第9話



「佐島が、いない?」


 1年の教室を訪ねると、俺の風貌を見て「ひっ」と声を上げ、ビクビクした様子で俺の問いに答えてくれた1年坊は、もう堪忍してくれ、という目で俺を見上げている。教室内もすっかり静まって、視線は横目で俺を伺う、という、めちゃくちゃ申し訳ない空気になってしまっていた。


「何でいないんだ」

「し、知らない、です。早引きとか、何とか…。先生に呼び出されてて、何か聞こえたのは、」



 おばあちゃんが、事故に遭ったそうだ。

 俺は先生に託された連絡事項の書類をぐしゃぐしゃに握って、佐島の元へと走っていた。

 おばあちゃんは大丈夫なのだろうか。事故って、どんな事故だ。詳しい事を教えてくれなかった先生は、行くならついでに、と書類を突き付けてきた。

 お前、自分の生徒がしんどいのにそんなに飄々として、他人事みたいな態度とりやがって。我関せずでいれば、年度内本土に転勤出来るんだもんな。このくそったれ。お前みたいな大人が大っ嫌いだ。

 そんな事を早口で、大声で捲し立てた、気がする。職員室は静まり返って、言われた先生は顔を真っ赤にして、怒っていた。教頭やらを呼び出されそうになったタイミングで、俺は学校を飛び出した。もしかしたら、連絡がもう家にいっているかもしれない。それでも俺は構わなかった。先生すら、佐島の味方じゃなかったという現実が、信じられなかった。信じたく、なかった。

 大人は、子供に寄り添わなきゃ、大人じゃないだろう。

 俺は行き場のない怒りで、感情が昂ぶり過ぎて、何故か涙が溢れていた。

 佐島が一体、お前たちに何をしたって言うんだよ。



「佐島!」


 横開きの扉を力任せに開くと、目を腫らした佐島がパッと振り返り、目を丸くしていた。


「おばあちゃんの、容体は」

「…散歩していたら、後ろから来た車に追突されたみたいで。他県ナンバーだったから、多分、観光客だろうって。打撲だけだけど、頭打っちゃったから、一応検査で今日と明日、念のために入院するらしい。今は、寝てるだけ」


 落ち着いた佐島の声は、所々霞んでいた。頬が濡れ、乾いて、引き攣っている。佐島はいつもの無表情を通していたが、口の端や、目の端が時折痙攣していた。

 この子ひとりで、どんなに怖い思いをしただろうか。


「佐島」


 俺は先生に貰った書類を投げ捨て、佐島をぎゅっと抱きしめた。佐島はフリーズしているが、俺は構わず、ぎゅうっと抱きしめる。佐島の心臓が、バクバクと早まっていた。

 先輩、と慌てて身を捩っているが、俺は、佐島、ともう一度名前を呼んで、佐島の髪をくしゃっと撫でた。


「頑張ったな、佐島。怖かったろ」


 こんなに細っこい子供が、ひとりで抱えきる荷物じゃない。俺は胸がいっぱいで、佐島の髪をわしわしと何度も撫でた。

 すると、肩がじんわりと濡れていくのを感じる。

 次第に佐島は俺の背中に手を回して、子供のように声を上げて泣き出した。



「すみません、さっきは…あの、取り乱してしまって…」

「落ち着いた?」


 俺は自販機で買ってきたあったかいココアを佐島に渡す。ちょっと熱いかも、と言って渡すと、佐島は少し顔をしかめて、ほんとだ、と両手で遊ばせる。


「あー……安心した」


 深い溜息をついて、俺は項垂れた。佐島に見つめられている気配がする。どんな顔をしているんだろう。


「佐島、お前おばあちゃんと暮らしてたんだな」

「…はい。二人暮らしです。おばあちゃんはこの島にずっと住んでいて。両親が、というか、母親が海外に転勤になったので、こっちに来たんです。おばあちゃん、ひとりで心配だったし。それに…」


 佐島は言いあぐねて、目を逸らして、手元のココアに視線を落とした。


「それに、ボクは、母親の邪魔になるだろうと思ったから」


 温かいココアを持っているのに、佐島の指が、嫌に白く見えた。俺は黙って佐島の声に耳を傾ける。


「おばあちゃんは元々足腰が弱くて。すっかり畑もやめちゃったんです。集落の人たちもすっかり本土に移っちゃって、集落にはもうおばあちゃんとボクしかいないんです。観光地化っていって、一帯を整備するから、退去願いが出ていて。おばあちゃんの故郷を潰したくない。けど、ボクたちの声って小さいから。家一軒と、今後の利益を天秤に掛けたら、どっちが大事か分かるでしょうって、言われたんです。確かに、そうかもしれない。歴史って、そうして動いていくから。ボクたちは受け入れなきゃいけないのかもしれないって思ったんです。けれど」


 佐島は俺の目を見て、ふ、と何も宿さない笑みを浮かべた。


「おばあちゃんは、もういいよ、って」


 もう、たくさん頑張ってくれたから、私が退けば事が丸く収まるなら、それがこの島の運命なら、従うしかないね。

 そう言う、佐島のおばあちゃんの気持ちを、島の人間が一番分かってあげなければいけないのに。俺は、丸ばかりだと思っていた今の島の在り方に、とある角度の現実をぶつけられて、愕然とした。


「だから、ボクが大学に出るこの2年後を期限に、おばあちゃんのお家は、故郷はなくなっちゃうんです」


 佐島はそう言うと、ココアの缶を開けて、ひとくち飲んだ。


「…良いわけが、ない」


 俺の咄嗟の声に佐島は顔を上げる。


「良いわけが、ねえよ。そんな事。佐島、お前は、どれだけ自分を殺し続けてきたんだ」


 俺は立ち上がり、佐島の肩を掴む。いた、と顔をしかめるのも、気にしてられない程、俺は今、怒っていた。

 俺自身に、非情に、怒っていた。


「決めた。俺はお前とおばあちゃんの手伝いをする」

「手伝い…?畑なら、もうとっくにやめて…」

「違う。俺は、おばあちゃんの故郷を守る手伝いをするって言っているんだ」


 佐島は目を丸くして、へら、と笑った。


「どうやって?もう、手遅れですよ。先輩は知らないでしょうけど、おばあちゃんの家の前に、これ見よがしに既に「工事予定」の看板が立ててあるんです。おばあちゃんも、これで良いって」

「良くない」

「うちはもう決めたんです。ボクがこの島に来た、5年も前の時に。それで話はもう収まったんです。おばあちゃんも、もう身の回りの整理を始めてる。新しい家に移れるっていう、利点もあるからって、前を向いてるんです。だから、良いんです」

「良くない!」

「先輩がボクたちの何を知ってるんですか!」

「知らねえよ!知らねえけど、俺はおばあちゃんの事も、お前の事も、島の事だって思って、声を上げてるんだ!」


 佐島は、ぐっと詰まる。俺は病院で声を荒げてしまい、焦って声を潜めようとするが、感情的になった衝動は抑えられず、拳を握って熱を逃がしていた。


「俺はお前の事も、おばあちゃんの事も、ちっとも分かってない。お前がどんな生活を過ごしてきて、おばあちゃんがどんな気持ちでいるかなんて、これっぽちも分かっちゃいない。けどな、おばあちゃんの人生を、思い出を、目先の利益だ、観光だなんだっていう理由で全部掃いちまうのは、絶対に間違ってる」

「……そんな事言ったって、でも、」

「お前がこうして俺に話してくれた。それで何か変えられる事があるかもしれない。お前が非力だって、自分を責める必要なんか、ちっともない。お前は、お前なりにおばあちゃんに寄り添っていると思う。俺はおばあちゃんじゃないから分かんねえけど、絶対感謝してると思うから。だから、今度はこっちが、おばあちゃんをあっと驚かすサプライズを用意してあげるんだ」

「…だって、もう、…話は、ついてるから、」

「そんなのくそくらえだ。全部白紙にしてやる。やれる事をやってやろう。おばあちゃんの為にも、お前の為にも」


 俺は勢いに任せて佐島の手を取って、立ち上がらせた。ココアが床に落ちて、カン、と軽い音を立てて、中身をぶちまける。


「佐島、お前は現実、本土の人間だ。本土の人間が島の事を言うのは、相当な勇気が要ると思う。けど、俺がついてる。何なら、俺の母ちゃんも、父ちゃんもついてる。大丈夫だ。お前は勇気を持って、声を上げて良い。自分を主張して良いんだ」


 佐島の真っ黒な瞳から、ぽろりと涙が落ちる。また、顔をくしゃりとさせて、俺の手を掴んだ。


「…いいんでしょうか。ボクなんかが」

「お前だから、良いんだ」


 俺は佐島の手を握り返して、目を覗き込んだ。


「やってやろうぜ。若人がせいぜいあがいて、ひっくり返してやろうじゃねえか」


 そう言うと、同時に尻のポケットに入っていたスマホが震え「母ちゃん」と表示した。俺は、さっと顔が青ざめるのを感じ、恐る恐るスマホを取り出した。


「…ま、まずはうちの母ちゃんの怒りを収める事から、だな…」


 佐島は口に手を当てて、肩を震わせていた。



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