第3話



「佐島!」


 1年の廊下で大勢の視線を集めているのは俺――須々木だ。佐島、と呼ばれた見慣れた黒いきのこ頭は、パッとこちらを振り返った。同時に目がみるみる、丸くなっていく。

 佐島ってあの子?あの鼻血の…。ノイズが次々に飛び交い、それはざわめきと化していく。俺は構わず黒いきのこ頭に近寄り、腕を組んで見下ろした。

 一瞬、少年の――佐島の目に恐怖の色が浮かんだ。


「授業終わった?」

「…え、…はい。終わりました、けど…」


 俺は佐島の手を掴んで引っ張り、ずかずかと人を押し退けて歩いた。佐島の手からファイルやら教科書やらがバラ撒かれたが、それすらも無視した。後ろから聞こえる佐島の声がみるみる震えて、小さく萎んでいく。

 クソ、こういう時に限って、元来色素が薄くて明るい髪色に見える俺の髪が悩ましい。まるでいじめの対象を攫っていくヤンキーみたいな絵面だ。終いには佐藤は何も言わなくなっていた。

掴んだ佐島の手がじんわりと汗ばんでいくのを感じていた。



「ようし、邪魔者はいなくなった」

「…って、ここって…屋上…?立ち入り禁止じゃ…」

「良いんだよ。他の所いたら邪魔が入るだろ」


 佐島はさっと顔を俯かせる。身体が小さく震えているのをしっかりと見た。昨日の言い草は、所詮強がりに過ぎない。俺はそれを見通していた。


「佐島」


 俺は佐島の前に立ち、腕を再び組んで見下ろした。一向に目を合わせてくれようとしない佐島に、俺はだんだん胸が限界を迎えつつあった。そして、俺は衝動のまま、頭を下げた。


「すまんかった‼」


 暫しの静寂。そして、佐島の、えっ、という声に俺は更に頭を下げた。


「昨日、謝ろうとして、お前の強がりに気付けずに!そのまま帰ってしまった!」


 俺は佐島の目を見て、緊張で震える声で、情けない姿だなと客観的に思いながら、ひたすら謝った。


「…甘えていたんだ、俺は。それに…酷い事をした。謝っても謝りきれないくらい、酷い事を。それなのに気圧されたとか、何とか、言い訳ばかりして…友達には良い顔して。そんなの…許される訳がない。だから」


 佐島が息を飲んで、細い喉仏が上下するのを見た。


「赦してくれなくて良い。俺を罵倒しようが、軽蔑しようが、佐島、お前の思うままにしたら良い。でも、これだけは言わせてくれ」


 俺は深々と頭を下げて、額が膝につくくらい身体を丸めた。


「本当に、ごめん」



 次の授業のチャイムが鳴り響いて、長い時間そうしていたんだと改めて体感した。佐島は溜息をついて、顔を上げて下さい、と言ってから、顔を背けて、口を開いては閉じて、と繰り返していた。そうしてやっと、佐島の声が聴けた。


「…変人って、言われません?先輩」

「…何も考えてない馬鹿とは言われる。けど、良し悪しはきちんと、分かってるつもりだ。だけど…あんな事をしてしまって、俺…佐島にも、佐島の母ちゃんたちにも悪くて……」

「…ふふ」


 佐島は口を押さえて、肩を震わせている。きょとん、俺は膝に手をついて佐島を見上げていた。佐島は首を傾げて、目を細めた。

 そして、


「あのね。罰ゲームに付き合わされる方の身にもなって下さいよ」


 俺を、予想もしない俺を、予想もしない角度から、突き落とした。

 暫く、何を言われたのか分からず、言葉尻が頭に降りてきてから、えっ、とだけ声を上げた。


「違、罰ゲームなんかじゃ…本当の…」

「授業、遅れたの初めてだな。何言われるんだろ…鬱陶しいな」

「佐島…!」


 佐島は背を向け、屋上の扉に手を掛けて、顔だけこちらに向けて、歪に笑んだ。


「遊ぶつもりなら、勝手にどうぞ。さようなら」


 錆びた扉が閉ざす音が、非情に俺と佐島を隔てた。

 馬鹿野郎、と、行き場のない利己的な罪悪感が、胸を渦巻く。自己陶酔だけの謝罪、だったのかもしれない。俺は、心の底から申し訳ない、と思っていた。しかし、佐島には届かなかった。それは、もしかすると、やはり、少しだけエゴが入り混じっていたのを、佐島の黒い瞳が見通していたのかもしれない。


 かもめの声が、俺の心の底を笑うように、頭上を通り過ぎて行った



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