第6話

 フィレオティンガ公の屋敷の東の外壁。そこでリディエータは影に潜むようにして待ち続けた。


 そして、待ち人はきた。

 高い城壁から飛び降り、音もなく着地する。そこに駆動車のライトを点ける。強烈な光が闇を退け、人影だけが残った。


 顔を隠しているが間違いない。夜の仮面――レインだ。

 逃げるならここからだと思っていた。地理的状況などから逃走経路を予測したのだ。本当なら大勢の部下を配置しておくべきだったが、ここにいるのはリディエータだけだ。ダラス警部さえ同行させなかった。


 ここで最後の説得をするつもりなのだ。もしこれで自首をさせることができなければ、――心を鬼にして、次回からは手加減をしない。全力を尽くして捕まえる。


 リディエータは決意に咽を鳴らして声をだした。


「……レイン。もうこんなことはやめて!」


 その必死の訴えに、彼は首を横に振る。


「なんで! こんなことは間違ってるわ! たくさんの人を殺して! 貴族を殺して! それで民を救うことなんて、そんなこと間違ってる!」


 それに答える彼の声は、昏く、とても冷たかった。


「知ってるよ。それでも僕はそれをせずにはいられない」


 彼がどんな表情をしているか、仮面に隠れてわからない。だが、その目は見えた。清冽な光を湛えた夜色の瞳は決して折れぬ意志を宿していた。


 それだけでわかってしまった。彼は絶対に、夜の仮面をやめることはない。貴族を殺し、民を救うことを諦めることはないと。


「なんで、よ……ッ!」


 そんな彼を見ていることができず、リディエータは唇を噛んで俯いた。


 周囲が騒がしくなってきた。フィレオティンガの邸宅に賊がはいったことが露見したのだろう。


「もう、僕には関わらないほうがいい」


 レインはそれだけを言い残して、踵を返そうとする。


 それにリディエータは銃を向けた。


「……動かないで」


 レインは肩口からこちらを振り返り、動きを止めた。


「あなたがやめないと言うのなら、わたしは……ッ」


 彼に向けた銃口が震える。荒れ狂いそうになる感情の高ぶりを必死でおさえる。いつの間にか唇を噛み切っていた。それでも口をひらき、言葉をつむぐ。


「……わたしが、あなたを止める。父が――先代の、夜の仮面にそうしたように……ッ!」


 苦しかった。胸がはちきれそうなほど痛かった。それでも、――彼のしていることは自分の中の正義が許さないのだ。


 リディエータは手錠を取り出した。ゆっくりとレインに近づく。彼は動こうとしなかった。


 彼女はレインと目を合わせないように全身を注視して、どんな動きの兆候を見逃さないようにしていた。いや、目を合わせないようにしていたのは、その瞳がどんな感情を宿しているか確認することが怖かったのかもしれない。


 レインの手首をとろうとする。

 そのとき――


 轟音とともに、リディエータの駆動車を踏み台にして、蒸気式の駆動二輪車が飛び出してきた。


「なぁ……っ!」


 完全に虚をつかれ、リディエータはレインから目を離してしまった。

 その隙にレインが彼女の銃を弾き飛ばし、駆動二輪車にむかって走り出した。運転しているのは、あのときの赤毛の少女だ。


「ま、待ちなさい!」


 銃を拾うか、すぐに追いかけるか――リディエータは数瞬だけ迷った。そして、追いかけよう決めたときには、すでにレインは少女の後ろに乗り、彼女の細い腰に手をまわしていた。


「出せ、ベル!」


「あいよ!」


 アクセルを全開、エンジンが咆哮をあげ、長大な排煙筒から勢いよく蒸気が漏れた。前輪が浮くほどの加速でその場を離れようとする。


「行かせるもんですか!」


 リディエータはすぐに踵を返し、駆動車に乗り込もうとした。そこに銃声。レインの銃にタイヤを打ち抜かれる。


「……こんちくしょう!」


 口汚く罵り、駆動車のフレームを蹴りつける。

 そうしているうちに、レインと赤毛の少女を乗せた駆動二輪車は走り去ってしまった。


「なんなのよ、もう!」


 リディエータは腹立たしく、さらに駆動車を蹴りつけた。

 レインをとめることができなかった。


 彼女を苛立たせるのはそれだけが原因ではない。レインの連れの少女だ。

 リディエータは見逃さなかった。

 レインが少女の腰に手を回したそのとき――彼女の勝ち誇ったような笑みを。


 リディエータの心の中は、レインを止められない哀しみと、赤毛の少女に対する怒りとでぐるぐるしてきてしまい、涙がでてきた。


「なんなのよ、もう――――っっ!」


 夜の空に向かって思いっきり叫んだ。

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