑を持っているかもしれないが、それでも互いに敵対したいわけじゃないというところは、共通している。


 リガルが同盟を解消したいことに、エイザーグ王も気づいているのなら、自分たちが本来譲歩すべきところであると言うのは分かっているだろう。


 落としどころは見つけられるはずだ。


 しかし……。


(今すぐってのはやっぱり外聞がいぶんがなぁ……。北の方でも少しゴタゴタしてたりするってのに、あまり醜聞しゅうぶんになるようなことをするのは、正直躊躇ためらわれる)


 仮にエイザーグとの関係を望むような形に持って行けても、それを今すぐにやるのは避けたい。


 今すぐにエイザーグとの同盟を解消すれば、大国になったからと言って盟友を捨てたという風に見られる。


 というか、見られるではなく実際その通りだ。


 戦乱のにおいて、弱者は切り捨てられるのがつねとは言えど、情を完全に捨てきるのは難しいのが人間というもの。


 少なくとも、良くは思われないだろう。


 それどころか、卑怯者と後ろ指を指されても、反論は出来ない。


 どんな選択をしても、結局はあまりよくない結末を迎えてしまいそうで、リガルの思考はまた振り出しに戻る。


「あぁぁ! ダメだ!」


 軽く苛立ったように頭をかきむしる。


 そして一度深呼吸をして、また思考の海に潜ろうとしたその時だった。


「あ、あれ? 殿下!?」


「うん?」


 不意に後ろから誰かの声がして、リガルは反射的に振り返る。


 そこには、懐かしい顔があった。


「あ、レイか。久しぶり。どうした?」


「え、いえ、ちょっと部屋の掃除を行おうと思ってきたのですが、まさか殿下がおられたとは……。申し訳ございません」


 リガルがいるのに部屋に入ってしまったことについて、ひたすら平謝りするレイ。


 ただし、一応ノックはしてある。


 しかし、リガルが考えごとをしていて気が付かなかったのだ。


 返事が無いと思ったから、部屋の中にはいないと思ってしまったのである。


 それに、戦争から帰ってきてからは、リガルは忙しくてずっと執務室に籠っていた。


 だから、まさか部屋にいるとは思わなかったのだ。


 後、リガルはレイの顔を見て「久しぶり」と言ったが、これも実はおかしい。


 リガルが執務室に籠っている間、レイは結構な頻度で給仕をするため、リガルと顔を合わせていた。


 ただ、リガルは仕事に忙しすぎて、給仕してくれているのがレイであることに気が付かなかった様だ。


「別にいいよ。ノックに反応しなかった俺が悪いわけだし。というか、俺はもう殿下じゃないぞ。即位式をまだ行っていないため、正式にそうだとは言えないが、もう俺はこの国の王だ」


「あ、そ、そうでした! 申し訳ございません。つい前までの癖で……」


「いや、別にそんなこと大して気にしてないんだけどね。一応さ、公的な場で間違えたら大変だし」


 何度も頭を下げるレイに、逆にリガルが謎の言い訳を始める。


 結局、レイが謝るのをやめるまで数分の時間を要したのち……。


「しかし、ノックが聞こえないほどとは、何か考え事でもされてたんですか?」


 レイがふと思い出したように尋ねる。


「ん? まぁね。戦争の影響が色々あってさ」


「あぁ、戦後処理の事ですか……。私はあまり良く分かりませんが、城内の文官たちが本当に忙しそうにしていることだけは分かります」


「ホントに大変だよ。ま、俺は一段落着いたからこうして休んでいるが、それでもまだ、今度のエイザーグ王の訪問やら、ヘルト王国と北方の騎馬民族の仲裁やらと、やることは山積みだからな……」


 辟易としたように、愚痴を並べるリガル。


「そういえば、ヘルト王国を実質的な属国にしたんでしたね。となると、これからは帝国が目下もっかの敵となる感じですか?」


「まぁ、まだ先の話だが、いずれはそうなるだろうな」


「なるほど。じゃあ、これからはヘルト王国とエイザーグ王国と我が国の、三か国で帝国に立ち向かう訳ですか」


「は? いや、ヘルト王国はともかく、エイザーグ王国とは今後関係を見直すつもり――」


 そこまで言って、急にリガルの口が止まる。


「……?」


 どうしたのかと、首をかしげるレイを差し置いて、一人思考の海に飛び込む。


(協力……か……。俺は今まで同盟を解消する事ばかりを考えていたから、そんなこと頭によぎりもしなかった。だが、冷静に考えてみれば、別に必ずしも同盟を解消しなければならないわけでは無いんだよな。俺が何とかしたいのは、エイザーグ王国との相互防衛という約束なのだから)


 しかし、そうは言っても、エイザーグ王国との相互防衛は、同盟の締結における条文の一つだ。


 だから、その条件だけを取り消すと言うのは、あまりに都合がよすぎるように、一見思える。


 しかし、リガルには秘策が思い浮かんでいた。


(そうさ。現行の同盟における条文に不満があるのなら、いいじゃない)


 同盟を新たに結び直せば、その条文を変更してもおかしくはない。


 これなら、新たに変更する条文の内容次第だが、波風を立てることなく、リガルの望み通りに事を進めることが出来る。


(新しく同盟を結び直すと言うのも、口で言うほど簡単なことではないだろう。しかし、俺はそれについても策がある!)


 一つの閃きが波紋を生み、そこからどんどん自分のやるべきことが明確になっていく。


「よし、思いついたぞ」


「……? どうかしましたか?」


 何かを考えこみ始めたかと思ったら、急に笑みを浮かべるリガル。


 それに対して困惑したように、レイが疑問の声を上げる。


「まぁね。レイにヒントを貰って天才的なアイディアを思いついたよ。エイザーグ王の訪問まで一週間。それまでにやらなくちゃいけないことが出来た。ということで、早速その準備を進めてくるよ」


 リガルは一方的にそう言って、部屋を飛び出していった。


 その表情は、面倒くさいというような雰囲気でありながら、どこか楽しげでもある複雑な様子を見せていた。


「えぇ……。別にヒントなんて出した覚え無いんですけど……」


 それに対し、部屋に残されたレイは、苦笑いを浮かべながらそう呟いたのであった。

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