第132話 聖女と愚者ー解放ー
「もうめんどくさいなぁ」
木の無骨なテーブルに肘をつきながら男がつぶやいた。
「…………」
リリアはなるべく刺激しないように黙りながら、周りの様子をうかがっている。
街からかなり離れているのか、外から声は聞こえない。
けど、何度か微かに魔物らしき絶叫は聞こえてきていた。
何が起こっているのか。
それすらもわからない彼女は、ただただ少年と街の無事を願うしかできなかった。
「私さぁ、痛いのとか嫌いなんだよね。かわいそうじゃん? だからさぁ、あんまりこういうことしたくないんだけどぉ」
「ッ!!」
ペロリと舌を出して懐からナイフを取り出した男を見て、リリアが息を呑む。
「おぉ、いい顔するねぇ。さながらさらわれのお姫様ってところだ!! じゃあ、王子様が助けに来てくれないとだよねぇ。ねぇ、いるの? 君にとっての英雄くん♪」
リリアの顔を見て愉快げに笑った男は、まるでその存在を期待するかのように尋ねる。
「――――いません」
その問いに、リリアは考えることもせずに答えた。
王子様に当てはまる人で一人思い浮かべたが、
――――英雄
その言葉が似合う人ではなかった。
むしろ、その言葉をかけられたら嫌そうな顔をして否定するような、すこし変わり者だ。
「あはははは、そうかそうか。いないのかぁ。それはかわいそうだねぇ。さすがの私も同情しちゃうよぉ。君のこと調べてたから事情はよぉく知ってるけど、そこまでなんだねぇ。王女なんだから一人や二人はいると思ったよ、物好きな人がね〜。」
男は期待通りの答えではなくて残念と思いながらも、これはこれでいじりがいがあると、ニンマリとした顔をしながら話す。
「あいにく、英雄なんて方はいらっしゃいません。」
その顔を見て、リリアは『英雄』の言葉を強調して答えた。
「ほぅ。その言い方だと、それ以外の人はいるみたいじゃないの。」
興を削がれたと、少し不機嫌そうに男が言う。
「はい。まぁ、一人だけですけど。」
「へぇ、その人は助けに来てくれるのぉ?」
「はい、間違いなく。」
「へぇ。英雄じゃないのに?」
リリアの強く信じて疑わない返答に、男はますます不機嫌になって口を尖らせる。
男はピエロになるのは上手いが、思ったことがすぐに顔に出るタイプのようだ。
「英雄じゃないのにです。」
リリアは男を見つめながら、挑発的にも思える笑みを浮かべる。
「ふぅん、ちなみにその人はどんな人?」
その笑みに対して、男は興味ないとばかりに鼻を鳴らすが、ヒクつく口角が彼の不機嫌さを表していた。
「その人は――」
普通なら、誘拐犯が不機嫌そうにすれば攫われた側としては怯え慄くはずなのだが。
彼女はまるでこの瞬間を待っていたと、その顔が見たかったと言わんばかりに、更に広角を上げ。
その言葉を言えば相手が憤怒することを知っているのに、わざとそれを誘うように、
「――――賢者様です」
妖艶に嘲笑った。
「黙れよ小娘。おい、死ね。その言葉の意味わかってんだろ? なぁ? もういい。殺す。お前と話す意味もねぇ、殺す。今すぐ。」
リリアの思惑は当たったようで、それまでまだ笑えていた男が本気で顔から表情を消して、彼女を壁へと押し付けた。
「殺せないですよ。だって賢者様が助けに来てくれますもの。」
首根っこを掴まれて、男の手にはナイフが握られているというのに。
リリアは、燃えたぎる炎の中にさらにガソリンを足すように、挑発的に
「殺す、殺す、コロす、コロス……コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス」
もはや男の感情は、壊れた防波堤から溢れ出る濁流のようにとどまることを知らず。彼は『コロス』とだけつぶやきながら、少女の首に刃を突き立てていく。
「ほら、ね?」
ジリジリと自らの首の皮が切れ、血が吹き出し始めているというのに彼女は余裕気な表情で。
やっぱり私のほうが正しかったと、近所の子供に勝ち誇るお姉さんのように、ある種誇らしげに笑った。
「コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコ、コロッスゥゥウウウウウウウウゥゥウウウウウ!!!!」
男は瞬きをせずに目を血にたぎらせて、ナイフを振り上げる。
今その瞬間、鋭利な刃が自らの身体に突き立てられようとされているにも関わらず、リリアは余裕げに笑っていた。
彼女は、気が狂ったわけでもなんでもない。
ただ、彼女は知っていたのだ――
――もう既に、英雄ではない彼が現れていると。
そう、賢者はすでにたどり着いていた。
彼はナイフがその柔肌に触れるか触れないかのタイミングで現れ、
「お待たせしました」
そう、これまた余裕げに、笑ってみせたのだった。
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