第122話.見落とし

 ――そして、戦いは始まった。


 まず最初に口火を切ったのは、なんとヘルト王国軍ではなくロドグリス王国軍だった。


 まるでロドグリス王国軍が存在しないかのように、悠々と渡河の準備をするヘルト王国軍に、アドレイアが攻撃の号令を下したのだ。


 しかしヘルト王国軍も、流石にそんなことでやられるような間抜けではない。


 予測していたように素早く魔術師が動き出し、魔術のシールドを重ねると、すぐさまさらに後ろから反撃を行ってきた。


「……なるほど。これはどう見ても事前に練習を積んでいる動きだ。つまり、ヘルト王国軍は戦略でこの川を突破するつもりか」


 ヘルト王国軍がこの川を知らなかったとはいえ、川が戦場となる可能性は、どんな戦いでも存在する。


 そのため、ヘルト王国軍もあらかじめ川で戦闘が起こった時の対策を考えていたのかもしれない。


 その対策はぴったりとハマったようで、小舟を川に下ろし、そこに味方の魔術師と連携しながら、幾人かが乗り込んで、対岸にいるロドグリス王国軍に近づいて来る。


 だが……。


「多少小手先の策を引っ張ってきたところで、渡河と言うのはそんな甘いものでは無い!」


 アドレイアもこんなことで動揺するタマではなく、冷静に船に乗り込んできた敵を集中砲火して沈めていく。


 もちろんその間も、他の敵が川を渡ろうとするのを防ぐために、バランスよく敵に牽制を挟むのも忘れない。


 特別変わったことはしていないが、ミスのない安定した指揮だ。


 一瞬はヘルト王国軍が上手く動いたかと思ったが、やはり守る側の有利のお陰でロドグリス王国軍の方が押し返していく。


 一度は小舟を川に浮かべ、少し川を進むことに成功したヘルト王国軍だったが、10分ほど経過した現在は、再び川のほとりに立っての打ち合いとなっていた。


 こうなると数の有利が行き、ヘルト王国軍がまた押し返し始めるが、結局川を渡ることは出来ないので、戦いは一切進展しない。


 まさに一進一退だ。


 以来、膠着状態が永遠に続き、両軍ともに集中力が切れてきた頃だった。


 戦いの均衡がついに破れる。


 破ったのは……。


「陛下! 大変です! 右手より敵軍襲来! 数はおよそ1000!」


「な、何……!?」


 ヘルト王国軍だった。


 なんと、川を挟んで両軍が打ち合いをしている中、ヘルト王国軍は突如ロドグリス王国軍の側面にその姿を現したのだ。


 アドレイアは敵兵の数を慌てて数える。


「敵兵の数は3000……よりは間違いなく多い。恐らく対岸の兵力は、4000で変わっていないはず。つまり……!」


 ここに来て、アドレイアは自分が敵の策を見落としていたことに気が付く。


 4000の魔術師をヘルト王国軍は北上させた。


 そして、ざっとアドレイアが今数えたところ、3000よりは間違いなく多い数の魔術師が対岸には並んでいる。


 つまりは、ヘルト王国軍はそれとは別に、1000の兵力を別のルートで動かしていたのだ。


 わざわざ川の最北端まで3㎞というところまで来て渡河を始めたのは、別動隊1000とタイミングを合わせるため、という事だろう。


 ロドグリス王国軍は、敵の情報を一つ見落としてしまったのである。


 普通、どんなに情報収集に尽力しても、少しくらいはどうしたって見落としてしまうものだ。


 ただ、それでも今回、情報の見落としを計算に入れていなかったのは、別にアドレイアが間抜けだからという訳ではない。


(今回の戦い、こちらはヘルト王国軍の情報を、一つたりとものがすことなくすべて掴んでいた。だから、心のどこかで、敵の指揮官は自分の手のひらの上だと思い込んでしまったのだ……)


 全て上手く行っていることが、逆に仇になってしまった。


 ――全く、運がいいのか悪いのか。


 そんなことをアドレイアは思ったが……。


(いや、まさかこれも運ではなく、なのか?)


 これが偶然ではない可能性が頭を過る。


 ここまでアドレイアは都合がよすぎるほど、全て思い通りに事を進めてきた。


 今この状況になってみれば、アドレイアの油断を誘うための、敢えての行動であると思ってしまう。


(もしもそうだとしたら、敵将、ポール・ロベールは真の天才だ……!)


 今のところは、真偽は分からない。


 だが、今はそんなことは関係ない。


(落ち着け……。今はとにかくこの敵の攻撃に対処することが先だ。幸い現れた敵の魔術師はたったの1000。ならば、こちらも同数で相手をしつつ、対岸のヘルト王国軍4000には1000で対処する)


 敵が意図してこの状況を作り出していようが何だろうが、とにかくここは新たに出現した敵に対処するため、一刻も早く体制を立て直さなくてはならない。


 それに、敵も当然ロドグリス王国側にバレないようにしなければならなかったため、用意できたのはたったの1000の魔術師のみ。


 これなら、先ほどまでの楽勝な展開ではなくとも、そこまで苦戦することにはならないだろう。


 せいぜい、五分か若干劣勢かと言ったところだ。


 アドレイアは冷静さを取り戻し、魔術師の配置を急ピッチで進める。


 そのお陰で、どうにか交戦するまでには陣形を整えることに成功した。


「よし、陣形はとりあえず完成した。すぐに綻ぶという事も今のところはなさそうだが……。不安が無い訳ではない。俺も前線に出て敵兵を蹴散らす。ついてこい、オルク」


 だが、安堵している暇もない。


 アドレイアは早速前線に向かおうとする。


 とはいえ、一人では少し不安がある。


 昔までは基本的にアドレイアも一人で暴れていたが、最近では近年リガルが開発し、すっかり近隣諸国の間では魔術戦闘の基礎となった新陣形がある。


 あれの普及により、アドレイアといえど一筋縄ではいかなくなった。


 そのため、最近ではアドレイアも前線に出る時は、オルクにサポートを任せるようにしているのだ。


「……分かりました。もう何度も言ってますし、無駄だとは思いますが、あまり無茶はしないようにお願いしますよ」


「分かっている。行くぞ!」


「はい!」


 本当は、王が前線に出て戦うなどと言う真似をして欲しくないオルクだが、こればっかりは言っても意味がない事なので、大人しく従う。


 実際、アドレイアは一山いくらの相手に簡単にやられるような凡庸な魔術師ではない。


 単体でアドレイアよりも強い魔術師は、この大陸のどこを探してもいないのではないかと思うほどの強さを持っている。


 それを長い付き合いで知っているオルクは、最近ではそれほど危険な行為だとは思わなくなっているのかもしれない。


 ちなみに、オルクの戦闘能力も非常に高い。


 元々、先代王に高い魔力量を見込まれ、アドレイアの側近に就けられているため、魔術戦闘の才能と言う意味では当たり前に持っている。


 その上に、王子と同等の英才教育を受けてさせているのだ。


 弱い魔術師に育つわけがない。


 オルク自身も、非常に勤勉な性格をしているので、リガルの弟であるグレンや、エイザーグ王国の王子アルディアードよりも強い魔術師へと成長した。


 アドレイアと同等の実力とまではいかないが、それでも大陸の魔術師の中でも屈指の実力を持っていることはまず間違いないだろう。


 アドレイアの相棒としてはぴったりだ。


 しかし、残念ながら他にはオルククラスの側近はいないため、アドレイアは2人組で戦う事となる。


 本来は、攻撃、防御、サポートの3つの役割に分かれて戦うのが、リガルの編み出した新戦術なのだが、アドレイアやオルクのような強者きょうしゃになると、サポートの必要性もそんなになくなる。


 サポートと言う役割は、攻撃役や防御役がダメージを負った時にスイッチしたり、敵の攻撃が激しすぎて一人では防ぎきれない場合などに、防御に加わることを主な仕事とする。


 だが、アドレイアやオルクはダメージを受けることすら滅多に無いし、防げないほどの攻撃が来たら、全てを搔い潜って退くことが出来る。


 だから、サポート役が出てくる幕があまりないのだ。


 3人組を組むというのは、あくまで平均的な実力の魔術師による戦闘を前提に考えた策。


 アドレイアたちは例外だ。


 というか、出る幕が無いどころか、3人目にあまり能力の高くない魔術師が入ると、アドレイアたちの足を引っ張りかねない。


 突出した戦闘能力を持っているアドレイアが前線で好き勝手に暴れて、それをオルクが上手くサポートして守っていくという現在の戦闘スタイルが一番良いやり方なのだろう。


 そして、早速アドレイアは前線に立ち、戦闘を開始した。


 新たに現れた敵魔術師に対しては、ロドグリス王国軍側も同数の1000で対応しているので、魔術師の質の高いロドグリス王国軍が元から若干押していた。


 そこに、一人で戦況を覆すようなチートな存在であるアドレイアが、参戦したのだ。


 形勢が一気に傾く。


 このままロドグリス王国軍が一気に押し込み、決着が着くと思われた。


 しかしこの時、アドレイアは偶然にも後方を振り向き、ロドグリス王国軍にとっての悪夢をその目で捉えたのであった。

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