第2話



「マジうけるわー。普通ビックリしただけで出る?鼻血とか」

「俺、ガキの時にぶつけて以来出した事ねえよ」


 俺の机を囲んでゲラゲラ笑っている友達の声が、思考の片隅で嫌にこだまする。正直、うるさいな、と思っていたのだが、俺は窓から外を見て苛立ちを紛らわせていた。今日も海がきれいだ、なんて思っても、友達の嫌な笑い声は教室内を響かせている。そのうち、女子も「なになに?」なんて言って群がって来て、たちまち教室内はあの1年の少年の話題に持ち切りになった。


「あ、うちその子知ってるよ。いつもひとりでいる子でしょ?」

「顔きれいだからさ、良いよねって話してたんだけど。この前いきなり走り出してさ、先生たちもビックリしてんの。何?って」

「そしたらさ、顔覆ってて。よく見たら鼻血出てたんだよ」

「急に興奮する変態なの?って。めちゃくちゃ気持ち悪ってなってさー。超萎えたの」

「萎えたとかかっこいいとか、お前ら主観の話はどーでも良いけど、やっぱ急に鼻血ってめちゃくちゃおもしれえな」


 ゲラゲラと笑う友達を横目に、何が面白いんだ、と俺は罪悪感と戦っていた。ムスッとしている俺を見た友達が、肩に腕を回して寄り掛かってくる。


「何不機嫌な顔してんだよ。海そんな好きだっけ?」

「…まあ」

「いいなー海。今年も行けて良かったよな!来年も行きてーなー」

「来年って俺ら、島にいるかも分かんねえよな。卒業だし」


 卒業とか寂しい事言うなよ、と反応する友達の声と同時に先生が教室に入ってくる。授業だぞ、の一言で机に戻る俺達は、比較的良い子なのかもしれないけど。昨日の事で頭がいっぱいになって、正直授業とかどうでもよくて。

 先生も、あいつの事、変って思ったのかな。



 海見に行こうぜと言う友達の誘いを適当にあしらって、俺は昨日と同時刻にとある教室の前に立っていた。


「生物学部…」


 思えば、この部活って普段何してるんだろう。昨日は頭がいっぱいで何も考えられなかったな。ノックをするが返答がない為、恐る恐る中を覗き込む。中には誰もいないようだ。


「失礼します…」


 何となく悪い事をしているようで、声も潜まる。辺りを見渡すと、水槽やら試験管やら、生物というか、化学っぽいものばかりが溢れているが、きれいにきちんと整頓されていた。これもあいつがきれいにしているのだろうか。

 金魚をこんなに近くで見たのは、ガキの時に母ちゃんに連れてって貰った本土の水族館以来だ。こんなに大きくなるんだな。そういえば、金魚って仲間も食べて大きくなったりするんだっけ。何だか、無慈悲っていうか、弱肉強食っていうのはこういう事なのかなというか。

 何でも恰好の餌にしたがるのは、俺達人間と同じだな。


「あの」


 突然背後から掛かった声に俺は驚いて、背筋をピーン!と伸ばす。声が出なかっただけ褒めて欲しい。声の方を振り向くと、昨日の1年の少年が袋を抱えて俺を怪訝そうな目で見ていた。


「…また、いたずらでしょ?」


 その言い草にカチンときた俺は1年の前に立ちはだかり、距離を詰める。こうして見ると1年は結構、背が低かった。真っ黒で細い毛質の猫毛はすとんとまっすぐ眉の少し下あたりまで下りていて、形の良いきのこみたいなシルエットだ。


「いたずらじゃねえ」

「じゃあ、何ですか」

「何…、何…と、言えば…その……」


 1年は溜息をついて、袋を開けて水槽の前に立ち、スプーンで袋の中の物を掬い、水槽の中にそうっと入れていく。成程、それは金魚の餌だったのか。


「どうせ、からかいに来たんでしょ。変態って」


 聞いた事のあるフレーズにギク、となる。同時にゲラゲラ笑っていた友達と女子の顔が次々に浮かんだ。手に汗を握り、俺は1年に身体を向けた。


「違う。からかいに来てなんかない」

「じゃあ何ですか?また罰ゲームですか?」

「罰ゲーム、でもない」


 何だ、この少年には何もかもお見通しだったのだ。俺は急に恥ずかしくなって顔を背けた。改めて、なんて失礼な事をしていたんだ、と昨日の自分が恥ずかしくなった。


「いいですよ、別に」


 そう言う少年の声は無機質だ。歳相応とは、とても思えない。


「慣れてるんで、そういうの。今更どうこう思わないですよ」


 そう言って少年は机に腰を掛け、俺を見据えた。真っ黒な瞳は、何も宿していない。こちらの出方を伺う訳でもなく、ただ、どうぞお好きに、という感情だけは読み取れた。

 俺はそれにまたカチンときて、少年に再び詰め寄った。


「嘘つけ。お前、昨日顔赤らめてたじゃねえか」

「別に。生理現象じゃないんですか。誰しも、見られて気持ち良いもんじゃないでしょ」


 そう言われて、ぐっと言葉に詰まる。人の身体の事をネタにするなんて、改めて、残酷だと思った。女子も、友達も、俺も。


「用が無いなら出て行って貰えますか?いつまでも笑いものにされるの、慣れてるとは言えど、良い気持ちはしないんで」

「違う。俺は謝りに…」


 少年は手で制し、目を細めた。首を傾げて、心底だるそうに、俺を突き放す。


「情けとか同情とか要らないです。悪いっていう言葉も要らない。言われても何も響きませんよ。現に教室とかで笑ってるんでしょ?」

「そんな、俺は…」

「噂、回ってきてますから。ボクの教室まで。同学年の次は、3年の先輩に笑いものにされてるってね」


 カッと顔が熱くなるのを感じた。見られて、同時に俺は顔を俯かせる。それと同じですよ、と諭され、少年は水槽の前に屈む。金魚を見て、何か手帳を付けているようだった。少年の視界に俺はもう、入っていなかった。俺は黙って教室を後にする。


 俺はあいつらと違うと、胸を張って言えなかった。





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