第99話.罠
「ふむ……。それはつまり、2年前の事は我々に非があると言いたいのか?」
2年前の事、というのは、もちろん同盟を結んだのにそれを破棄して侵略してきたことについてである。
今回、ロドグリス王国がヘルト王国に侵攻したのは、それが根本にある。
「非がある……とまでは言わないが、流石にあの言い分が苦しいことは自覚があるはずだ。だが、あのことで後々まで禍根を残すことになるのは、私は望まない」
「言い分が苦しい? 先王は条文に明記されていることに則って動いたまでだ。何もおかしなことは無いと思うが」
だが、ランドリアはとぼける。
それが屁理屈であることは、誰もが分かる。
しかし屁理屈だとしても、事実である以上、中々それに反論するのは難しかった。
最も嫌な言葉を返されて、アドレイアは一瞬苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたが、少し嘆息した後……。
「
「…………話を受けるわけではないが、一応聞いておこうか」
しばしの静寂の後、ランドリアはそう答えた。
話を受けないなら何で一応聞くんだよ、と突っ込みたくなるが、つまりはそういうことだ。
ヘルト王国としても、条件によってはアドレイアの要求を受け入れる気があるという事。
どうやら紆余曲折はあったものの、当初のリガルたちのシミュレーション通りに事は進んでいるようだ。
さきほどまでアホを演じてランドリアを煽ったりしていたリガルも、いつの間にか黙り込み、2人の話をじっと聞くことに徹する。
「なぁに、簡単なことだ。関税を撤廃してほしい。それだけだ」
「は?」
アドレイアの言葉に、ランドリアは呆然と呟く。
恐らく、もっと不利な条件が来ると思っていたのだろう。
しかし、思いの他ヘルト王国にとって損失にならない内容だったので、逆に肩透かしだったのかもしれない。
「それは、我が国のそちらの輸出品にかかる関税だけが撤廃される、などと言う訳ではなく、互いの輸出品の関税を撤廃するという認識でよいのか?」
「もちろん。私が求めているのは、我々両国の間で結ぶ、自由貿易協定だ」
ランドリアは、アドレイアが「関税を撤廃してほしい」とだけ言っていたので、まさか自国の商品だけの関税を無くせと言っているのではないだろうかと警戒し、尋ねたが、それもアドレイアはあっさりと否定する。
言葉遊びの
「本当に言っているのか」
「もちろん」
しかし、やはり信じられず、ランドリアは随分と困惑しているようだ。
必死にアドレイアの隠していそうな裏の意図を読むも、さっぱり理解できない。
ランドリアがここまで頭を悩ませているのは、もちろんアドレイアが出した条件はヘルト王国にとって損が無いからだ。
損が無い、というよりはメリットとデメリットが双方の国にあるため、互いにプラマイゼロ――とは言わないが、大した利益も大した損害も無い、と言ったところだろうか。
氷の魔道具を発明してから、最近他にも様々な便利な魔道具を次々に発明しているロドグリス王国にとっては、関税が撤廃されれば、よりヘルト王国に普及させることが出来て、大金がヘルト王国から流れ込んでくるだろう。
しかも、ロドグリス王国が発明した魔道具は、生活が豊かになる物の、戦争にはあまり役に立たない代物が多いので、いくら輸出してもヘルト王国の軍事力はほとんどアップしない。
無論、行軍中の野営が少し楽になった、程度の影響はあるかもしれないが、大したことではない。
しかし、メリットだけではなく、残念ながらデメリットもある。
それの最たるものが、やはり産業への影響だ。
基本的に関税と言うのは、自国の産業を保護するために設けられる。
例えば、自国では1000円で売っている商品Aを、貿易相手の国が800円で輸出してきたとする。
そうなると、仮に品質が全く同じ場合、誰だって800円の方を購入するに決まっている。
となると商品Aの生産者は、このままでは価格競争に敗北してしまうため、値段を下げざるを得ない。
こうして、生活に困窮してしまうという訳だ。
これを防ぐのが、関税である。
800円で輸出してきた時、関税を25%かけていれば、貿易相手の国が輸出してきた商品Aの値段は800円+関税200円の1000円となる。
こうすることによって、市場が荒らされるのを防ぐという訳だ。
しかし、その関税を撤廃しようとすれば、自国の様々な商品の生産者が騒ぎ出すことは予想できる。
まぁ、自国の生産者くらいならば、何とか収めることは出来るのだが、ロドグリス王国の場合はもう少し面倒なことになることもある。
例えば小麦。
小麦と言えば、主食であるパンの原料だ。
だが、小麦と言うのはあんまり暑い地域では育たない。
そのため、ロドグリス王国でも北部の方なら育つのだが、南部では育たず、ロドグリス王国の小麦の総生産量は近隣諸国の中ではアルザート王国と僅差の最下位だ。
そんな訳で、ロドグリス王国の小麦は、盟友エイザーグ王国からの輸入に頼っている。
しかし、そんな状況でヘルト王国との貿易が活発になったりしたら、どうなるだろうか。
小麦の名産地であるヘルト王国から、安くて高品質な小麦が大量に入ってきて、エイザーグ産の小麦はあっという間に駆逐されてしまうだろう。
上手く対処しなければ、友情に亀裂が入りかねない事態になる。
こういった感じに、関税の撤廃にはメリットもあるが、デメリットもあるのだ。
そして、それはヘルト王国も同じ。
アドレイアは、要求を聞いて欲しいと言っておきながら、公平な条件を提示したのだ。
そりゃあ困惑もする。
しかし、アドレイアとリガルには、ランドリアが読めなかっただけで、やはり裏の意図は存在した。
基本的に現代の地球では、貿易というのは経済、もしくはせいぜい外交くらいにしか関わってこないことだが、この世界では軍事にまでかかわってくる。
何故かというと、この世界での他国の情報の入手手段が、自国の商人からの伝聞が主であるからだ。
今回の戦争でロドグリス王国がここまで追い込まれてしまったのは、やはり事前の情報量が圧倒的に少ないにも関わらず行動を起こしてしまったため。
もっと活発に自国の商人が行き来していたならば、ヘルト王国の王位継承者が実は決まっていることも分かったかもしれない。
最も、ヘルト王国側も情報統制を頑張っていたようなので、確実にとは言えないが。
つまり、この関税撤廃の真の目的は、自国の商人をもっと沢山ヘルト王国に送って情報を得るためである。
だが、やはりこれもヘルト王国側も同じこと。
ヘルト王国からも同様に、これからは商人が沢山やってくるのだから、こちらの情報もどんどん流れてしまう。
結局ロドグリス王国にとって有利な条件になっていないじゃないか、と思うが、実はリガルとアドレイアはこれを使って、すでに次なる戦いへ向けた布石を考えていたのである。
しかし、ランドリアはそれを見抜くことが出来なかった。
実は、ランドリアは軍事には少し疎く、逆に内政や外交の面で秀でていた。
そのため、関税撤廃が軍事にまで影響を及ぼすことに、この場で気が付くことが出来なかったのである。
それにより、ランドリアは散々逡巡した末……。
「いいだろう。交渉成立だ。我々ヘルト王国は、ロドグリス王国と、3年間の相互不可侵条約及び、自由貿易協定を結ぶ」
かくして、事はリガルとアドレイアの思い通りに進み、戦争は2週間も経たずに終結した。
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