第7話

 絶対に捕まえる。そう心に決めた。


 あの後、即刻署に帰り、レインと赤毛の少女の似顔絵を制作。聖都中に指名手配をした。そして、警察の威信をかけての一斉捜索となったのだ。


 だが、翌日になっても、レインの消息はようとして知れなかった。現在は予告状も出ていない。だがそれが出されるまで待つなんて消極的な方法などできるはずもない。


 リディエータも、ダラス警部補と駆動車でパトロールに出て、どんな些細な手がかりでも得ようと必死になっていた。


 彼はどこに潜伏しているのだろう。いや、彼の不可思議の力を使えば、顔を変えて、そしらぬ顔でそこら辺を歩いている可能性も捨てきれない。

 その厄介な力に頭を痛めながら、助手席から街を見回っていた。


 ――チリン――


 リディエータはハッとして、音のした方角を見た。今のは鈴の音だった。それがどうしたというわけではない。ただ、少女に化ける猫が来たときにも、鈴の音がしたのだ。


 そして、――見つけた。


 あのとき、赤毛の少女に化けた黒い猫だ。こちらを見ていたと思うと、ふいっと視線を外し、裏路地のほうへ入っていく。


「――止めて!」


 リディエータは叫ぶように言って、ドアを開けて外に飛び出た。


「三十分ほど待機! それでも戻らなかったら署に帰ってください!」


 ダラス警部補に慌しく指示を残して、リディエータは裏路地へ続く道を全力疾走した。


 ――いた!


 少し奥まったところをゆっくりと歩いていた。


「待ちなさい!」


 猫に呼びかけても通じるはずがないが、あれはただの猫ではないはずだ。猫は一瞬だけこちらに目をやり、走り出した。すぐそこの路地を曲がった。


「待てって言ってるのに!」


 古来から、警察から待てと言われて待った泥棒はいないだろう。


 リディエータは必死に走った。路地を曲がると、その猫もまた、別の路地を曲がるところだった。しっぽが辛うじて見えた。


「こなくそっ!」


 どんどん奥まった地区へ誘い込まれている。それを察していたが、追いかけることをやめることもできない。やっと掴んだレインにつながる手がかりなのだ。


「やっと、止まった……っ」


 猫は待ち構えていたかのように悠然とこちらを見上げていた。

 路地は行き止まりで、人など誰も通らないような裏通りだ。日も差し込んでおらず、昼間だというのに薄暗い。


「あなた……」


 リディエータは少しだけ迷い、猫に話しかけようとした。

 すると、猫は瞬時に、人の形になった。狐に化かされているような気持ちになる。


「……あなたは、何者なの?」


 いや、誰であろうと関係ない。本当に聞きたいことは――


「レインとは、どういう関係なの?」


 その問いに赤毛の少女は、妖しい微笑を浮かべた。


「アタシは、悪魔。そして――レインの相棒よ」


「相棒? あなたのような子供が?」


 悪魔というくだりをリディエータは無視した。こういう手合は指摘したら調子に乗るのだ。


「子供じゃないよ。これでもあなたの十倍は生きてるんだから。アタシ悪魔だし」


 指摘したくはなかったが、あまりのふざけた態度にそうせずにはいられなかった。


「ふざけないで。悪魔なんて、そんなものいるわけないでしょう」


「いない? 本当に、そう思う?」


 彼女が微笑むと、闇が濃くなったような気がした。いや、勘違いじゃない。少女を中心に空間が変貌していくのを肌で感じた。禍々しい黒いものが周囲を取り囲んでいるようだ。それでいて彼女の見た目にまったく変わらない。まるで悪い夢でも見ているように悪寒が止まらなかった。


 それに呑まれまいとしながらも、リディエータは口を開く。


「あ、あなたと、レインは、何をしようとしているの?」


「べつに。あなたには関係ないでしょう?」


 その答えにカッとした。


「関係ないわけないでしょうッ!」


 レインは自分の大切な――そう、幼馴染なのだから。

 それを見て、少女は邪悪にわらった。まるでリディエータの想いを残らず壊してやろうとしているかのように。


「じゃあ、教えてあげるわ。アタシ達がなにをしようとしているのか、最初から最後まで」


 それは、少女とレインの出会いから語られた。


「レインの一族――ジューダス家は、代々悪魔と契約し、より強大な悪を目指してきた。アタシたち悪魔のあいだでは有名な家系なの」


 彼女は御伽噺をするように喋り始めた。


「かの者が『夜の仮面』となり、悪人を殺すたびに地獄は良質な魂で満たされることになるから、それを加工して使い魔を造るもよし、魔力エネルギーとして蓄えるもまたよしと、まさにいいこと尽くめ」


 リディエータはその話に、眉をひそめたが、口には出さなかった。いまはできるだけ情報を得るべきだと思ったからだ。少女の話は続く。


「とくにジューダス家の魂は、悪を殺し、手が血に染まるたびに穢れていくから、悪魔にとっては垂涎もの。手に入れることができれば力の階級がひとつ上がるほどよ」


 これはとても凄いことらしく、たった一つの魂でそこまでできるのは珍しいという。だから、ジューダス家との契約はどの悪魔でも、みんなやりたがった。つまり非常に倍率が高いものだという。


「でも、当代のジューダス――レインは変わり者でね。契約の対価に魂ではなく、他のものを差しだした」


 契約の対価は、魂の他に、生贄として、他者の命、術者の大切な人、肉体や、寿命などで、差しだすものによって、得られる力が変わるという。そして悪魔というのは、より高密度のエネルギーである魂を欲しがるものらしい。だから、ジューダス家の魂が得られないのだったら、彼が殺した者の魂を捕らえたほうが得だと、どの悪魔もレインとは契約したがらなかったという。


 そんな彼と契約をした変わり者が、中級悪魔であるベルトリア――


「――このアタシというわけ」


 ベルトリア――やっと彼女の名前がわかった――の話は理解した。決して、信じたわけではないが、この娘にも、レインにも、不可解な力――彼女はそれを魔術と言った――があるのは確かだ。それを否定しても仕方がない。いまは仮定として、ベルトリアが悪魔であり、レインの相棒として話を進めよう、とリディエータが思っていると、赤毛の少女は傲慢にもこう言ったのだ。


「そういうわけで、あいつはアタシのものなの。今後一切、――ちょっかいを出さないでくれる?」


 カチンときた。


 悪魔? いいだろう。千歩譲って認めてやろう。


 相棒? それもまあいい。万歩譲って認めてやる。


 だが、レインが彼女のものというのは、断じて認めない。認めてやるものか!


 冷静にしているつもりでも、怒りの内圧が高まってくるのを自分でも感じる。


「彼を返しなさい……ッ!」


 どろりと、纏わりつくような怒りを込めてリディエータは言った。

 それに対してベルトリアが返したのは、冷笑だった。


「返しなさい? はっ、お笑いだね。確かにあいつはあなたのものだったかもしれない。そう――昔はね」


 その一言に意識が灼つきそうな怒りをおぼえたが、彼女の言葉はこれだけでは終わらなかった。紅玉の瞳を鋭くすると、こう付け加えたのだ。


「未練がましいんだよ。このウシ乳がッ」


 反射的に胸を腕で隠して、リディエータは真っ赤になった。羞恥と怒りに、だ。


 ――よくも……っ、このわたしにそんなことを言ってくれたなァ……ッ!


 この胸のせいで自分がどんな目に遭ったと思っているのだ。男にはいやらしい目で舐めまわされ、私服で裏路地でも歩けば、いくらだと囁かれる。上司にはセクハラをされるし、肩も凝るし地面も見えにくく躓くこともあるのだ。それを、よりにもよって、ウシ乳などと!


 リディエータの理性は、この時点で完全に焼き切れた。


「あったまきた! なにがウシ乳よ。自分なんてこれぽちの膨らみもない――えぐれ胸のくせにッ!」


 今度はベルトリアが胸を隠す番だった。そう十代半ばの容姿でありながら妖艶な雰囲気を漂わすベルトリア最大の欠点。それは胸がないことであった。


 互いのコンプレックスを抉りあった後は、話し合いなんぞできるはずもなかった。情報を得ると決めたことなど、すっかり忘れ、舌鋒鋭く罵詈雑言の嵐が吹き荒れた。


「いいからレインにはもう関わるな!」


「いやよ! 絶対にいや!」


「あれはアタシのもんなんだよ!」


「ふざけないで! わたしよりあなたのほうがレインのことを愛しているとでも言うのっ?」


 リディエータの言葉に、ベルトリアが苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。


「な……ッ、あ、愛だぁ……ぅげえ……っ」


 まるで吐き気をもよおしたかのように咽に手をあて舌をだす。


「気持ち悪くなるようなこと言うなよ」


「なにが気持ち悪いことよ! レインのこと愛してるのっ? どうなのよ!」


 リディエータは責めるように言う。


「それともなに? 好きでもないのにそんなに独占欲まるだしなわけッ?」


 ベルトリアの顔色が悪くなった。


「マジで、やめて……」と唸っていることにも気づかず、リディエータはどんどんヒートアップしていく。


「わたし? わたしは愛してるわよ! 悪いッ? しょうがないじゃない、好きになっちゃったんだものっ! 彼よりも二つも年上なのに? えぇ、気にしてるわよ! でもでも、ずっと好きだったのよ! それなのにいきなりわたしの前から消えて、五年もたってから現れたと思ったら関わるなですってッ? ふざけんじゃないわよッ! ほっとけるわけないでしょう!!」


 そのときベルトリアは息が荒くなり、額に汗をびっしりと浮かべていた。本当に体調が悪そうだ。


 ようやくそれに気づいたリディエータは眉をひそめた。


「なによ。あなた、どうしたの?」


「……そ、その言葉を、やめろ……っ」


「その言葉?」


 なんのことかわからず首をかしげた。今まで言った言葉を思い出し、多用したものをピックアップしてみる。


「『愛』のこと? それとも『好き』?」


 その言葉に、ベルトリアが、ボディーブローを喰らったかのように、身体をくの字に折った。


「……や、やめ、ろって、言って……るだ、ろ……っ」


 元気がない、というか重病人のようだ。そんなに『愛』や『好き』という言葉が嫌いなのだろうか。『愛』は神の教えの根幹にあるものなのに――ここで閃いた。古来より悪魔退治には聖書を用い、聖句を唱えるのだ。


 リディエータは試しに、聖書の一文を諳んじてみた。


「わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう――」


「ぐはあああああああああっ!」


 効果は絶大だった。


 ベルトリアは悲鳴をあげてのたうちまわった。よく見ると、全身から白い煙があがっている。悪魔というのも嘘ではないかもしれない。


 リディエータは相手がぐったりするまで聖書を暗唱した。

 そして動かなくなると一言。


「ふぅ、虚しい争いだったわ」


 とてもいい笑顔だった。


「さあ、署までご同行願おうかしら」


 リディエータは懐から手錠を取り出し、それでベルトリアの腕を拘束した。


「レインのことについてもっと詳しく聞かせてもらわなくっちゃ」


 動かないベルトリアを引きずって行こうとすると、億劫そうに彼女が口をひらいた。


「……レインのことを聞いてどうするのよ?」


「捕まえるわ。これ以上、罪を重ねさせるわけにはいかないもの」


 ベルトリアがそれを嘲笑う。


「捕まえて――殺すのね」


「…………っ! こ、殺さないわ。罪を償ってもらうのよ!」


「おためごかしだね。貴族を傷つけることは重罪なんでしょう。レインは貴族を二人――正確には一人は廃人だけど――も殺している、それも筆頭十二家を。死罪は確定してるじゃない。いえ、ただ殺してもらえれば運がいいわね。あらゆる拷問をされ、散々苦しめられて、それからやっと殺してもらえる。首も晒すでしょうね」


 うっとりと夢見るようにベルトリアが言う。

 それにリディエータが答える術はなかった。わかっていた。それでも、このままレインが罪にまみれていくことを見ていることはできない。そんなのは許されない。自分の中の正義が、決して許しはしない。


「結局あなたは、レインよりも、――正義のほうが大切なんでしょう?」


 それはまさしく悪魔の囁きだった。

 リディエータの心の中心をこれでもかという杭を打ち込んでくれた。唇を噛みしめる。


「あなたに……っ、あなたなんかに、なにがわかるって言うのよ……ッ!」


「ええ、わからないわ。強き者だけが得をして、弱き者は嘆き耐える。そして塵屑のように死んでいく。そんな社会の正義に比べれば、レインのほうがよっぽどイイじゃない」


 その言葉に思わず手を振りあげた。


「あら? 抵抗できないものを殴るの?」


 ベルトリアが嗤った。


「図星をさされたからって暴力を振るうんだ。それが、あなたの――正義なの?」


 その言葉に振り上げていた手が止まる。あまりの悔しさに、ぎしりッと歯が鳴った。


 そんなリディエータに追い討ちをかけるように、さらにベルトリアは口をひらく。


「あなたはこの国で今なにが行われようとしているか知ってるの?」


 リディエータは問い返すように、ベルトリアを見た。


「ときに人間は悪魔にも想像ができないほどの悪事を平然とやってのける。それを知ったとき、あなたはなんて言うかしらね?」


「なにが言いたいのよ、あなた」


「この聖都の東でなにが起きているのか調べてみるといいわ。それを知ってなお、あなたの中の正義は、――レインを捕らえることを主張できるのかしら?」


 そのときにはベルトリアの顔色はもとに戻っていた。それに気づいたときには手遅れだった。彼女の背後から闇が広がり、身体を包み込んだと思ったら、すでに姿は影も形もなくなっていた。

 消えたのだ。まるで幻のように。


 ――彼女は本当に、悪魔なのかもしれない。


 だが、呆然としていたのも一瞬だけだった。空になった手錠をしまい、リディエータは足音荒く裏路地から出て行った。


 ――調べてやろうではないか。この国で今、なにが行われていることを。

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