第3話.授業

(と、思っていた時期が俺にもありました)


 ――8時。


 算数の授業が始まった。


 そう、始まったのだが……。


「えー、このように、2桁の足し算も、やっていることは1桁の足し算の組み合わせなのです。ただ、注意しなければならないのは――」


(なんだこれ……。2桁の足し算って……)


 そう、授業の内容は、2桁の足し算。


 日本でいうと、小学2年生の学習内容である。


 リガルの年齢は7歳であるため、年齢的には確かにぴったりの授業ではある。


 しかし、リガルには高校2年生の高崎想也の記憶がある。


 そのリガルからすると、2桁の足し算というのはあまりに下らない問題であった。


 授業という響きに、絶望していたリガルとしては、だいぶ拍子抜けである。


(まぁ、当然っちゃ当然だよな。この世界の俺の年齢を失念していた俺が悪い。しかし、こりゃ楽ではあるが、逆に今度は退屈すぎるという問題が浮上してきた)


 しかもこれが3時間も継続するのだ。


 むしろ、難しい内容の授業を受けるよりも地獄かもしれない。


(なんか、暇つぶしになるものないかなー)


 授業を行う講師の言葉を完全に聞き流し、きょろきょろと周りを見渡していた時だった。


「殿下、しっかり聞いていますか?」


 講師から声がかかる。


(おっと。あんまりあからさまに授業を聞いていなかったら、すぐに指摘されるよな。少しは授業内容を聞くか)


「もちろん聞いていたとも」


 リガルは心の中で反省しつつも、講師には嘘をついて、「もちろん」などと回答する。


「…………」


 しかし、そんなリガルを疑うような目で見つめる講師。


「な、何か?」


 流石に誤魔化せないか? と少し焦るリガル。


 素直に謝った方がいいかと考えていると……。


「では、この四角に入る数字が分かりますか?」


 そう言って、講師が出してきた問題は、「18+25=□3」というものだった。


(あー、これは繰り上げの話かな? でも、7歳の脳みそだったらまだしも、日本では16歳だったからね。流石にこの程度の問題を間違えるわけないよ)


「4でしょ」


 あっさりと答えるリガル。


「せ、正解です。聞いていたのなら大丈夫です……」


 そう言って、少しバツが悪そうに、授業を再開する講師。


 講師という仕事は、人にものを教える立場であるゆえ、多少の無礼は許される。


 しかし、それでも王族を疑ってしまったというのは、後ろめたい気持ちがあるのだろう。


 最も、王族の自覚がまだないリガルが、それを気にするようなことは全く無いが。


 その後も、そんなこんなで授業は進んでいき、授業も残り30分ほどという時間になった。


(ふぅ、この長い長い退屈な時間もようやく終わりか。何と言っても3時間だからな。大学の講義の一コマの90分よりも長い)


 先ほどまでは絶望的な表情をしていたリガルだったが、そろそろ終わりという事で、気持ちが少し上向く。


 だが、そんな時だった。


「それでは、最後に問題を解いてもらいます。今日やった2桁の足し算の問題を50問解いて頂きます」


 ボーっと、考え事にふけっていたリガルの目の前に、プリントが置かれる。


(うわ、めんどくせぇ。なんでこんな小学生みたいなことをやり直さなきゃならんのだ……)


 再び嫌な気持ちに引き戻されながら、ペンを動かすリガル。


 生気のない顔をしながらも、その手を全く止めることなくスラスラと記入していく。


「え!?」


 しかし、それを見て講師が驚きの声を上げる。


「ん?」


 それに対して逆に、何事だ、とばかりに少し驚きながら顔を上げるリガル。


「い、いえ、何故そんなに早く解けるのかと、驚いてしまいました。普段から殿下は優秀ではありましたが、流石にそんなに早く解けるものなのでしょうか……? 私にもそんなに早く解くことなど……」


「え? あ……」


 講師の言葉に、リガルは「しまった」と焦る。


 気が滅入めいっていたためか、ついつい普通に問題をこなしてしまったが、今のリガルは7歳の幼児。


 2桁の足し算は初めて解く問題である。


 それなのに、スラスラと1問を2秒もかからないペースで解くのは少し子供離れしている。


(あー、完全にリガル・ロドグリスを演じるのを忘れてた。俺が転生する前のリガルを知っている人間からすると、どう考えても不自然に思うよなー)


 リガルがこの状況をどう誤魔化せばいいものかと悩んでいると……。


「す、すごいですね殿下! もしかして今までは本気を出していなかったんですか!?」


 レイが、尊敬の眼差しでリガルを見つめる。


 実はレイも、リガルと共に隣で同じように授業を受けていたのだ。


 レイは、元々リガルの友達のような立場(本人はそう思っていないが)であるため、共に授業を受けるのは当たり前といえる。


 ちなみにレイはまだ1問も問題を解き終わっていない。


 算数は少し苦手なようだ。


「おぉ、そうそう。実は今日はお腹が空いててさ。さっさと昼食を取りたくて気がいちゃったのかな」


 それに対して、リガルはちょうど助け船が来たとばかりに、適当ないい訳をする。


 しかも、お腹が空いているなどというのは嘘である。


 日本にいたころは、基本的に朝食は菓子パンとコーヒーだったリガルからすると、今日の朝食はあまりに多すぎた。


 むしろ、今は満腹だ。


「そ、そうだったんですね……。なんという天才ぶり……」


(あー、なんか講師が畏怖するような視線を向けている……。なんだろ……悪い気分じゃないんだけど、ズルしてるようなもんだし、若干の後ろめたさがあるな)


 そもそも、リガルが意図して転生したわけでもないし、ズルということはない。


 しかし、足し算くらい義務教育を終えているものならこなせるのは当然だ。


 当然のことをして褒められるという事に、どこか居心地の悪さを感じてしまうのは、誰でも同じなのではないだろうか。


(でも、ま、これで授業は終わりだ! もう帰ってもいいよな?)


 リガルは早くこの暇すぎる時間を終わらせたくてうずうずしだす。


 だが……。


「ですがリガル殿下。いくら早く終わっても、授業時間中は部屋には戻れませんよ?」


 講師の無情な言葉が部屋に響き渡る。


「…………」


 その言葉に、しばらくリガルは硬直し、その後、がっくりと項垂れるのだった。




 ----------




「それでは、本日は魔術射撃の練習をしましょう。最初はファイヤーランス、ファイヤーボール辺りから行きましょうか」


 リガルが昼食を食べ終え、午後の授業――魔術実技の授業が始まった。


 この授業は、城内にある訓練場で行う。


 屋内ではあるのだが、学校の体育館ほどの広さがある。


 流石は王家といったところだろうか。


(うおお、魔術! ファイヤーランスとかファイヤーボールとか、いかにも異世界らしいじゃないか!)


 しかし、リガルは部屋の広さなど全く気にせず、完全に魔術という異世界らしいものに心を奪われていた。


「では、こちらの杖をお使いください、殿下」


 講師に杖を渡されて、射撃の的がある場所に案内される。


「あ、あぁ」


 ワクワクしながらそれを受け取り、杖を早速構えてみる。


 しかし、そこでリガルはふと気が付く。


(てか、魔術を打ってみるって言ったって、打ち方が分かんないじゃん)


 厨二病が再燃さいねんし始めて、すっかり根本的な問題を忘れてしまっていたリガル。


 杖を構えたまま、どうしようかと悩みこむ。


 そして、自身に植え付けられている、転生前のリガルの記憶を探っていく。


(ふむ……魔力をこの杖に流し込めばいいのか。とは言っても魔力の流し方なんて……いや、分かるぞ!)


 リガルが、魔力を流そうと意識すると、自然と体が魔力を杖に流し込んだ。


 もはや、考えるまでもなく体が覚えてしまった動きの様だ。


 杖の先端に取り付けられた水晶のようなものが光を発する。


(あ、ちょまっ)


 リガルとしては、まだ心の準備が出来ておらず、自分でやったことだというのに不意を突かれた形になる。


 もちろんキャンセルなどできない。


 ボワッ。


 杖の先端から、火球が勢いよく飛んでいく。


 一般道を走る車よりは余裕で速度が出ていそうだ。


 時速100㎞弱くらいだろうか?


 しかし、自分の意志に反して放ったため、30mほど先に設置されている射撃用の的には当たらず。


 的の右側を通って、奥の壁に激突した。


「あ……」


 小さく、焦りの声が漏れる。


 リガルの放ったファイヤーボールの魔術を受けた壁は、黒いもやを出す。


 これはヤバいか? とさらにリガルの焦りが強まる。


 しかし、それは杞憂だった。


 もやが晴れて、その壁を見てみると、特に傷ついた様子は見られなかった。


「ふぅ……」


 安心してため息をつくリガル。


 そりゃそうだ。


 訓練場の壁が、魔術を一発受けた程度で壊れていたら、まともに練習出来やしない。


(もう一回。今度はしっかり狙いを定めてから……)


 遠くの的に、時間をかけて狙いを定める。


 そして、納得がいったところで魔力を流す。


 再び火球が、的を目掛けて飛んでいき……。


 バァン。


 今度はしっかりと的に命中する。


「よし!」


 2度目にして成功した喜びに、思わず声が漏れる。


(おお、なんかFPSを思い出すな。こういう射撃練習は、ウォーミングアップ代わりによくやるし)


 日本にいたころ、リガルは大のFPS好きだった。


「流石ですね殿下。射撃も優秀とは……」


 算数の授業の時と同様に、一緒に授業を受けているレイが、隣でリガルをほめる。


 しかし、そんなことを言いながらも、レイは一発で的にファイヤーボールを当てている。


 リガルよりも全然優秀だ。


 それはリガルも見ているので……。


「いや、俺よりもレイの方がよっぽど凄いだろ」


「いえ、そんなことは……」


 口でリガルの言葉を否定しながら、さらに魔法を放つ。


 まるで力量差を見せつけるかのように、今度は連続でだ。


 一発目は自分の目の前の的に。


 そして二発目は、狙いを変えて、リガルの前にある的を間髪入れず攻撃した。


 もちろん、外れたりはしない。


(おお! 鮮やかなフリックエイム!)


 レイの高い技術に、素直に驚くリガル。


 フリックエイムとは、狙った場所に一瞬で照準を合わせる技術の事である。


「やっぱりレイの方が凄いじゃん!」


 少し不貞腐れたように、リガルが言う。


「え、えへへ、そうですかね?」


 そう言われたレイは照れたように返答する。


「くっそー、さては自慢してるな?」


 リガルは悔し気な声を上げて、自身の練習を再開するのだった。

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