第123話.剛腕

「ま、マズい……!」


 怒涛の勢いで、ヘルト王国軍魔術師を血祭りに上げていたアドレイアだったが、突然その動きを止めると、後方を見やり、呟いた。


「どうしたんですか……? って……!」


 困惑したような表情を浮かべながら、焦ったような声を上げたアドレイアに尋ねようとするオルク。


 しかし、どうやら答えを聞くまでもなく、自分でアドレイアが「マズい」と言った理由に気が付いたようだ。


 オルクがアドレイアに釣られるように振り向くと、そこには次々と川を渡ってロドグリス王国軍に地上戦を挑んできているヘルト王国軍の姿があった。


 どうやら、川というロドグリス王国軍の唯一にして最大のアドバンテージは、ヘルト王国軍に破られてしまったようだ。


(こ、これは……)


 正直、アドレイアはこの時敗北を確信した。


 新たに現れた1000の別動隊は、もうそろそろ何とかなりそうとはいえ、川の方を渡られてしまっては終わりだ。


 半分包囲されている上、普通に兵力的に2.5倍も上回られているのだ。


 こうなっては、アドレイアが滅茶苦茶強いとかいう次元の話ではない。


(川の方の対処に兵力を割くというのもあるが、これだけ突破されてると、足止めくらいにはなっても、完全に押し戻すことは出来ないか……)


 アドレイアは後方をチラリと見ながら、どうすればいいかを必死に考える。


 川の方はすでに100を超える魔術師が渡り切っており、今も続々と新たな魔術師が渡ろうとしている。


「ど、どうするんですかこれ……! こんなの勝ち目が無いですよ……!」


「うるさい。少し黙れ」


「……っ、す、すいません」


 慌てふためくオルクに、アドレイアが苛立ったように静かに言った。


 頑張っている人に頑張れというのは逆効果、という理論に似た感じなのだろう。


 ピンチであることなど、言われるまでもなく重々承知している。


 数秒間の逡巡の後……。


「こうなったらもう無理やりにでも別動隊を倒すしかない……! 300を援軍として川の方に送っておいて、時間稼ぎ。残りのこっちの700は突撃だ!」


 別動隊を撃破すれば、上手くこの場から逃れることも可能になる。


 こうなったら、普通に撤退することも考えたが、二方向を囲まれている状態ではそれも難しい。


 出来ても、ほとんどの兵はやられてしまうだろう。


 そうなっては、もはや撤退の意味があるのかどうか分からない。


 そこでアドレイアは、退くのではなく、進むことに活路を見出したのだ。


 別動隊を撃破し、勢いそのまま前に逃げる、という訳だ。


「……分かりました。行きましょう!」


 アドレイアの言葉に、オルクも覚悟を決めたのか、後ろを見て狼狽うろたえるのをやめて、正面の敵にロックオンする。


 それを見て、アドレイアもかすかに笑みを浮かべると、大きく息を吸い込み……。


「今、敵の別動隊を相手にしているロドグリス王国軍全員に告ぐ! 最早退路は断たれた! 私は命を懸けるつもりで、これより突撃する! 諸君らも私の後に続け! 活路は前にのみひらけるぞ!」


 怒鳴りつけるように叫び声を上げる。


 兵たちへの指示でも何でもない。


 理論的な説明は一切ない演説だ。


 だが、ただそれだけで……。


「「「オオォォォ!!!」」」


 ロドグリス王国軍の士気は最高潮に膨れ上がった。


 そして、それを皮切りにロドグリス王国軍はいきなり先ほどとは段違いの勢いで、攻撃を開始した。


「な、なんだこいつら! さっきまででも普通に強かったが、いきなり……!」


「く……防ぎきれねぇ!」


「落ち着け! 少し下がりながら時間を稼ぐようにすれば……ぐぁぁぁ!」


 なんとか敵も持ち堪えようと、必死に豹変したロドグリス王国軍に抗うが、櫛の歯が欠けるように、一人、また一人と倒れていく。


 まさに、圧倒的だった。


 川の方にさっき300の魔術師を割いたため、兵力的には1000対700で負けている。


 だというのに、そんな数的不利などは微塵も感じさせない。


 もともと大陸でも一、二を争うレベルの高さを誇るロドグリス王国軍魔術師が、アドレイアの覚悟によって最高潮まで士気を高められている。


 何より、魔術師たちも馬鹿ではないので、自分たちに退路がないことを分かっている。


 しかし、それを理解した上で、臆することなく背水の陣で挑んでいるのだ。


 ヘルト王国軍の魔術師とは、覚悟が違う。


 この強さも納得と言ったところだろう。


 しかし、川を渡ってくるヘルト王国軍魔術師の勢いも止まらない。


 ロドグリス王国軍がいくら高い質を誇っているからと言っても、ヘルト王国軍は数で圧倒している。


 やはり、アドレイアも予想はしていたことだが、300程度じゃ追加しても焼け石に水の様だ。


 完全に無意味かどうかは分からないが、少なくともパッと見て分かる変化はない。


 だが、それでもアドレイアは止まらなかった。


 後ろを振り返っても何の意味もない。


 アドレイアに率いられ、その後に追従するロドグリス王国軍魔術師たちも、振り返るつもりは毛頭なかった。


 こうなれば、どちらが先に足止めをしている相手の部隊を撃破するかの競争だ。


 しかし、アドレイアたちのヘルト王国軍別動隊を殲滅するスピードと、ヘルト王国軍による川の突破スピードは、ほぼ同じような速さで進んだ。


 このまま戦いが進めば、アドレイアたちがそれなりの兵力を維持して逃げることが可能であるように思える。


 希望が見えてきたかと、アドレイアは少しだけ安堵したが……。


「ぐあぁぁぁ!」


 その時だった。


 急に一際大きな叫び声が上がったりと、後方が少し騒がしい。


 しかも、声の大きさからして、かなり近い場所であると予測できるため、どうやら川の方で戦っている魔術師たちの物ではなさそうだ。


 後ろを振り返っても意味は無いとはいえ、流石にこれは気になる。


 アドレイアはチラリと一瞬だけ視線を後方に向ける。


 するとなんと、ヘルト王国軍の別動隊を攻撃すべく、アドレイアの後を追っていた魔術師たち。


 その最後尾が敵に襲われているではないか。


「そんなバカな……!」


 再びの驚愕。


 あともう少し、というところで、予想外の場所から敵が出現する。


(一体どうやって……。まさか、川を渡って大きく回り込んできたのか……!? 確かに、この状況なら少し雑な移動でも気付かないが……)


 普通はあり得ない。


 ここら一体は遮蔽物がないわけではないが、基本的には木がまばらにあったりするだけ。


 秘密裏に兵を移動させることなんてできない。


 それを狙うなんて、あまりに非常識だ。


 しかし、アドレイアたちが別動隊の登場に動揺しているところに畳みかけることによって、普通ならバレてしまう動きも、今なら成立すると、敵将であるポール・ロベールは踏んだのだろう。


 まさに大胆不敵。


 リスクや失敗を厭わない、剛腕すぎる戦略だ。


 これにはアドレイアも冷静ではいられず、動揺し立ち尽くした。


 このまま前後で挟まれれば、せっかく見えてきた一筋の光明も消え、あっという間に包囲殲滅されてしまう。


 後方は急な敵の出現によって、完全に混乱状態だからだ。


 つまり何か手を打たなければならないのだが……。


(この状態を打開することなんて、出来るのか……⁉)


 アドレイアは完全にパニックに陥った。


 こうなってしまったら、もう完全に負け戦だ。


 そう割り切って、自分だけでも逃げ出すことを考えた方が良かったかもしれない。


 一国の王が死ぬ影響は計り知れない。


 だが、アドレイアさえ生きてさえいれば、この戦は不利にはなるものの、まだまだ戦える。


 しかし、兵力を失ってはいけない――。


 ここで5000ものヘルト王国軍をフリーにしてはいけない――。


 そんな考えがグルグルと頭を駆け巡った結果、最早アドレイアに正しい判断を下すことは、不可能となってしまった。


「臆するな! 突撃あるのみだ!」


 折角上がった士気に揺らぎが生じている自軍の魔術師。


 それと、嫌な予感が頭をよぎってしまった自分自身にも向けて、アドレイアは叫んだ。


 選んだのは、このまま突撃を敢行すること。


 アドレイアの言葉に、何とかロドグリス王国軍魔術師の士気は保たれた。


 再び先ほどのような勢いで敵を蹴散らすか――。


 そう思われたが、今のロドグリス王国軍に、先ほどまでの勢いはなかった。


 士気は保たれている。


 疲れはあるが、それは敵も同じ。


 だというのに、何故勢いを失ってしまったのか。


 考えてみれば当たり前の話である。


 後ろから敵が追ってきているのだ。


 その分、正面の別動隊と戦闘する人数は減り、敵の殲滅スピードもガクンと落ちる。


 それに、いくら士気と質が高いとはいえ、かなりの時間戦闘していた為、ロドグリス王国軍側にも被害は出ている。


 そりゃあ、最初の様にはいかないのも当たり前だ。


 しかし、それに対してヘルト王国軍は、今も川を渡ってこちら側に魔術師を送り込んできている真っ最中。


 勢いは衰えるどころか、逆に増してきている。


 こうなって、いよいよアドレイアたちは追い詰められた。


 それでも、構うことなく前だけを向き、敵を攻撃すること1時間。


 ついに、ロドグリス王国軍は、アドレイアとオルク。


 それに僅かな数の魔術師を残すのみとなった。


 いくら化け物ぞろいのロドグリス王国軍と、正真正銘の化け物であるアドレイアとオルクとはいえ、もうずっと戦いっぱなしで、肩で息をするようになっている。


 それでも、ここまで戦い続けた彼らだ。


 心の底で敗北――いや、死を迎える可能性すら高くなっていることを理解しつつも、戦意を喪失することはなかった。


 そのまなこに、覚悟の炎を宿し、勇敢に戦い討ち死にするなら本望だとばかりに、周囲を取り囲む敵を睨みつける。


 しかし、そんな時。


 人垣の中から一人の男がゆっくりと歩いてきて、その中心にいるアドレイアたちに近づいてくるのだった。

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