第11話



「大人になりたくない」


 いつもの昼下がりの屋上で、開口一番、突いて出たのはその言葉だった。佐島は気にした様子もなく、母ちゃんの弁当をつついている。今日の卵焼きは甘い味だ。


「大人になったら色んな事考えなきゃいけない」

「それは子供だってそうです」

「そうだけど。俺達ってまだ守られてるから、そこに甘えられるじゃん」

「確かに、ボクもおばあちゃんにまだ甘えてばかりです」

「だろ?それが大人になると、全部自分で背負わなきゃいけない。大変だろ」

「でも、自由の身にもなれます」

「自由と責任は何とやら、じゃねえか。俺はそんな自由、いらねえなあ」


 俺は空を見上げて、溜息をひとつ。佐島はこちらに一度も目を向ける事はなく、黙々と弁当をつついている。


「少なくとも、ボクは早く自由になりたい」

「何で」

「その方が、おばあちゃんを助けられるから」


 佐島はそう言うと、やっと顔を上げて俺の目を覗き込んできた。相変わらず、何も宿していない、真っ黒な瞳だ。


「ボクは非力です。子供だから。それは仕方ない。けれど、大人になって、お金を稼いで、それなりの言葉を持つ大人になれば、おばあちゃんを助ける事が出来る」

「確かに、俺達があれこれ言っても、子供の言う事って片付けられる事多いしなあ」

「それは、とても悔しいじゃないですか。いち人間として、きちんと意見を持っているのに」


 佐島は食べ終わった弁当を畳み、ごちそうさまでした、と手を合わせた。いちいち綺麗で、いちいち律義で、俺と佐島の環境の差というのをたまに感じる時が時たまある。

 佐島は小さく溜息をつき、足をぶらつかせた。


「ボクは、もっと力のある大人になりたい」

「力のある大人、って?」

「政治家とか」

「政治家!?」


 思わず大きい声が突いて出てしまった。佐島は、しっ、と指を唇にあて、誰にも聞かれていないか、辺りをきょろきょろ見回した。ごめん、と言うと、佐島は俺をキッと睨む。


「政治家って…すげえ頭良くないとダメじゃん。コネもいるし」

「先輩、ボクの印象だけで話してません?それ。ボクがどんな人物で、どんな環境で育ってきたか、ちっとも分かってないじゃないですか」

「そりゃあ…」

「…そういう話、あまりしてこなかったから、当たり前ですけど」


 だろ、と言おうとすると、佐島は手で髪を撫でる。今日は北風が少し強く吹き込む日だった。


「ボク、実家が単身赴任で、母が海外出張って話したじゃないですか」

「うん。それで、東京育ち」

「それはどうでも良いです。…ボクの両親、政治関係の家系なんですよね」

「…それは……、」



 めちゃくちゃ住む世界が違う訳だ。

 俺は昼飯で膨れた腹、先生のお経のような授業に、眠気と戦いながらぼんやりと考えていた。

 佐島は、確かにどこか品があって、育ってきた環境が違うんだなと思う事が多々あった。それは礼儀であったり、言葉遣いであったり、雰囲気であったり、様々な面で、だ。うちで佐島をおもてなしした時も、あの母ちゃんのマシンガントークを上手く打ち返す話術であったり、とにかく、佐島には驚かされる事がよくある。

 親が政治家ならば、自分もそうなりたい、と思うのが普通なのだろうか。俺だったら、どうだろう。母ちゃんたちが政治家で、小さい頃からその背中を見てきて、母ちゃんが突然海外に行くから、と言って、離れた小島に住まわされて。おばあちゃんがそこにいると分かってはいるものの、やはり親は変えられない存在だ。寂しさとか、感じないのだろうか。

 引っ越した先で苛められて。俺だったら――。


「須々木―この問いの答えは何だー」

「俺ですか?俺だったら…非行に走ります」

「は?馬鹿かお前」


 バシン、と教科書の束で頭を叩かれる。いってえ、と声を上げると、周りが一気に笑い声で湧いた。


「そういう事は先生から隠れてやるもんだ。けど、暴力と酒とたばこだけは、絶対だめだぞ」

「そういうの、かなあ。俺、非行に走った事なくて分かんねえや」

「少なくともお前のその身なりの第一印象は、優等生とかけ離れた印象だけどな」


 また、笑いが湧く。俺は自分の髪の毛先を指でつまんで見る。そんなに俺って、ヤンキーっぽいんだろうか。体格は良いし、喧嘩をふっ掛けられる事も多いし。俺は一度も思った事はないけど、傍から見るとそうなのかもしれない。

 そんな事をしたらお前のお母さんは黙ってないだろうけどな、と先生にまた教科書でぽんぽん、と頭を叩かれ、授業に戻る。

 佐島ってやっぱり精神力が凄い人間なんだ。普通、あそこまで苛められたら、学校に来なくなるのも不思議じゃないし。それでも必死に耐えて、自分の夢の為に足を踏ん張らせているなんて、俺だったらきっと、折れているかもしれない。


「…ていうか、俺…結構無神経な事、佐島に話したな」


 ぼそ、と言う俺の言葉を、たまたま拾っていた隣の五嶋が「また佐島か」と突っ込んでくる。俺はそれに構う事なく、自分のやってしまった事への少しの後悔と、改めて、佐島という人物とは何ぞや、という疑問で、頭がいっぱいになっていた。



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