第10話

 


 あんな豪語を謳ってしまった以上、もう引く事は出来ない。しかしその日の夜、確かに俺は布団に包まって「何てことを言ってしまったんだ」と目を強く瞑ったのも事実だ。俺たちで、大人に勝つことは出来るのだろうか。でも、佐島のあの顔、佐島のおばあちゃんの気持ちを聞いて、黙ってそうですか、と素通り出来る事は出来ない、良く言えばお人好し、悪く言えば出しゃばりの性格をした俺は、決めた事なんだから、やるしかねえとひとり決心を固めていた。

 しかし具体的に何をしたら良いのか。うちは歴史ある茶園とはいえど、島の政治に関しては声が弱い。これまで、良ければ好きなように、というスタンスでやってきたものだから、今更反対の声を上げたら、それこそ島内の一部の人間たちから干される事態になり兼ねない。ここは慎重にいかないと、俺も、俺の家族も、佐島の家族も大変な事になってしまう。閉塞感のある島の文化が築かれている以上、これは避けて通れない生理的な現実なのだ。

 あれ、そういえば。



「お前の家って、確か市議会の役員だったよな、父ちゃん」


 授業の休み時間。俺は隣に座る、いつも絡んでいる友達こと、五嶋に声を掛けた。五嶋はそれがどうした、と顔をしかめて、腕を組んだ。


「父ちゃんの話はあんまりすんなって言ったろ」

「ごめん。ちょっと気になる事があってさ。聞きたい事あるんだけど」

「何だよ。島の事なら俺知らねえし。聞くだけ聞いてやるけど」


 島内で進められている事業。佐島の住んでいる地域が観光地化される事。佐島の名前は出さず聞いてみると、五嶋は首を傾げた。


「うん、確か言ってた気がする。ていうか、その事、この前先生も言ってたじゃん。近々工事が始まるから、近寄るなって。それがどうした?」

「いや、どうしたって…その…」


 ダメだ、佐島の名前を出そうとしてしまいそうで、喉がつっかえる。俺は言葉を濁して、何とか上手く五嶋の父ちゃんと話せないか、と頭を悩ませた。そして、それは突然舞い降りて来た。


「そうだ、五嶋。お前の父ちゃん、うちのお茶好きだったよな」

「うん、好き。俺も好きだけど。それが、何?」

「うちで新茶がとれてさ、良かったら味見して欲しいなって。もしかしたら新商品の開発するかもしれなくて。それじゃあ、味を良く知っている人たちの見分を聞いた方が一番参考になる、かな、なんて……」


 何という適当。何という嘘っぱち。ごめん、母ちゃん、父ちゃん。帰ったらきちんと話すから、今だけは許してくれ、頼む。


「あ、そういう事か。良いけど。うちも結構忙しくてさ、お茶って疲れも取ってくれるから最近よく減るの。助かるわ、正直」


 五嶋は、よろしく頼んだぜ、と笑う。咄嗟の嘘っぱちだったが、何とか上手くいった、らしい。俺はインスピレーションをくれた神様に心の中で感謝して、帰宅してから母ちゃんたちにする言い訳を考えるように、脳をシフトチェンジした。



「馬鹿!嘘をつく子に育てた覚えはないよ、この馬鹿たれ!」


 帰宅して、母ちゃんに相談と言う名の謝罪をしたら、一言目がこれだった。こんな歳になっても、母ちゃんの怒号には慣れない。心臓がきゅっと縮まるのを感じた。


「ごめん、母ちゃん。嘘ついてしまったのは、五嶋にも、母ちゃんたちにも悪いと思ってて。その…でも、俺、佐島を救いたくて…」

「アンタね、父ちゃんがどんな苦労をして毎日お茶と向き合ってるか、想像した事あるんか!一言で「新商品」って言って、父ちゃんがどんだけ大変な思いをしてるか、アンタも目で見た事があるだろう!」

「ごめん、その通りだと思う。俺の、言葉がいかに浅はかで…父ちゃんたちの苦労を一言で片づけてしまったっていう、そういう申し訳なさは感じてる。でも聞いて欲しい。佐島が…」

「佐島くんの話は別。アンタの気持ちはよく分かってる。佐島くんの力になりたいって、そりゃ立派な事だよ。でもね、母ちゃんは、そこに怒ってるわけじゃない」

「…ごめん」


 正座をして項垂れていると、早千代、と父ちゃんの声が居間から聞こえた。父ちゃんは新聞から目を離さずに、言葉だけをこちらへくれた。


「感情的になったら、話したい事も話せないだろう」


 父ちゃんはそう言うと、新聞を捲る。母ちゃんは、父ちゃんに怒鳴ろうとして、言葉を飲み込み、深呼吸をした。


「…そうだね、その通りだ、父ちゃん。熱くなりすぎちゃったね」

「馬鹿息子の話はもう良い。佐島くんの為にやれる事を考えてやろう。大人として」


 父ちゃん、と母ちゃんの声と俺の声が重なった。


「島の事に口を出したら干されるなんて、そもそもおかしいだろう。良くする為の一案を声に挙げているだけなんだから」

「でも、父ちゃん。もしかしたら嫌がらせとかも、出てくるかもしれない」

「その時は、その時だ。また別の場所で茶をやればいい」


 父ちゃんは新聞から顔を上げ、茶を啜り、俺をしっかりと見据えた。その剣幕に、思わず生唾を飲み込む。


「お前は俺の息子だ。親が力になれなくて、どうする」


 その言葉に、母ちゃんは何か納得したらしい。俺は、父ちゃんの息子だ、とただ言われただけ、と思っていたが、長く寄り添っていると、否、子を持つ親になると、分かる事があるのだろうか。


「父ちゃん、お茶出たから淹れようか」


 母ちゃんは腰を上げて、居間へ父ちゃんの湯飲みを取りに行く。もう怒ってないか、ドキドキしてつい母ちゃんを視線で追ってしまうが、母ちゃんは急須を置いた土間へ消えた。母ちゃんの気配が遠ざかって、父ちゃんは溜息をつく。


「…ごめん、父ちゃん」

「お前の馬鹿さは今更何も怒らん。けどな」


 新聞を畳み、テレビをつける。バラエティ番組からすぐにニュースへ変えて、父ちゃんはこちらに視線を向ける事なく、まるでテレビに話しかけるように、ぽつりと言った。


「人への優しさだけは、きちんと持て。良いな」


 母ちゃんが土間からお盆に湯飲みを乗せてやって来る。代々大切に使われている居間の一枚板の机に、3つの湯飲みが置かれた。


「おいで。お茶飲もう」


 母ちゃんの声が柔くなっていて、俺は大きな安堵の溜息を殺しつつ、ありがとう、と一言言って、居間に座った。



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