第10話

 それからリディエータが通されたのは、応接間だった。


「聖都第一級警部リディエータ・ロズモンドです。アドルトゥエノフ公、この度はご公務でお忙しいところを、わざわざ時間を割いてくださり、誠にありがとうございます」


 椅子に腰掛けているアドルトゥエノフ公に対して最敬礼を行う。

 それに、公は手をあげてこたえた。


「堅苦しい挨拶はよろしい。おかけなさい」


 その目は威厳と優しさに満ちており、過去何度も味わった好色と蔑みの視線とはまったく違った。付き人もたった一人で、護衛というより、老執事のようだ。ほかの腐った貴族とは違い、まだ高貴な志を持つ貴族も残っていたのだ。そのことに感動を覚え、リディエータは対面の来客用の椅子に腰掛けた。


「先ほどの説法、拝見しました。とても、とても感動しました」


「ありがとう。それで今日はどういった用件でいらしたのかな?」


「あ、はい。いくつお聞きしたいことがありまして」


 いけない、あまりの感激にここに来た理由を忘れるところだった。


「実はこの監獄で行われている貧民狩りについてです。単刀直入にお聞きします。これを指示しているのは、アドルトゥエノフ公なのでしょうか?」


 彼は穏やかに肯定した。


「そうですが、それがどうかしましたか?」


 その言葉はあまりに優しさに満ちており、リディエータなどが問うことが間違いなのではないか。この方の真意には自分などでは判断できない深謀遠慮があるのではないか、と思わせるなにかがあった。


「い、いえ……、なぜ、そのようなことをなさるのでしょうか……と」


「神の正義のため、また貧民や罪人の魂の救済のためです」


 アドルトゥエノフ公は祈るようにロザリオを手にする。

 その言葉の響きに嘘偽りはなく、瞳には真摯さがあった。


 聖人。

 リディエータはその言葉を思い浮かべた。

 やはり違う。この方はベルトリアが言ったことには関係がない。そう思いながらも口は問いを発していた。


「なぜ、人々を捕まえ、監獄に入れることが、――魂の救済につながるのですか?」


「ふむ」


 アドルトゥエノフ公はひとつ頷くと、リディエータにこのようにきりだしてきた。


「君は東にある大国――サンスルエリアをどう思うかね?」


「え?」


 リディエータは思考した。

 サンスルエリア。

 東の大国。この聖国と隣接している国。そしてなによりも真っ先に思い浮かんだのは、民主共和国ということ。

 昨年革命がおき、王制を廃した。人民が身分もなく自分たちで国の主導者を決めている民主主義国家。


 それを初めて聞いたとき、自分の目指していたものはこれなのではないかと漠然と思った。

 貴族も、平民も、貧民もなく、ただ人が人として生きていく。

 国家の理想がそこにあると思ったことを憶えている。


 リディエータはアドルトゥエノフ公をまっすぐに見据えた。


「私は、すべての国は――あのようになるべきだと思います」


 この言葉は、王貴族を否定する言葉だ。公の場で口にしようものなら反逆罪に問われかねない。だがリディエータはあえてそれを言葉にした。


「私は生まれで……身分ですべてが決められている――貴族だから許される。平民だから貴族に傅く。貧民だから惨めな生活を送る。そんなことは間違っていると思います」


 目の前にいる聖人ならば、理解してもらえるのではないかと考えたのだ。


 だが、返ってきたのは、優しさと憐憫のまじりあった視線であった。


「身分とは神の定めた神聖な規律だと、私は考えています」


 その言葉に、リディエータは金槌で殴られたかのような衝撃を受けた。この方も、所詮は驕りたかぶった貴族なのか。このとき初めてリディエータは第一使徒に反感をもった。


「……っ、では、民が貴族に虐げられるのが当然だと、貴方は考えるのですかっ?」


 卓に両手をたたきつけ、気づけば腰を浮かしていた。


「虐げられた民は死後、生きてきた功徳を神が見定め、正しい処置をしてくださる。虐げた貴族は死後、必ず報いを受けることになるでしょう」


 アドルトゥエノフ公の言葉は厳かであり、真摯であった。


「ですが……っ、それでは生きてる間は、誰も救われないではないですかっっ!」


 再度、手を卓にたたきつけた。

 悔しくて堪らなかった。この方ならばわかってくれると思ったのだ。


 彼は我侭を言ってきかない孫を見るように、目を細めた。そこには確かに慈愛が見てとれた。


「では、現世に悪の限りを尽くした男がいたとしましょう」


 その言葉に、押されるように、リディエータは腰をおろした。


「男は貴族で権力におぼれていた。人を使い潰し、寿命が長くなると聞けば、百人もの赤子を殺し、その血を啜った。女と見れば子どもであろうとも誰かの妻であろうとも攫い、犯して捨てた。その男は暴虐の限りを尽くし、誰にも罰せられることなく老衰で亡くなった。人は男を裁くことができなかった。だが、我らが神はすべてを見ておられた。男の来世を貧民とし、男は貧民街で親に捨てられ、流行病におかされ、友にも裏切られ、誰からもかえりみられることなく惨めな死をむかえた」


 アドルトゥエノフ公は真摯な瞳でこちらを見据えた。


「どうです? 理解できましたかな。身分とは前世の行いにより、神が決めるもの。前世で悪行を重ねた者は貧民へ。功徳をつんだ者は貴族になる。――これは神の定めた崇高なシステムなのです」


 リディエータは言葉をなくした。


「それを乱そうをするのが、かの隣国サンスルエリアなのです!」


 声は相変わらず厳かであり、真摯さに満ちていた。


「神のシステムを打ち壊し、王も貴族も平民も貧民もない、自分たちで国の主導者を決めている。――そんなことが許されるはずがないのだです」


 アドルトゥエノフ公は首もとのロザリオを握り締めた。そして祈るように彼はこう言った。


「――私は神のために『聖戦』を行う決意をしました」


 その言葉はリディエータの理解をこえ、唖然とした。


「貧民狩りはそのために行っているのです。彼らは神の尖兵として『聖戦』に赴き、そして前世の罪を洗い流すことができるでしょう」


 すでに彼女にはアドルトゥエノフ公が聖人には見えなかった。

 リディエータは震える声で言った。


「……お、王がそんなことを、許すはずがないです……っ」


 その言葉に、彼は穏やかに微笑んで首を横に振った。


「王の許しを請う必要はありません」


 それは信じられない言葉だった。


「すでに十二人の使徒による決議で『聖戦』が行われることは可決されました。なにより――」


 彼の背後で白き翼がひろがったような錯覚をおぼえた。実際には背後にある窓から光がはいっただけなのに。そうに決まっているのに、清浄すぎる空気が彼の周囲をとりまいている。身体の震えがとまらなかった。それは人の存在には耐え切れないなにかに身体が反応しているからとしか思えなかった。


「私は神の言葉を聞いたのです」


 ロザリオを手に微笑むその姿は、それはまさしく聖者のごとく。


「神は言いました。聖戦を行いなさい、と。そして天使を遣わせてくださったのです」


 悪魔の次は、天使ときた。


 なまじ、悪魔の存在を知っているだけに、戯言とは思えなかった。リディエータは震える心を叱咤し、反論の材料を探す。


「貧民、罪人を兵に使うといっても、彼らも馬鹿ではありません。捨て駒になるとわかっていて戦に行く者ばかりではないでしょう」


 士気も低いだろうし、なにより。


「兵としての訓練もしていない人々がろくに戦えるとは思えません」


 それにアドルトゥエノフ公は笑みを返す。


「戦うための訓練など必要ではありません。ときに貴女はこの硬貨を手で曲げることができますか?」


 そうしてさしだされた手にのっていたのは何の変哲もない銅製の硬貨。銅は比較的柔らかい金属だが、混ぜものがしてあり、人の手で曲げるなど、よほどの力自慢でないと無理だ。それが女の細腕であるならばなおさらである。


 リディエータは警戒するように首を横にふった。


「そうですか」


 彼はそう言うと、硬貨を背後に控えていた老執事に渡して一言。


「曲げなさい」


 老執事は指二本で硬貨を持ち、なんの気負いもなく硬貨を曲げてみせた。

 リディエータは目をむいた。彼女よりも力のなさそうな老人であるのにいとも容易く硬貨を曲げた。


「知っていますか? 人は痛みさえ感じなければ女性の力でも、硬貨を曲げることができるそうですよ」


 よく見ると老執事の指は血に染まっていた。爪が割れ、硬貨を握った指の肉も鬱血していた。


「まさか、麻薬で痛覚を麻痺させたのですかっ?」


「そんなものを神の使徒たる私が使うはずがありません。遣わされた天使が私に聖器を授けてくださったのです」


 彼は首もとに揺れるロザリオを示した。


「この吸魂の十字架を使えば、魂を抜き取り、人を傀儡とすることができます」


 ではこの老執事もすでに魂を抜き取られ傀儡人になっているというのか。その表情はなにかに陶酔したようなものであった。まるで敬虔な信者のように――


 背筋に怖気が走った。


「まさかっ、さっきの囚人たちにも……」


 暴徒になる寸前だった囚人たちが、アドルトゥエノフ公がロザリオを手に祈ったとき、膝をつき頭をたれた。まさに奇跡を目にしたのだと思った。


 だがそれは、この聖器――吸魂のロザリオの力で魂を抜かれ、傀儡となっただけだったのか。


 理性も思考ない人間。命令に従わせつつ恐怖心も痛覚もなく、ただひたすらに敵を打ち倒す。

 ――逃げない、怠けない、恐れない、反抗なんてもってのほか。理想的な『駒』ともいえる兵。それによって構成される兵団はまさに無敵であろう。


「あなたは……なんてことを……」


 彼は厳かに告げた。


「これは『聖戦』です」


 彼は聖人などで断じてない。――狂信者だ。


 リディエータは慄然とした。


「貧民たちは聖戦によって前世の罪を償い、貴族はこの世の平和を護るために神に祈る。そして神のシステムを打ち壊そうとする者たちには罰を。どうです?」


 彼女にはその言葉が許容できなかった。


「あなたは……狂っているわ……」


 彼は憐憫をその顔に浮かべ、頭をたれた。


「理解できませんか。残念です」


 嘆くように、首を振ると老執事に指示した。


「捕まえて、牢に入れておきなさい。彼女も中流貴族です。頭が冷えれば私の言葉を理解してくれることでしょう」


 老執事――傀儡人がこちらに手を伸ばしていた。


「…………ぁ」


 リディエータは逃げようとした。だが、身体が反応しなかった。

 抵抗してどうなる。このまま逃げて王に報告するのか。


 それでどうなる。すでに十二人の使徒が『聖戦』を可決しているのならば、この国の貴族のほとんどが敵だと考えていいのだ。王に報告して、国が割れれば内乱に突入してしまうことも十分ありえる。そうなれば、傀儡兵を有する十二人の使徒に勝てるわけがない。最悪革命が起きる。国はさらに荒れ果て、流れる血は民のものだ。


 頭の中では、彼女――あの悪魔の言葉が何度も繰り返されていた。


 ――時に人は悪魔にも想像ができないほどの悪事を平然とやってのける。それを知ったとき、あなたはなんて言うかしらね?

 

 私はそれを許すことができない。


 それを知ってなお、あなたの中の正義は、――レインを捕らえることを主張できるのかしら?


 できる――わけがない。

 自分には、なにもできないのだから。

 自分の正義だけでは、どう足掻いても、救えない人がいるのだ。

 彼の言うとおりだ。悪をもって悪を滅ぼす。そうすることでしか救えない人は必ずいる。


 それを認めたとき、エディエータの心に亀裂がはしった。


 ――自分の正義とは、一体なんだったのだろう?

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