第98話.開幕

 ――翌日。


 リガルはアドレイアと共に、アウデスクーラというヘルト側の都市にやってきていた。


 もちろん、その目的は観光などではない。


 目的は、これから始まる和平交渉を行うためだ。


 会場は、この都市に居を構える、ヘルト王国でも指折りの大商会の本部屋敷。


 そして今、リガルとアドレイアは数人の護衛を連れて、その建物に入ろうとしていた。


 建物の周辺は、50を超えるヘルト王国の魔術師と思われる人間が見回っていて、蟻一匹通さないというほど厳重な警備だ。


 建物自体も、大国ヘルトで名を馳せている商会の本部というだけあり、王族が使う場所として相応しい、荘厳な見た目だ。


 流石のリガルも、これから始まる事の重大さを改めて肌で感じ、緊張感が湧き上がってくる。


 アドレイアも心なしか少しピリピリとした雰囲気を纏っているようにも見える。


「お待ちしておりました。こちらでございます」


 屋敷の入り口までくると、執事と思われる初老の男が慇懃な礼をしてアドレイアを案内する。


「あぁ」


 アドレイアも堂々と頷き、それに続く。


 少し硬くなっているリガルも、アドレイアの後を追った。


 門の内側に入り、中庭を抜けて建物の中に足を踏み入れる。


 建物内を歩いている人間に深々と頭を下げられながら、リガルたちは案内されるがままに進んでいく。


 そして……。


「こちらでございます」


 一つの部屋に通される。


 見た感じは、応接室のようだ。


 だが、中に人はいない。


 相手方の代表者であるランドリア・ヘルトはまだやってきていないようだ。


 ひとまずリガルとアドレイアは腰を下ろす。


 そして、案内をしてくれた執事が部屋を出るのと同時に、アドレイアが口を開いた。


「奴ら、随分と態度がデカいな」


「え、そうですか?」


 アドレイアの言葉に、リガルは意味が分からないと言った様子で返答する。


「いや、執事の態度が悪いと言っている訳ではなく、ヘルト王がこちらを待たせていることについてだ」


「あぁー、なるほど」


 基本的に、人を待たせるという行為は、目上の人間が行う事。


 アドレイアは、事前に決めていた時間である午前10時の5分前――つまり9時55分である今この場にやってきた。


 時間前に来ているとはいえ、結構ギリギリの時間だ。


 だというのにまだランドリアが来る気配すらないという事は、明らかにリガルたちのことを軽く見ているということ。


 それから、5分ほど待機していると、ついに部屋の扉が開き……。


「これは失礼、ロドグリス王。だいぶギリギリになってしまった。待たせてしまい、申し訳ない」


 ヘルト国王――ランドリア・ヘルトが現れる。


 時間は10時ぴったり。


 もしもこれが意図的ではない行動であったなら、それは王族にあるまじきあまりに非常識な人間であると言えるだろう。


 だが、その全く誠意が籠っているように思えない謝罪の言葉から、そうではないことが伺える。


 それに対して、アドレイアは内心少しだけ怒りを覚えながらも、冷静な表情を取り繕い……。


「いや、お気になさるな。それよりも、此度は私の申し出を受けてくれたことに礼を言いたい」


 ランドリアもアドレイアの対面のソファに座ると……。


「なに、出来ることなら戦争などしたくない。和平の申し出は喜んで受けるとも。それでは、あまりダラダラと世間話などをしていてもお互いのためにならないし、そろそろ本題に入るとしようじゃないか」


 笑顔で心にも思ってないであろうことをぺらぺらと喋っていくランドリア。


 リガルもアドレイアも、若く経験の少ない王だと、若干侮っていたが、随分と口がよく回るようで、意外と曲者の様だ。


 しかも、緊張している様子すらも見えない。


 かなり場慣れしているような雰囲気さえある。


 これには、2人とも警戒レベルを何段階か上げた。


「そうだな。では、こちらの要求から言わせてもらおう。私は貴国と3年ほどの相互不可侵条約を結びたいと考えている。要求はそれだけ――」


「何を言いますか父上!」


 だが、ここでリガルがアドレイアの言葉を遮り、叫ぶように声を上げる。


「おい、無礼だぞリガル」


 それをアドレイアが諫めようとするが、リガルは聞かず……。


「我が国がヘルト王国から受けたことをお忘れですか! 少なくとも領土の一つや二つは割譲してもらわなくては、私含め臣下も国民も納得行きませんぞ!」


 ランドリアの方をギロリと睨みつけながら高らかに言う。


 正直なところ、領土を要求するというのはあまりにやりすぎである。


 これでヘルト王国に対して優勢と言うのなら分かるが、互角どころか劣勢なのだ。


 これには、ランドリアの方も不快感を露わにする。


「ほう……。リガル王子、確かにあなたはポール将軍率いる我々の魔術師400を、にも倒したのだったな」


 口振りは冷静であるが、その返答から怒っていることが分かる。


 ランドリアの言っていることを意訳すると、「まぐれで400倒したからって天狗か?」と言ったところだろう。


 直接的な言葉を使わないのは流石だが、リガルもアドレイアもランドリアの本心は完璧に察する。


 だが、全く焦りはない。


 これはすべてリガルとアドレイアの打ち合わせ通り。


 さらにリガルは……。


「僥倖ではない。ヘルトの貧弱な軍勢では、いくら束になっても私には敵わない! 父上はあまり戦いたくないようだが、そっちが舐めた態度を取るのなら、私ももうひと暴れさせてもらうぞ!」


 リガルは怒鳴るようにランドリアを挑発するが……。


 この発言は嘘である。


 いくら最強の兵科であるスナイパーを持っているリガルでも、大軍を以って周囲を完全に包囲されて、補給線を絶たれれば流石にどうしようもない。


 とはいえ、敵がスナイパーについて詳しく知っているわけでもないので、そんな攻め方は思いつかない。


 だが、そんなことを知らなくても、リガルの発言がハッタリであることは何となくわかる。


 もしくは、ここまでのリガルの様子から、アホだと判断しているかもしれない。


 ランドリアがリガルをどう評しているかは不明だが、少なくとも、ランドリアがリガルの言葉を素直に信じてしまうようなタマではないことは確かだ。


「我々も平和を望んでいるが……。そこまで言うのなら、こちらも最後まで戦うのもやぶさかではないぞ?」


 一歩も引かないランドリアだが……。


 この発言も嘘である。


 確かにヘルト王国はもう戦えない、という訳ではないが、他国の干渉は怖いし、リガルの存在もやっぱり怖いし、エイザーグが援軍としてやってくるのも怖い。


 この戦争に勝てばいい、という訳ではないのだ。


 国家運営というのはこれからも続いていく。


 この戦争に勝っても、次の戦争で大敗を喫して国が滅亡すれば、この戦争に勝った意味が全くなくなる。


 それに対してロドグリス王国は、魔術師が減少するリスクは同じだが、敵国がヘルト王国より少ないというアドバンテージがある。


 エイザーグという信頼のおける盟友がいるためだ。


 そのためリガルは、ランドリアの言葉に対してさらに強気に出る。


「面白い。今度は400と言わず1000でも2000でも狩らせてもらおうじゃないか」


 が、やはりこれも嘘である。


 敵も猿じゃない。


 この前リガルが400の敵魔術師を倒し、大勝利を納めることが出来たのは、敵がリガルの誘いに乗ってくれたから。


 敵も一度失敗したことを再度繰り返すわけがない。


 そんな状況で1000も2000も倒すなど、不可能だ。


 流石にこれはランドリアも反論してくるとかと思ったが……。


「ははは、威勢のいいことだ」


 反論はしてこない。


 ランドリアはハッタリだろうと推測は出来るのだが、その理由までは説明できない。


 何故かというと、ポール将軍が戦いの具体的な経緯などを、ランドリアに報告していないからだ。


 ポール将軍は、若く才能のある将軍だが、プライドが無駄に高い。


 負けた戦いなど、報告したくなかった。


 そのため、ランドリアはリガルの言っていることがハッタリであるという確信が持てず、内心少しだけ恐れていた。


 だがここで……。


「ま、まぁまぁ……。リガル、お前もいい加減にしろ」


 アドレイアが険悪になってきたランドリアを宥めながら、リガルを止める。


 それから改めてランドリアの方に向き直ると……。


「ヘルト王、我々が受けた被害は互いに大体同数。ここは両者痛み分けという事で、無条件で相互不可侵条約を結ばないか? ――と言いたいところだが、こちらも2年前のことで我が国の貴族の間で不満が飛び交っていてな。少しでいいから譲歩してもらえないだろうか?」


 ここで、予定通りアドレイアが下手したてに出て、ランドリアを説得しにかかったのであった。

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