第9話

 聖都にある監獄は三つ。

 そのうち最大の面積を誇るのが、ロマリア監獄である。リディエータが向かったのはそこである。さいわい本庁から一番近く、徒歩十分ほどでいける距離だった。


 視察という名目で中の様子をうかがうことができればと思っていたが、なんとアドルトゥエノフ公が訪れているらしく、説法をする現場に立ち会うことができた。


「こちらです。ロズモンド警部」


 案内されたのは、広間のような場所で、囚人がひしめきあっている。


 壇上にいる人物。

 初老ほどの男性だが、見る角度によっては、老人にも、若者にも見える精悍な容姿をしている。なにより深い知性を感じさせる瞳。

 彼がアドルトゥエノフ公――長年国を動かしつつけてきた政治協議機関『十二人の使徒』の一人にして総長。序列第一位の大貴族。


 その足もとに中年の男が這いつくばって懇願するように叫んだ。


「貴族様! どうか、どうか、私を家に帰してください! 私はなにもやっていない! なにもやっていないんです! どうか、お助けください!」


 頭を床に打ちつけ、乞うように何度も叫ぶ。


 それが引き金だった。

 怒号が空間を満たし、囚人が暴れだしたのだ。


 全員が一斉に叫びだしたため、それを声として認識するなどすでに不可能だった。鼓膜が破れそうなほどの大音の奔流としか思えない。振動に頭が揺られ、目の前がくらくらしてくる。


 もともと大したことをやっていない者を貴族の私兵たちが『貧民狩り』をして集めた囚人たちなのだろう。

 その不満が一気に爆発してしまったのだ。


「いけない……ッ」


 このままでは暴動が起こる。

 リディエータは血の気がひいた。


 警備をしている者たちは銃で武装しているが、囚人とはそもそも数が違う。ここにいるすべての囚人が暴徒と化せば、銃弾などすぐに尽きて、鈍器と変わらなくなってしまう。そうなれば暴走した囚人を止めることなどできはしない。まずここにいる警備員は――リディエータも含めて――リンチされ撲殺されるだろう。すぐ目の前にいるアドルトゥエノフ公もまず助からない。


 あまりのことに恐慌に陥ったのか、警備員の一人が囚人に銃口を向けた。なにやら叫んでいるが聞こえない。たぶん大人しくしろとでも言っているのだろうが、その対応は拙すぎる。

 より囚人の暴走に拍車がかかる。

 そして、銃の引き金に指がかかった。


 ――やめてっ!


 それは、文字通り――囚人が暴徒と化す引き金となる。


 リディエータは止めようとしたが、叫んでも声が届かず、手をのばそうにも遠く離れすぎている。


 指に力がこもる。

 リディエータは思わず目を閉じた。


 そして、――すべての音が消えた。

 恐る恐る目をあけると、恐慌はおさまっていた。


 あれほど荒れくっていた狂気の嵐を鎮めたのは、ただ無言だった。


 いつの間にか壇上を降りていたアドルトゥエノフ公が一番最初に叫び懇願した囚人の肩に手をおき、顔をあげさせていたのだ。


 ただそれだけで、狂気はおさまってしまった。

 囚人は泣き崩れ、ただ頭をたれた。


 アドルトゥエノフ公は立ち上がり、胸にさがるロザリオを手に聖印――十字をきって祈りを捧げた。


「――この者たちに救いあれ――エイメン――」


 その言葉に、次々と囚人は膝をつき、頭をたれていく。


 それはあまりに異様で、あまりに神々しい光景だった。まるで一枚の宗教画のごとく。


 リディエータはただ言葉をなくして、その光景に魅入っていた。

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