第4話

 次の日の早朝。

 昨日の出来事のショックでいつ寝たのか、いやどのように帰ってきたのかすら、あやふやだった。それなのにダラス警部補に鶏がようやく鳴きだす時刻に叩き起こされたのだ。


 それだけでも機嫌が良かろうはずもないのに、なんと用件が――夜の仮面から予告状がきたというのだから最悪だ。


「昨日の今日で、なんでなのよ。レイン……ッ」


 寝癖のついた髪を押さえながらリディエータは低く唸った。

 とりあえず、礼儀知らずにも寝室まで入り込んできたダラス警部補を部屋から叩き出し、手早く身支度を整えた。


 女性としては驚異的な速度で、顔を洗い、歯を磨き、髪を整えた。豊満な身体にスーツを着込み、拳銃をホルダーに納め、眼鏡をかければ準備完了である。


「行くわよ。ダラス警部補!」


 詳しい経緯は駆動車の中で聞くことになった。

 予告状は、十二人の使徒がひとり、序列第五位のフィレオティンガ公に届けられたという。内容は、深夜零時に命をいただく――というのも。これ自体は前回のものと変わりない。発見場所はフィレオティンガ公の部屋の扉に挟まっていた。それを侍女が発見。時刻は夜の夕食後、だいたい十九時だったらしい。誰も怪しい人物は見たという報告はなし、侍女や執事や私兵などの住人が置いたわけでもないという。どのように警備の厳しい屋敷内に忍び込み、誰にも見つからないで予告状を出せたのかは不明。まるで姿の見えない幽霊が置いていったかのようである。


 そこまで聞いて、リディエータは盛大に舌打ちをした。

 昨日の不可思議な出来事を思い出したのだ。目の前から一瞬にして姿かたちもなく消え去って見せたレイン。そして猫から人に姿を変えた赤毛の少女。あの小生意気な女の挑発的な目を思い出して、さらに不快になる。


 夜の仮面はいつの時代でも、貴族の絶大なる権力を前に、その不可思議な力を使って対抗していた。それは有名な話だ。だからこそ、夜の仮面は不死身だと信じられていたし、力なき民の希望だったのだ。


 レインも同じような力を手にしているのだろう。そのために自分から離れて、行方不明になっていたのだから。


 そういえば、ネイオミギア公が磔になっていた十字架や、宝物庫の鉄の扉は、信じられないほど滑らかに切り裂かれていた。切断面は鏡のようでさえあったし、殺された私兵達はどれも原型を留めないほど破壊しつくされていた。あれを虐殺と言わずなんと言おう。あれは人間技ではなかった。まるで悪魔の所業。それをあの優しかったレインがやったのだ。リディエータは唇を噛んだ。この際、どんな方法でそれをなしたかは問題ではない。これ以上を彼に罪を重ねさせてはならないのだ。絶対に止めなければ――わたしの手で。


 鬱々と彼のことを考えているうちに到着した。

 フィレオティンガ公の屋敷は、序列第十二位貴族ネイオミギア公の自宅よりも、数倍豪華絢爛であった。

 すでに太陽はのぼり、朝食の時間帯だろう。


 訪ねるのには非常識な時間帯だが、すでに屋敷のものには連絡をして、訪問の許可はもらってある。それに、今夜の零時には夜の仮面が現れるのだ。時間を無駄にすることはできない。


「いくわよ。ダラス警部補」


 リディエータはやる気満々で、フィレオティンガ公の屋敷を訪ねた。


 そして、五時間後――


 リディエータは待ちぼうけをくらい、応接室でイライラと爪を噛んでいた。

 いつまでたっても、フィレオティンガ公が面会してくれないのだ。


 そりゃあ最初は、非常識な時間にお邪魔するのだから、ご主人様の準備が整うまでこちらでお待ちください、という言葉を受け入れた。侍女が紅茶と簡単な軽食まで用意してくれたから、喜んで食べもした。


 だがいくらなんでも、五時間。五時間も人を待たせることはないだろう。

 しかも、まだ準備ができていないとかで、何度取り次いでくれと言っても、恐縮した侍女が頭をさげるだけだ。付き添ってくれる侍女も、こちらが口を開くたびに、肩を震わせて怯えていた。なんだかいじめっ子になった気分である。


「ったく! いったい、いつまで待たせれば気がすむわけ……ッ」


 苛立ちを口にすると、侍女が泣きそうな顔で頭をさげた。

 それを横目に、ダラス警部補が気弱そうな笑みをうかべて、まあまあと手をあげる。


「落ち着きましょうよ、リディエータ警部。彼女に当たっても仕方ないでしょう?」


「何度も繰り返すようですが、ロズモンド警部と呼んでください。ダラス警部補」


 いつものやり取りだというのに、神経がささくれ立って声が尖ってしまう。

 そのことに余計イライラしてくる。それに侍女を責めているわけでも、当たり散らしているわけでもはないのだ。いつまでたっても出てこないフィレオティンガ公に腹をたてているのだ。今夜には夜の仮面が――レインがここに来るというのに。こんなことをしている暇など、これっぽっちもないというのに。


「――ぁあ、もう……ッ!」


 イライラが頂点まで達し、あと十分待っても面会がかなわないのなら、殴り込みをしてでも会ってやると決意したときだった。


 執事長のパージスが、応接室まで入ってきて頭をさげた。

 ご主人様の面会の準備が整いました。ご案内いたします、と。

 その言葉に、リディエータよりも、付いていた侍女のほうが、ホッとしていた。張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、膝から崩れ落ちるように座りこむ。


 よほど怒れるリディエータと一緒の部屋にいるのは重圧だったのだろう。

 そのことに気をとられることもなく、リディエータとダラス警部補は移動した。


 そして連れてこられてたのはなんと、――食堂だったのだ。

 フィレオティンガ公は優雅にも遅い朝食――否すでに昼食の時間帯だ――を召し上がっていた。


 長テーブルの上座に座ってひとりナイフとフォークを動かしている金髪の優男がフィレオティンガ公である。まだ若く、三十代にはとどいていないだろう。


 なんとこちらを散々待たせておいて、彼は食事をしながら話をするつもりらしい。

 それに額の血管が蠢くのを感じながらも、リディエータはなんとか自制をきかせて、挨拶をした。


「……このたびは、お忙しいなか時間を割いていただき、ありがとうございます」


「本当だよ。朝早くから起こされていい迷惑だ。しかも来た警部が女だって? どうやら警察はまともに仕事をするつもりがないようだね」


 蔑みの言葉と好色な視線に、硬く握りこんだ拳が震えた。

 あきらかな女性蔑視。男社会である仕事の世界ではよくあることとだ。何度経験しても悔しさと怒りに、目の前が真っ赤になる。


 それを後ろで、ダラス警部補がハラハラしながら見守っている。

 わかっている。ここで怒っても事態は好転しないどころか、不敬罪でこちらが訴えられることも考えられる。リディエータは貴族とはいえ中流であり、相手は序列第五位の大貴族だ。

 なんとか怒りを吐息として吐き出しながら、用件を言った。


「夜の仮面から予告状が届いたと伺いました。警備のために人員を配備しようと思いますので――」


「いらないよ。警備なんて」


 リディエータの言葉を遮って、フィレオティンガ公は言い放った。


「は……?」


 なにを言っているのだこの馬鹿貴族――という目でフィレオティンガ公を見てしまった。同じように警備はいらないと言ったネイオミギア公がどうなったかわかっていてそんなことを言っているのだろうか?


「聞こえなかったのかな? 警備はいらないと言ったんだよ」


 まったく一度で聞いてほしいもんだね、これだから女は面倒なんだ――と嘆くようにフィレオティンガ公が嘆息した。


 そして、これでもう話は終わりだとばかりに、手を振り、ナイフとフォークで切り分けた鴨肉を口に運んだ。

 このやり取りだけでも頭にきていたのに、事態はこれだけでは終わらなかった。


 いきなりフィレオティンガ公は、口に含んだものを床に吐き出しのだ。忌々しげにナプキンで口元をぬぐい、いきなり卓上にある料理を手で払い除けた。おいしそうな鴨肉のソテーが床にぶちまかれ、陶器の割れる音が食堂に響きわたる。


「ジイ。こんなものを私の口にいれさせたシェフに暇をだせ。今すぐにだ」


 これらの行為にリディエータは目をむいた。

 信じられなった。口にあわなかっただけで、そんなことをするこの男の神経がだ。


 いやこれこそが貴族なのかもしれない。傲慢で自分本位で他人の人生など塵芥ほども感じていないのだ。


 リディエータが落ちた料理に目を落とすと、同じように床の料理を見ていた侍女のひとりが咽を鳴らした。


 それを聞きつけたフィレオティンガ公が嫌らしく唇を歪めた。


「おやおや、序列第五位の私に仕えるのだからそんな卑しいマネは謹んでもらいたいね。それとも――」


 彼は卓上に残っていた料理の皿を持つと、それをわざと落として見せた。


「最近、餌が行き届いていないという訴えなのかな?」


 そしてその料理を足蹴にした。それは咽を鳴らした侍女の足もとに転がる。


「どうしたの? 食べなよ。床に這いつくばってさ」


 その時点で、リディエータは完全にキレた。


 反射的に拳を握りしめ殴りかかろうとする。女の身なれどリディエータは、警察学校にて身につける護身術――マーシャル・アーツの師範代から免許皆伝をもらった実力者なのだ。


 だが、拳を振りかぶる前に、ダラス警部補に取り押さえられた。つかまれた手首の関節を極められ、首筋を後ろからつかまれた。どういった原理なのか、それだけでリディエータは声が出せなくなった。暴れようにもあまりに完璧に関節を極められているため動くこともできない。


 悔しいことに、ダラス警部補は、彼女以上にマーシャル・アーツを使いこなす達人なのだ。そんな彼を、リディエータは睨みつける。


 ――離しなさい、ダラス警部補! 殴る! こいつだけは絶対にボコボコに殴ってやる! こんな奴は一度徹底的に性根を叩き潰したほうがいいのよッ!


 目で訴えるも、彼は柔和な笑みで受け流し、フィレオティンガ公へ頭をさげた。


「わかりました。屋敷内のことはそちらにお任せいたします。ですが前回の――ネイオミギア公のときと同じように、門や城壁の周囲は警備させていたきますので、そちらはお許しください」


 ダラス警部補の驚異的な早業のため、フィレオティンガ公はリディエータが暴行を働こうとしたことなど露ほども気づかなかったらしく、好きにしなよ、と手を振った。


「はい。ではこれで失礼いたします」


「~~~~ッッッ!」


 リディエータは暴れることも、声をだすこともできず、ダラス警部に引きずられて、フィレオティンガ公の宅を後にすることになった。

 そして門まできて、やっと解放された。


「なにするんですか!」


「こっちの台詞ですよ、リディエータ警部。なにをするつもりだったんですか?」


「ロズモンド警部です!」


 といつもの注意してから息荒くリディエータは続けた。


「鉄拳制裁に決まっていますッ。あんなこと許されるわけないんですよ!」


「勘弁してくださいよ……。ただでさえ女性だっていうことで、周囲からの圧力が厳しいんですから、自重しましょうよ」


「わかっています!」


 わかってないじゃないですか……とダラス警部補は弱気な笑みを浮かべた。


 リディエータは貴族と男社会について一通り悪態をつくと、自分の職務を思い出し、駆動車に戻って地図を広げた。


「なにをするつもりなんです?」


 決まっている。レインを捕まえるための準備だ。


「フィレオティンガ邸の周辺の地理を頭に叩き込むんです! 少し黙っててください!」


「……はい」


 ――絶対に負けないんだから!


 女性だからといって侮る社会に。傲慢な貴族に。そして、夜の仮面であるレインに向かって、決意の炎を燃やした。

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