第124話.バトンタッチ

 人垣の中から、ゆっくりと何者かが近づいてくる。


 アドレイアも、一瞬動きを止め、そちらの方を注視した。


 そんな中、姿を現したのは……。


「流石は大陸最強の男と名高い、ロドグリス王――アドレイア陛下だ。どんなに不利になろうとも戦い続ける、その覚悟には全く恐れ入りましたよ」


 ヘルト王国軍総大将、ポール・ロベールその人だった。


 アドレイアはそちらの方に向き直ると……。


「貴様が、ポール・ロベールか」


 二人の総大将が相対あいたいし、言葉を交わす。


 両軍が魔術を打ち合うのを止めて、二人のやり取りを見守った。


 アドレイアは、ポール将軍のことを話で聞いているだけで、実際に会ったのはこれが初めて。


 しかし、その姿を見ただけで、アドレイアは直感的にポール将軍であると理解したのだ。


 まぁ、そもそも周囲の人間とは身なりが異なるので、よほどの馬鹿じゃない限り、予想くらいは着くだろうが。


 だが、アドレイアはそこで判断したわけではなく、ポール将軍の纏っているオーラで分かったのだ。


「えぇ。仰る通り、私がヘルト王国軍将軍にして、この戦の総大将を任されている、ポール・ロベールです」


 丁寧な言葉とは裏腹に、敬意など微塵も感じられない挑戦的な顔つきで、ポール将軍は言う。


 それに対し……。


「ロドグリス王、アドレイア・ロドグリスだ。戦いの最中に話しかけるとは、一体何の用だ? 降伏でもしたくなったか?」


 アドレイアも挑戦的な態度で返す。


 ここで話しかけた理由など、一目瞭然だ。


 アドレイアに対して、投降を促したいだけ。


 こうなっては、もうアドレイアに勝ち目はない。


 だったら、大人しく投降して貰って人質にする。


 そうすれば、この戦争、ロドグリス王国は降伏するしかない。


 ヘルト王国の勝ちで幕が下りる。


 その方が、アドレイアが死んで決着するよりも、ヘルト王国としては都合がいいのだ。


 確かに、アドレイアが死のうが、投降し人質になろうが、どっちにしろこの戦争はヘルト王国の勝ちで終わる。


 しかし、アドレイアが死んだ場合、ロドグリス王国とは永遠に和解できないような最悪の関係になってしまうだろう。


 ヘルト王国も、ロドグリス王国と仲良くしたいわけではないが、年がら年中激しい戦争を繰り広げたいわけではない。


 ヘルト王国だって、周囲に強敵はいるのだ。


 だから、ここは少しでもロドグリス王国との関係をマシにしておくため、アドレイアくらいは生かしておいた方が良い。


 例え殺さずとも、アドレイアほどの人質となれば、ロドグリス王国から得られる対価もだいぶ多いに決まっている。


「はぁ……。強がりはやめて下さい。いくらあなたが強いからと言って、それで何とかなるような状況ではありません。大人しく投降し、人質となって頂きます」


 ポール将軍は、強気な返答をしてくるアドレイアに、呆れたように嘆息しながら言う。


 この状況で、アドレイアが強硬な姿勢を取る意味はない。


 誰が見てもロドグリス王国軍の負けは一目瞭然だし、もちろんアドレイア自身も重々承知している。


 だからこそ、下らない茶番は疲れるだけなので、ポール将軍はさっさと済ませたかった。


 しかし……。


「投降? 冗談はやめてもらおうか。私は投降するつもりなど、微塵もない」


 揺るがぬ表情と声音で、アドレイアは気丈に言い放った。


「は、はぁ? い、いや、投降するつもりはないって……。すでに選択肢なんて一つしか無いんですよ! 投降しなければ死ぬ。そんなことくらい子供でも分かるでしょう!?」


 あまりに落ち着いた様子で佇むアドレイアに、逆にポール将軍の方が慌てた様子を見せる。


 まだこの状況で秘策があるのか、などとあり得ない疑いまで頭を巡った。


 仮にもし、ロドグリス王国軍すべてが今のポール将軍に襲い掛かってきても、もう100人もいないアドレイアたちなど、一瞬で全滅させることが出来る。


 どんな手を打っても、投降しない限りアドレイアは死ぬ。


 だからポール将軍には、あまりに落ち着き払っているアドレイアが理解できないのである。


 しかし、アドレイアに秘策など無かった。


(選択肢など一つしかない、ね……)


「バカにしないでもらおうか! 投降しなければ死ぬ? 望むところだ! 出来るものなら、この私を討ち取ってみろ!」


「「「なっ……!」」」


 アドレイアの宣言に、両軍の魔術師が驚きの声を上げる。


 そして、ポール将軍は、ようやく一つの可能性に至った。


「ま、まさかここで死ぬ気ですか!?」


 王であるアドレイアが死を選択するなんて、普通はあり得ない。


 だから、ポール将軍が真っ先に捨てた可能性。


 それを、アドレイアは選ぼうとしているという事に、ようやくポール将軍は至った。


「私はこれまで数えきれないほどの魔術師を、この手に掛けてきた。だからこそ、戦場に初めて出た時から、自分も命を奪われる覚悟くらい出来ている! さぁ、これ以上の問答は無意味だろう。さっさと死合おうじゃないか」


 そう言ってアドレイアは、一度収めた杖を再び抜き放つ。


 それと同時に、少し動揺していたロドグリス王国軍魔術師も、再び戦う構えを取る。


 そして、アドレイアが攻撃を仕掛けたことを皮切りに、両軍の戦いは再開された。


 王がこんなことを言っているのに、自分だけ震えているような、プライドのない魔術師は、ロドグリス王国軍には一人たりともいない。


 死を恐れぬ最強の魔術師たちは、数で圧倒するヘルト王国軍に囲まれる中で暴れ回った。


 が、いくら死を恐れず、士気も高く、元々の能力が高くとも、結局の所人間である以上、全方向を圧倒的な数の魔術師に囲まれている状態では、長くは持たない。


 最後に残った100ほどの魔術師も、時の経過とともに倒されていく。


 100人しかいないとは思えないほど、驚異的な暴れっぷりで大量のヘルト王国軍魔術師の命を奪ったが、それでもこの圧倒的な数の差は覆すことが出来なかった。


「おいオルク、一つだけ、最後に頼みがある」


 近くでまだ戦い続けるオルクと背を合わせ、アドレイアは小さな声で言った。


 しかし、それに対してオルクは小さく笑って……。


「そんなこと、言われるまでもなく分かってますって。死出しでの御供ぐらいさせて頂きますよ」


 覚悟はとうの昔に決まっているとでも言うような、曇りなき精悍な顔つきをしている。


 アドレイアが死ぬなんて状況、絶対に認めないというオルクが、何故アドレイアの衝撃的な決断に何も言わずに従うか。


 それは、すでにだいぶ前の段階から、オルクに伝えていたからである。


 1時間ほど前、ポール将軍の剛腕過ぎる策に、アドレイアは背後を取られ、ピンチに陥った。


 しかし、アドレイアはそれでも退くことなく、正面の敵を蹴散らしての突破を目指すことを決断。


 だが、ヘルト王国軍の圧倒的な数の前に、無情にもアドレイアたちはじりじりと囲まれていった。


 その時すでにアドレイアは、負けを悟っていて、オルクに逃げずに最後まで戦うことを話したのである。


 当然、黙って従う訳もない。


 王が死ぬことがどれだけ国を揺るがすかを、滔々とうとうと説いた。


 だが、そんなことは無論、アドレイアも分かっていること。


 しかし、それでもアドレイアは、この戦いで勝利しなければ、ロドグリス王国軍は衰退していく一方になると考えたのだ。


 確かに、ここで逃げ延びたり、投降したりしても、国が滅びないだけで、国力は確実に落ちていく。


 だったら、ここで仮に自分が死んだとしても、最期に少しでも暴れて敵の兵力を減らし、リガルにバトンを託すことが最善だと判断したのだ。


 その覚悟を理解したオルクに、最早反論することは出来なかった。


 だからこそ、アドレイアに最期までついていこうと思っていたのだが……。


「いや、違う。逆だ。お前だけは逃げろ」


「え……?」


 それをあっさりと否定されて、オルクは困惑する。


 確かに、アドレイアは魔術師たちを無駄に死なせたりはしない優しさを持っている。


 しかし、この場面でオルクを逃がすというのは、優しさというよりも、逆に魔術師としてのプライドを踏みにじる行為だ。


 アドレイアにそれが分からないはずがない。


「自分だけ逃げるような真似は出来ないって気持ちは分かる。だが、ここは俺の最後の頼みを聞いてくれ。お前にしか出来ない事なんだ」


 この注目されている状態で、アドレイア自身が逃げることは不可能だ。


 かと言って、そこら辺の普通の魔術師では、この包囲から抜け出すなんて到底不可能だ。


 だから、見た目は普通の魔術師と何ら変わらず、それでいて魔術師として高い能力を持つオルクにしか出来ないという訳である。


 それを理解したのか……。


「…………分かりました。そこまで言われて、断ることも出来ません」


「よし。なら行くぞ! 俺が道を切り開く。一瞬のタイミングを絶対に逃すなよ!」


「はい!」


 言葉を交わし、アドレイアは包囲の一点だけに集中すると、そこに向かって攻撃を開始した。


 先ほどの会話を聞いていたロドグリス王国軍魔術師も、それを援護する。


 一瞬だけ、敵の包囲が乱れる。


 そこにさらに苛烈な追撃を行い……。


「今だ行け!」


 オルクを送り出す。


 すぐにその姿は見えなくなった。


 もうこれ以上、オルクを逃がすために出来ることは、アドレイアには無い。


 残ったアドレイアのやるべきことは……。


(この命のが燃ゆる限り、一人でも多く敵を殺す!)


 ただ、暴れることのみだった。


 それから数十分後――。


「かはっ……!」


 アドレイアの胴に風穴が開き、その口から血が吐き出される。


 そして、足の力を保つことが出来ず、地面に伏した。


 最後の一人になっても、数十秒しぶとく粘ったアドレイア。


 だが、やはり人間である以上、この状況で倒されないわけが無かった。


(すまない、リガル……。また、お前に迷惑をかける結果となってしまった……。何と詫びればいいのか……。自分が情けなさすぎて腹が立つ。地獄へ行って、その報いを受けてくるとするよ……)


 倒れ込んだアドレイアが、心の中でリガルに向けて謝罪をする中、ポール将軍が近づいてきて、息を吸い込むと……。


「敵将、アドレイア・ロドグリスは討ち取った! 我が国の勝利だ!」


 声高にそう叫んだ。


「「「うぉぉぉぉぉ!」」」


 周囲のヘルト王国軍兵士が、バカみたいに叫び声を上げて歓喜する。


(勝利? 違うさ……。我が息子リガルなら、必ずやってくれる)


 薄れゆく意識の中、アドレイアはポール将軍に反論した。


 その表情は、不敵な笑みすら湛えていて……。


 そして間もなく、アドレイアは目を閉じたのだった。


「さて、貴様の父は討ち取ったぞ。俺はあの時の怒りを一日たりとも忘れたことは無い。次は貴様の番だ。リガル・ロドグリス!」

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