第2話

 そこでは二人の子どもが遊んでいた。

 少年と少女。二人がしているのは、『ドロケイ』もしくは『ケイドロ』と呼ばれる子どもたちが親しむ遊戯のひとつである。


 それは本来多人数で、泥棒役と刑事役にわかれて遊ぶ鬼ごっこの一種だった。

 だが少年と少女はいつも二人で、この遊びをやっていた。


 少年はいつも泥棒役をやりたがり、少女はいつも刑事役をやりたがった。遊戯名が『ドロケイ』と『ケイドロ』とで、どちらの役職が前にくるように呼ぶか、そんなくだらないことでよくケンカをしていた。


 これは、セピア色の思い出。振り返るだけで、胸の奥が切なくなり、泣いてしまいそうになる。

 それはひとつの幸せのかたちだった。


 ――五年前、少年が姿を消す、その日まで――


「――リディエータ警部」


 その声で過去の追憶からやっと覚めた。


 となり――最新蒸気式四輪駆動車の運転席にふり向くとそこには、柔和な笑みを浮かべる二十代後半から三十ぐらいの頼りなさそうな男がいた。まだ青年と呼んでも差し支えないかもしれない。長身痩躯な身体に細身の紳士服を身につけ、懐には、聖都警察標準装備である、六連発回転式拳銃――TK-56――通称ジャッジメントをいれている。

 もちろんリディエータも、女性特有の豊かな曲線をえがく肢体をスーツにつつみ、同じものを懐に納めている。


「もうすぐ着きますよ。リディエータ警部」


 彼女は、彼の言葉に眼鏡の位置をなおしながら、フロント硝子の向こうに見える豪華な屋敷を視界にいれる。


 もう到着したのか、と感心した。さすがに最新技術の結晶である蒸気式の四輪駆動車だ。馬車などとは速度が違う。いまだ馬車が主流であるなか、この駆動車は軍部や警察機構、貴族や一部の好事家以外は所有すらしていない。警察もすべての科に配備しているわけではなく、事件が第十二使徒――ネイギオミギア公に関わることだったので特別に貸し出されたのだ。


「わかりました、ダラス警部補。――あと何度も繰り返すようですが、わたしのことは、ロズモンド警部、と呼んでください」


「はい、失礼しました。――リディエータ警部」 


 その言葉に苦虫を噛んだかのようにリディエータは顔をしかめた。


 彼いつも柔和な笑みを浮かべ、気弱なところもあるが、これだけは何度いっても断固として受けいれられたことがなかった。


 それはダラス警部補が、亡き父――ウィルスタル・ロズモンド警部の最後の部下であり、父のことを『ロズモンド警部』と呼んでいた。だから、その娘であり、弱冠二十歳にして警部に昇進した彼女のことを『リディエータ警部』と呼ぶのだ。さらに彼はリディエータが子どもの頃からよく面倒をみてもらい、リディちゃん、と呼ばれて可愛がられていた。もちろん、仕事上では部下として接してはいるが、私生活では頼りになる人生の先輩である。そんな彼から『リディエータ警部』と名前で呼ばれていると、いつまでも子ども扱いされているようで、どこか納得がいかないのである。

 そんなふうに内心葛藤していると、駆動車が現場に到着した。


「ここが、第十二使徒ネイオミギア公の……」


 目の前には城と勘違いしそうなほど豪華な屋敷がそびえ立っている。一番高い目立つところに大きい十字架が飾られていた。まるで教会のようだ。

 これを造るのにどれだけの金がかけられているのか考えるだけで、嫌になる。貴族が集まる中央区にはこんな建物だらけである。


 これにくらべて、平民たちの家はみすぼらしい家畜小屋のようである。

 だが平民はまだいいかもしれない、これが聖都の最南端の地区――通称貧民街に行くと、瓦礫の中――廃墟に人が住んでいると錯覚さえする。


 そもそもこの聖都では、人は生まれながらにして、いくつものランクにわけられている。それは前世の罪の度合い――罪の有り無しを、神が選定していると教義で教えている。


 それが身分だ。

 死後に、『天国の門』をくぐる権利を生まれながらにしてもつ者、それが『十二人の使徒』などの大貴族だ。

 帰化すれば、それが叶う者が、下級の貴族。


 多くの努力――奉仕や浄財――が必要なものが、平民。


 そして、決して神の御国には招かれ者が貧民で、地獄に落とされる者が罪人だ。


 この国は、生まれがすべてを決めるのだ。

 貴族の領土に生まれた平民は、その領主様の所有物同然であり、領土に生える木や家畜と同じ扱いを受ける。

 少数の貴族を生かすためだけに平民が働き、貧しい思いをする。貧民街に住むものなど、人としてすら扱われない。


 リディエータは中流貴族の娘であるが、これらのことに憤りを感じている。当たり前である。こんな不条理がまかりとおる社会が正しいはずがない。


 だからこそ、リディエータはこうして日々努力しているのである。

 父の背中に憧れ、それを追いかけるかのように猛勉強した。


 そして、女性でありながら、史上最年少の若さで警部となり、父の発足した部署に転属したのだ。そこは特法零課と呼ばれ、犯罪の証拠があれば、貴族であろうが逮捕できる権限と自由な捜査権をもった超法的部署であり、国王の直属でもあった。


 このような部署をつくりだした父を誇りに思い、父亡きあとは自分がそれを引き継いで、この国を良くしていこうと日々邁進しているのだ。


 ――だが、現実は、そうはうまくいかないものだった。

 名目上は、貴族さえも逮捕できるとあるが、その権力を前に事件をもみ消されるなどは、しょっちゅうだし、人を殺そうがそれが領地内であれば、口をだすこともできない。


 こんなことが平気でまかりとおる国なのだ。王はそれを憂い、なんとか国を立て直そうとしているが、すでにこの国は内部から腐りきっていた。

 民は貴族の目を恐れ、細々と暮らしていく他はなかった。


 だが、そんな民にも――希望がいた。


 義賊と呼ばれ、悪行を繰り返す貴族に天誅をくだす者。『夜の仮面』と名乗り、貴族から奪った金を民に配ったりもした。


 いつから彼がいるのかは誰も知らない。ただ、リディエータの曽祖父が生まれる以前から『夜の仮面』はいた。

 常識的に考えれば、人が百年以上も生きるわけがないのだが、彼は不可思議な力をもち、絶大な権力をもつ貴族に対してきたのだ、不死身だと信じる者も多数いた。


 そう、いた。過去形だ。

 今は子供でも、彼が不死身だと思うものはいない。

 夜の仮面は、すでに十年も前に捕まり、処刑されているのだ。


 彼を捕まえたのは、リディエータの父――ウィルスタル・ロズモンドだった。夜の仮面を捕まえた功績を認められ、いまの超法的部署――特法零課をつくることを許されたのだ。


 夜の仮面は処刑された。

 それは間違いない。なのに、三日前、夜の仮面から予告状が送られてきた。届け先は『十二人の使徒』第十二位・ネイオミギア公の邸宅だった。


 十二人の使徒とは、王家とともに聖国を建国した古の家系である。その威光は他の貴族とは一線を画しており、その総意は、国王の意見と同等とされている。


 国政に大きな影響を及ぼす重要な案件は、この十二家の当主、十二人で議論し、その結果を国王が認証する制度がとられている。


 夜の仮面殻予告状が届いたとき、誰もが性質たちの悪い冗談だと思った。


 警察上層部も、今回のことは、亡き夜の仮面の名を騙った小者だとする意見も多く、第十二位の貴族への予告状であったのに、今夜派遣されたのは、一個小隊とリディエータとダラス警部補だけである。


 さらに言うなら、ネイオミギア公も相手にしなかった。もし、賊が侵入しても、私兵を数多く雇っているので問題はない、と言われた。ただこの私兵というのが、貴族の次男や三男坊などで構成されており、剣などは嗜みとして扱えるのだが、実態はやりたい放題の荒れくれ者と変わらない。


 そして、リディエータは屋敷に入ることはできず、それでも警備をしないわけにもいかないので、屋敷の外――塀や門の前に待機することになった。


 予告状には午前零時とあった。いまは五分前だ。


 リディエータは、時刻が迫るたびに、ある種の疑念がよぎる。


 ――この予告状は、偽物ではなく、本当に『夜の仮面』が出したものではないか?


 何度そんなことはないと思いなおしても、しこりのように消えず胸に残る。


 彼女は知っていた。『夜の仮面』の名を継ぐ者がいる可能性を。その彼は――五年も前に姿を消していた。


 そんなはずない。彼のはずがないと思いつつも、それは焦燥となって心を焼いている。


 そして、――予告の時間になった。


 深夜零時を告げる鐘がなる。

 しばらくは誰も口をきかず、十分がすぎる頃には、やはり悪戯だったという言葉がゆきかった。


 リディエータも不安を胸の内から追い出すように吐息をついた。杞憂だったと思った。

 やがて、撤収と号令をかけようとした――そのとき。


 それは起こった。


 屋根の先端にある十字架が根元から断ち斬られ、崩れ落ちたのだ。

 周囲が騒然とした。

 巨大な十字架は、門を潰して、横たわった。


「……ッ! これはっ?」


 リディエータは目を見開いて巨大な十字架をみつめた。そこには頭髪の少なくなった肥えた中年男性が磔られていた。


 煌びやかな紫色の衣服と、首に下げられた宝石をあしらった十字架。リディエータも何度か顔を拝見したことがあった。


「――ネイオミギア公……?」


 彼はすでに息絶えていた。どれほどの絶望と苦痛がネイオミギア公を襲ったのだろう、その顔は醜く歪められ、怨嗟の言葉を吐いているようだった。


 警官たちが慌てふためいた。天上の人に等しい大貴族『十二人の使徒』の一人が殺されたのだ。


 乱れ飛ぶ声と動揺を耳にしながら、リディエータは、ネイオミギア公の胸部分を凝視していた。


 その胸は、逆十字に切り裂かれていたのだ。


 ――〈魔印〉


 〈聖印〉を反転させた。魔のシンボル。

 そして、『夜の仮面』が必ず現場に、残していた紋章。


 リディエータは血の気のひいた顔で、十字架のあった屋根を見た。


 そこに、――彼はいた。

 黒衣に身をつつみ、闇に溶け込んでいるため、銀色の仮面だけが浮いているように見える。

 夜の仮面と呼ばれる所以だ。


「おい、あれ……ッ!」


 周囲に配備した警官たちが、彼に気づいた。


「本当に、夜の仮面がッ?」


「そんな、馬鹿な――」


 動揺がよりいっそう伝播する。震えて腰を抜かすものさえいる。


 そのざわめく声に冷笑するように、彼は唯一露出している唇を三日月のように歪めた。


「貴族に虐げられし民たちよ。――今宵、我は復活を果たした」


 その声量は決して大きくはなかった。だが誰一人それを聞き逃すものはいなかった。


 夜気を切り裂くように漆黒の外套をひるがえす。


 それに呼応するように、強風が吹き荒れた。外套がさらにひるがえり、まるで悪魔の翼を髣髴ほうふつさせた。


 周囲の木がざわめき、甲高い風切音が夜の空気を震わせる。

 急激に気圧が変化したかのように耳鳴りがやまない。


 まるで、夜闇が主の帰還に狂喜の叫びをあげているかのようだった。


 リディエータは身体の芯が凍りつくような怖気を感じていた。


 異常であった。人の精神を掻き乱すような場景が目の前で展開されている。

 自分の身体を掻き抱く。それでも震えも、背筋へ這い蠢く怖気を止めることが出来なくて、歯ががちがちと鳴った。

 狂騒が不吉の予感を告げているようだった。


「傲慢なる貴族たちよ。安眠できる夜は終わりを告げた。夜を怖れよ。闇に怯えよ。我は――悪を滅す大悪なり――」


 いつの間にか、膝が崩れ、座り込んでいた。ダラス警部補が肩を支えてくれていることに気づかないほど動揺していた。


 ――彼だ。五年前に、わたしの前から姿を消した……彼に間違いない。


 声は昔よりも低くなっていた。背もずいぶん伸びていた。すでにリディエータよりも高いだろう。もう幼さの残る少年ではなく、大人びて見えた。それでも、仕草が、喋りかたが、そのすべてが、彼だと訴えていた。


「――レイン・ジューダス……」


 それがリディエータの知る、彼の名前だった。

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