第6話



「いたいた~」


 クールに登場してやろうと思っても、やはり顔を見るとニヤけてしまう。俺は屋上にひょいっと足を踏み入れると、むすりとした顔の佐島の隣に座った。


「何で佐島が先に来たの?」

「それはこちらのセリフですよ。何でボクが先に…」

「来てくれたんだ」


 目をじっと見つめて笑むと、佐島は唇をへの字に結んで、顔を逸らした。

 俺はすっごく嬉しかった。佐島が約束を覚えてくれていたという事も嬉しかったが、来て、いなかったけど、俺を待ってくれていた事。しかも律義に、パンをふたつ持って。こんなに心が躍るのは久々だな、と足をぶらつかせると、佐島はぶっきらぼうにパンを押し付けてきた。


「昨日のお返しです」


 気にしなくて良かったのに、と言おうとすると、佐島が同じ文句を被せて言った。

「貴方はそう言うでしょうけど、借りたままは嫌なので。あ、あとハンカチはクリーニングに出してますから。少し待ってください」

「ありがとー。律義なのね。優しいんだから」


 しかも、きちんといちごジャムパン、ひとつだけ。どこまで几帳面なんだろうと俺はにんまり笑うと、佐島は怪訝そうな顔でじとりと見つめる。そしてすぐにパンを開けて、いつものリス食いでぱくぱくと食べていく。


「それだけで足りる?」

「それもこちらのセリフです。すみません、パンひとつしかあげられなくて」

「俺、もう早弁したから、結構良い感じのボリューム。食細いんだな、佐島。もっと食べて太れよ」


 おなかを突こうとすると「ふもっ」と不思議な声を上げて佐島は避ける。口にパンが入ってるのか。面白い反応をする奴だ。


「気安く触ります?普通。知り合って間もないのに」

「まー男子だし。そういうノリって、あるじゃん?」

「知らないです。少なくとも、ボクはお断りです」


 ケチ言うなよ、と俺もパンを食べる。いちごジャムの甘酸っぱさが、くすぐったいというか。今日は一段と身体をすっと逆撫でするような感覚が走った。


「いちごジャムって、もっと甘くて良いと思わねえ?」

「十分甘いと思うんですけど」

「いやあ、酸っぱいよ。このジャムだけかな?本土のジャムって、もっと甘かったりするのかな」

「同じですよ。どこでも、大抵は」


 そういえば、佐島と本土の話をするのは初めてだった。今更言うが、本土というのは島内の人間が言う「日本列島」の事で、大まかに言えば大阪とか、北海道とか、いわゆる一般的な日本の事を言う。島特有というか、何となく「うち」と「本土」で文化を分けたがる癖があるというか。何かにつけて「本土は」なんて話をするのが、我々島民の考え方だったりする。


「佐島ってどこ出身?」

「東京です」

「と、東京⁉ そんな都会っ子だったのか!」

「実家はまだ東京にあります。ほら、ボクって垢抜けてるでしょう?」

「垢抜けてるっていうか、こまっしゃくれてるっていうか。へー、良いなあ東京。何でもあるし、不自由しないってイメージ」

「まあ、そうでしょうね。普通は多分、そうだと思います」


 含みのある言い方をする佐島に言及をしようとしたが、佐島の真っ黒な瞳に何か、凪いだ海のような色が乗っていたから、言葉は喉を通って胃の中へ帰って行った。


「そういえば、佐島ってちょっと離れた所から来てるんだっけ」

「そうですね。車で来てます」

「大変だよなあ。高校、ここしか無いもんな」


 そうですね、と顔を真っすぐに向けて、一向にこちらへ表情を見せようとしない佐島に、どうしてここに来たのか、いつからここにいるのか、家族の事とか、色々聞きたいが、なかなか言葉が出てこない。しん、と空気が静まった。


「あ、初めてだ」

「何が?」

「先輩と居て、こんなに静かになったの」

「誰がお喋りマシンだ」

「本当、尽きないですよね。感心します。同時に、羨ましい、かも」


 ボクってほら、上手に喋れないから、と、佐島は制服から出てきた糸の端を弄りながら、声を細くして、ぽつりと零す。


「話せてるじゃん。こうして」

「それは先輩とだからですよ。普通のボクを知らない癖に」

「物静かでミステリアスって、ちょっと憧れるけどな」

「でもそれは、一緒に居たい理由にならない」


 佐島はやっと初めて、俺の目をじっと見る。俺の目の中の湖を覗き込まれているような感覚がして、むず痒くなった。


「罪滅ぼしですよね、結局。ボクとこうして居るのって」

「し、失礼な奴だな!」


 佐島はすぐに、でも、と言葉を繋ぐ。


「でも。楽しいです」


 静かに、面を叩く水滴のように、呟く。


「罪滅ぼしだとしても。同情だとしても。ボクは、嬉しい」


 あまりにも繊細な、声音だった。



 さようなら、と去って行った佐島の、少し残る体温に触れる。

 あの子は、どうして泣けないんだろう。どうして、涙を知らないんだろう。

 寂しいと、素直になれないのだろう。


「…馬鹿だなー、俺」


 髪をわしわしと乱暴に掻いて、頭を抱える。自分のこの不器用さが、昔から嫌いだった。もっと、きちんと、言葉を見つけられたら、佐島はもっと笑ってくれるに違いないから。


「……そうだ」


 俺は顔をバッと上げ、咄嗟の思い付きに、思わずニヤリとした。

 馬鹿は馬鹿なりに考えがあるんだぜ、佐島。


 良い事思いついた。



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