第53話.エレイア・アルザート

 ――ここは、ロドグリスから遠く離れた地にある、アルザート王国。


 その東部に位置するオースティン地方を治める、スクワージュ侯爵家の屋敷の一室。


 部屋の天井の中央にはシャンデリアが一つ。


 その真下には、長方形の脚の短い机と、それを挟んでソファが向かい合うように2つ。


 他にも、軽い装飾はあるが、家具と言える物はそれだけである。


 どうやら、談話室の様だ。


「殿下、長旅ご苦労様でした。それで……」


 奥に座っていた男が、手前に座る男に、丁寧な言葉づかいで労いの言葉を掛ける。


 奥に座っている男の名前は、ルーカス・スクワージュ。


 この屋敷の主である、当代のスクワージュ侯爵その人である。


 そんな彼が丁寧な言葉遣いを以って労う、対面に座る相手は、エレイア・アルザート。


 この国の第3王子にして、第2王子シルバ・アルザートと次期王位継承権を巡って、争っている張本人である。


 どうやら、エレイアは先程、この屋敷に帰ってきたところのようだ。


「あぁ、心配するな。全て、予定通りに事は運んだよ」


「そ、そうですか。しかし、本当に良かったのでしょうか。あのような条件でなど組んで……」


 ルーカスは、エレイアの言葉に、一瞬は胸を撫でおろすが、すぐに不安げな表情になって呟く。


「まだ言っているのか……。お前、この同盟を組む多大なるメリットが分からないのか?」


「め、メリットがあることくらいは分かります。今は内乱が発生している。帝国という、最も危険な国を、逆に我が国の味方に付けることが出来れば、他国への牽制にもなる。しかし、デメリットもあります」


 そう、帝国との同盟を組むことに、アルザート(と言っても、正確には、アルザートのエレイア派だが)としてはメリットがあるかもしれないが、帝国にはメリットがあまりない。


 となると、アルザート側から、何か帝国のメリットになるような条件を提示しなくてはならない。


 そこで、今回の同盟を組むに当たって、エレイアが提示したのが、メルフェニア共和国との貿易の中継を無償で行う事だった。


 一見、そんな小さな条件で、帝国が首を縦に振ってくれるのか? と疑問に思うような内容である。


 しかし、この条件は間違いなく、帝国に絶大なる経済的利益をもたらすものであった。


 メルフェニア共和国は、島国であるため、漁業が非常に盛んである。


 とはいえ、この世界の技術では、海産物は長持ちしないので、貿易には使えない。


 乾物ならば可能ではあるが。


 だが、近年が周辺国に出回り始めたことで、その常識は覆った。


 そのある物というのが、ロドグリス王国で発明された、氷の魔道具である。


 氷の魔道具で、海産物の鮮度を保つ。


 これにより、メルフェニアの経済は爆発的に潤った。


 そして、その貿易相手の国の一つである、アルザートも潤ったという訳だ。


 この利権は、大国である帝国と言えど、垂涎だろう。


 だから、この条件なら受け入れてはくれる。


 しかし、次に問題になってくるのが、その費用だ。


 アルザートは、帝国にこの貿易の中継を無償でやると言っているのだ。


 帝国とメルフェニアという、大国同士の貿易なら、量もアルザートと行う以上になるだろう。


 そうなれば、かかる労力は想像以上のはずだ。


 普通に大金を数十万枚の金貨を出すよりも、高くつくかもしれない。


「デメリットはそれだけではありません。帝国が我が国に大義名分を以って我が国に足を踏み入れることになれば、密偵なども忍び込んできてしまう。他にも――」


 他にも、沢山の問題点を並べ立てるルーカス。


 だが、それにうんざりしたエレイアは、ルーカスの言葉を途中で遮って……。


「あぁ、まぁお前の言いたいことは分かった。そして、そんなことは、俺とて元より分かってる。分かった上で、俺はメリットの方がデメリットを上回ると結論付けた」


「何故ですか! 帝国は確かに大国だが、国土が広い分、色んな国と国境を接しています! 我が国にそんな大軍を送り込めるはずがない。大した脅威にはならないと思いますが」


 そう。


 大国だから脅威になる、というほど、話は単純ではない。


 国土が広ければ、その分、民や得られる金は多くなり、国は潤う。


 しかし、その一方で、外敵も増えるというデメリットもある。


 民が多いため、豊富にいる魔術師も、そのほとんどは防衛に回さなければならないのだ。


 侵略に多くの魔術師を使うことなど、とてもできない。


 だから、一見ルーカスの主張は、好戦的ではあるものの、あながち間違っていないように思える。


 実際、エレイアもそう思っていた。


 ――今だけを考えるならば。


「いいか。俺が考えてるのは、今じゃない。この内乱に勝利して、俺がアルザート王になるのは前提条件だ。俺が見据えるのは、その先。アルザート王になってから」


「え……」


 突然の自信に満ち溢れたエレイアの言葉に、眼を見開いて驚くルーカス。


 しかし、なおもエレイアの話は続く。


「俺は、帝国と1年間の同盟を結んできた。しかし、この同盟。少なくとも俺が王である間は、ずっと続くと踏んでいる」


「ど、どういうことですか!?」


「簡単な話だ。お前は我が国がメルフェニアとの貿易でどれだけ儲かったか知っているだろう? メルフェニア貿易の旨味を一度知ってしまえば、もう我が国との同盟は切ることなど出来ない」


 そう。


 これは言ってしまえば、試食で客を釣って、商品を買わせるような作戦である。


 そして、一度その試食に食いついてしまったら最後。


 まるで麻薬のように甘美なメルフェニア貿易は、もう二度と手放せなくなってしまうだろう。


 帝国ほどの大国と、永遠と言っても差し支えない期間、同盟という対等な立場でいられる。


 それは、どんなデメリットをも打ち消す、メリットと言えるだろう。


「な、なるほど……」


「と、いうことだ。分かったか?」


「は、はい。流石は殿下です……。恐れ入りました……」


「ついでに言えば、この同盟を組むことで、帝国と仲が悪い東方諸国連合イースタルレギオンも牽制できる。1手で厄介な勢力を2つも抑え込んだという訳だ」


「……!」


 そういえば、とでも言いたげな表情を見せるルーカス。


 これまで、エレイア派の中でも、この内乱について幾度となく話し合ってきたが、東方諸国連合イースタルレギオンの話題は、あまり出てこなかった。


 そのため、すっかり頭から抜け落ちてしまっていたのだ。


 しかし、東方諸国連合イースタルレギオンも脅威であることは間違いない。


 しっかりと対策を打ったエレイアは、やはり抜かりが無い。


「こうすれば、残る侵略者は、エイザーグとロドグリスの2国のみ。しかし、こいつらに関しては、俺自身が何か対策をする必要も無く、撃退できる。あの愚かな父上が残してくれた、唯一の嬉しいのおかげでな」


 ククク、とエレイアは心の底から面白そうな笑みを浮かべる。


 しかし、それに対してルーカスが……。


「え? しかし、あの置き土産は、エイザーグにしか通用しないのでは? ロドグリスの方は、どうやって抑えるのですか? 確か、あの国は先日ヘルト王国と同盟を結んだとか。背後の憂いを断ち、盤石の態勢で侵略しようとしてきてますよ」


「ふふ……あほか。あの同盟に明文化されたに、まさか気が付いてないのか?」


「え、えぇ!? 私も一度目を通しましたが、至って普通の内容に見えましたが……」


「はぁ……やれやれ……。まぁいい。とにかく、ヘルトはロドグリスに攻め込むつもりだろうと、俺は思うがな。これは、正直対策の手が回らなかったので、幸運だった。後、残る問題は、お前に任せた、兄上シルバへの対策だぞ? 俺の事を心配していたが、お前の方はちゃんと俺の言ったとおりに出来ているのだろうな?」


「もちろんでございます。西部での戦いは、殿下のご命令通り、しておきました」


 その言葉に、エレイアは機嫌がよさそうに笑みを浮かべると……。


「そうか。で、ちゃんと兄上はこの罠に引っかかってそうか?」


「はい。シルバ殿下は、エレイア殿下の読み通りに動いてくださいましたよ」


 そう言って、エレイア同様に、ルーカスも笑みを浮かべる。


「よし! よくやったルーカス。これで、兄上シルバたちは、エイザーグとロドグリスが潰してくれるだろう……。敵を利用し、俺は高みの見物だ。全ては俺の掌の上。俺が王座に座る日は、もう目の前だな。さぁ、今夜は祝杯でもあげようか。はは……はははは……!」

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