第125話 失踪。そして侯爵

「失踪?」


僕はギルドの窓口の前で首を傾げながらつぶやいた。


80層の無駄にうねうねする蛇の魔物を倒して帰ってきたのだけど。


ギルドがなにか騒がしいので尋ねてみれば、ダンジョンに潜ったはずのBランク冒険者がいなくなったらしい。


「はい。もう、2日ほど姿が見えなく、すぐに戻ると仰っていたので帰っていないだけというのもありえないかと。まだ何があったと決められるわけではありませんが……何卒お気をつけを。」


受付のお姉さんがペコリと挨拶をして、奥へと戻っていく。


「はて、本当にヤバくなってきたね……」


僕は苦笑いしながら、お姉さんの背中に頭を下げてギルドから出る。


『巻き込まれ体質?』


そんな体質いらないよ……。


僕は魔王のつぶやきに心のなかでうんざりと返して、とりあえずお屋敷まで戻った。






◇ ◇ ◇ side リリア ◇ ◇ ◇







「はい……はい。了解しました。」


リリアは目の前にズラーッと並べられた資料を目で追いながら、耳から聞こえてくる説明に頷き返していく。


「少し休憩にしますか。いやはや、王女殿下は優秀でございますね。」


「そうですか?」


ふぅと息を吐いて、リリアは目の前に座るべチア侯爵に向き合う。


「はい。ここまで速く進むなんて思ってませんでした。一ヶ月弱かかるかと思っていたのですが、これなら本当に一週間となく終わりそうです。」


侯爵は人のいい笑みを浮かべて額の汗を拭う。


リリアも侯爵も二人共朝からこの部屋のこのソファから一歩も動いていないはずなのに、汗だくであった。


もう外は日も落ちている。


朝から夕方まで昼ごはんも食べずに、二人で山のような書類を片付けていく。


王城で決まった筋をなぞるだけといえど、刻一刻と変わる情勢や綺麗事の机上の空論ではどうにもならない場所の詰合いなど、頭はフル回転しっぱなしだ。


さきほどから、砂糖のたっぷりと入った紅茶を二人で何杯も飲み干している。


「はぁ……いやはや、キツイですの」


まだ侯爵になったばかりで30後半であるはずの彼は、ネクタイを緩めて腰を叩きながら言う。


「えぇ、本当に文官達の辛さが身にしみてわかります」


リリア様も苦笑いにいくらかの達成感を混ぜて微笑み、シャツのボタンを一つ外した。


侯爵が処理し終わった紙を片付け、新しい書類の束を持ち上げる間、リリアはレストのことを考えていた。


彼は今、ダンジョンの何層にいるのか。


ゆっくりとのんびり進めているのか、はたまた怒涛の勢いで進めているのか。


しっかりとしていてそしてどこか抜けている彼ならどちらもありそうと考えたところで、


「ふははは」


侯爵の小さな笑い声が聞こえた。


「どうしましたか?」


リリアはいきなり笑い始めた侯爵を不思議に思う。


「いや、殿下は騎士様を強くお想いなのだと思いまして。」


侯爵がドサッと本日分最後となる書類の束を置きながら笑った。


「……顔に出ていましたか?」


リリアは少し恥ずかしげに尋ねる。


「いや。空を見つめて慈しむように微笑む女性の姿を、私は恋相手を考えるとき以外に見たときがありませんので。」


「……再開しましょうか」


からかうように言った侯爵の言葉を否定も肯定もせずに、リリアは書類に目を落とす。


その頬は赤く染まっていた。


「えぇ、よろしくおねがいします。」


侯爵は若者は美しいですなと声には出さず呟いて、仕事用の真剣な顔に切り替えたのだった。








◇ ◇ ◇ side レスト ◇ ◇ ◇







「さてと、色々準備したし、今日で終わるといいな」


僕は自分たち以外誰もいない80層で背伸びをしながら言った。


『今日と明日で泊りがけでやれば、かなり進むんじゃない?2日で80だから、単純計算で160はいくね。』


「まぁ難しくはなるだろうけどね。行けたらいいよ。」


魔王のつぶやきに同意して、僕は81層へと踏み出す。


「景観は相変わらず変わらず、モンスターも見えないね。」


唐突に上とか下から出てくる可能性もあるから、80を超えたし緊張感を持っていこう。


僕は急ぎつつ慎重に進んでいった。








90層はベトベトした溶けたスライムみたいな魔物だった。


汚くて……生理的に受け付けず少し苦戦したけど、炎の魔法で消し炭残らず消し飛ばして事なきを得た。


そしてその後も順調に進み。


やってきたのは100層。

80を超えても何もなかったけど、流石に100を超えればなにか変わる……と思いたい。


「出てくるモンスターは確実に強くなってるんだけどね」


「普通なら50層前後くらいの強さだな。」


僕のつぶやきに、精霊王さんが適切な補足を入れる。


「そうなんだよねー、いまいちダンジョンの奥って感じがしない。というか、見た目はゴツいのに戦ってみると弱いパターンが多いから。」


弱体化?しているから、見た目は90層相応のとても大きかったりゴツかったりするけど、その中身が50層程度の弱いやつだから、総じて見かけ騙しみたいになっている。


「ずっとここにいたらモンスターの強さの感覚がバグりそうだな」


そんな、精霊王さんの皮肉を背に、僕は100層の扉を開けた。


その瞬間、



「ギダァァァガァナアハヮカタヲナアサヮバナタハダナアサヮバハァブサアアアァァァァ!!!」




大絶叫が響き渡った。


魂を揺さぶり、肌を焦がし、大地を震わすような大絶叫。


「ドラゴン……しかもスケルトン……!!」


僕はとっさに後ろに下がって言う。


普段のボス部屋の何倍も大きい部屋には、骨でできた数十メートル級のドラゴンがいた。


「ッチ、やっかいだな!!」


精霊王さんが間合いを確かめながら、魔法を構築して言う。


「ふふっ、けど、久しぶりに本気が出せそうっ!! 精霊王さん、前任せていい!?」


僕はもう一歩後ろに下がって言う。


「任せとけっ!!」


魔法を構築し終わった彼女はこちらを見て、ふっと微笑んだ。


その瞬間、スケルトンドラゴンの周囲に氷の刃が展開され、突き刺さった。


普通ならドラゴンでも倒せる一撃だが……


「ギナァァハアダァァァァァ!!」


骨であるスケルトンには、通用しない。


彼は王たる風格をそのままに、傷一つない体躯でこちらを見下ろしていた。













「本気出すよ!!」


僕は誰に言うでもなくつぶやいて、収納魔法で杖を出す。


いつもは使わないけど、今日は別だ。


杖を前に出して、普段なら言わない詠唱もちゃんとやる。


「神よ、神の御力を我らに。幾千の星々と並び、聖すらも通り越した我らに、汝自ら与え給え。世界憎むべからず、人憐れむべからず。我ら弱きもの。しかし、重なればいつかその喉元に突き立てるもの。憎悪の刃にならぬよう、御力を愚者へ。」


まだ使ったことがないほどの魔法。

正直、ここまで強くなくてもいいと思うけど、使ってみたかった。


杖の周りに強大な空気の渦が巻いたりなどせず。ただ静かに先が光る。


僕はその美しさに惚れ惚れしながら、最後の一節を紡ぐ。


神の毒林檎知恵の実


それはまるで、水面に雫を落としたかのように。

波紋は伝染し、世界は混沌に包まれる。



「グァァナササァザガガザガァァナガガダァァァアァァァダァァァァァァ!!!?!?!!」



音のなかった世界に、ただ愚者の絶叫だけが響き渡る。


スケルトンドラゴンに、まるで毒には見えない白い液体が降り注ぎ、その骨が溶け出していた。


「化け物か……」


精霊王さんになにか言われているが、褒め言葉として受け取っておこう。


「グギァァアダァァアアアアア!!!!!!」


スケルトンドラゴンは最後の絶叫を上げ、死んでいった。


「ふぅ、初めて使ったけど、加減できるものだね。」


僕はスケルトンドラゴンがいた方へ歩きながら言う。


「神級魔法……。弱くしか撃てなかったんじゃなくて、わざと弱く調節したんだろ?」


精霊王さんがこちらを呆れつつも怖がるように見ながら言う。


「そうだね。流石に本気でやったらヤバイ気配してたから。かなり抑えて抑えて、それでもあの威力だよ。」


「本気で化け物じゃないか……」


なんか引きつった笑顔をされてしまったけど、これは、転移したときの特典もあるし、賢者様のお力もあるから。


持てる力全部を使ってって感じだから、僕一人じゃ撃てなかったと想う。


『魔力たりてる?』


魔王が珍しく心配そうに尋ねてくる。


「多分?そんなゲッソリもう歩けないって感じではないかな。弱くしたのもあると思うけど、大丈夫だよ。」


僕は右手を閉じたり開いたりしてみるが、別になんの違和感もない。


普通に疲れも魔力が足りないという感覚もない。健康体です。


「これで100層……だけど、まだ奥がありそうだね。」


僕はスケルトンドラゴンがいた場所の奥にある階段の入口を見ながらつぶやく。


「行くしかないな」


僕らはさらに奥へと足を進めた。

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