エピローグ 赤色の雨

武術会から少し経ったとある雨の日。

僕は朝早く起きてしまってやることもないので久しぶりに剣を振りにでた。


休みの日だからギルドに行こうかとも思ったが、雨だったから学園の屋根のある訓練場に行くことにする。


あそこはよく行くけど、今までであったことがあるのは第二王子のエドワードさんくらいだ。


「ふぁぁぁ……」


昨日早めに寝たわけでもないのに、早く起きてしまったからあくびが出てきた。

少し眠いような気もするが、じゃあう今から二度寝できるかと言われれば微妙なライン。


せっかくここまで来たし、剣を振っていこう。

僕はそう思いながら、訓練場への最後の角を曲がった。


「あれ、誰か居る……」


人影が見えたからエドワードさんかと思ったけど、髪の毛の色が違う。


まだ朝で太陽も登りきっていないので、薄暗い訓練場で真っ黒な短髪が揺れているのが見えた。


こっちの世界にも黒髪の人が居るんだな。

そう思った僕は、挨拶でもしようかと一歩踏み出す。


僕の頭からは、自分以外のクラスメイトも同じようにこの世界に来ていることが抜け落ちていた。


「っ!!」


僕は真剣に素振りをする人の顔を見て、すぐさま物陰へと逆戻りする。


な、なんで彼が…………。

一番会いたくない男、赤井がいるんだ……。


僕は気づかれていないようだし、このままそっと帰ろうかと思う。

しかしそれと同時に、こんなところで一人真面目に鍛錬をする彼への違和感を覚える。


赤井は絶対にこんな事をするような人間じゃなかったはずだ。

つい最近の武道会の準決勝で見た彼も、驕り高ぶる最低最悪の赤井そのものだったはず。


そんな彼がここにいるなんて、もしかして僕の見間違えか……?


少しでも興味を持って考えてしまえば、もう思考は止まらずにとても気になってしまう。


少しだけ、ちょっとだけ見てみようかな……。


僕はそう思いながら、壁から少しだけ顔を出して、訓練場の人影を見た。


「はっ…………ぶぅ……ぐっ……」


そう荒く息を漏らしながら愚直に剣を振り続けるのは、赤井咲夜そのものだ。

あの髪もあの顔もあの声も全て、僕が拒絶していた彼。


彼が僕をいじったことから全てが始まって、僕に望まぬ姿を強いい、その取り巻きが僕に何をしても止めようともせずただ笑っていた彼。


その姿を見るだけで吐き気がして、嫌になるほどのトラウマである彼は今。


「ぐはっ……っ……ぬっ……」


ボロボロの姿で汗を垂らして剣を振っていた。


「なんで……」


彼の姿を見ていたら、知らぬ間に僕の口からそんな疑問の言葉が漏れていた。


されてきた、いじめられてきた僕だから分かる。


彼のあの服の汚れ様、体も微妙に歪んで痛んでいるのに関わらず肌などの見える所だけは不自然に綺麗な様。痛みを庇った動きに、ときたままるで確認するように体を触ること。


その全ては、誰かに理不尽に傷つけられている証。


ーーーーいじめ。をされている証左。


「なんで……」


僕がもう一度疑問の言葉を投げると、


「なんでだろうな。」


そんな落ち着き払った声が帰ってきた。


「っ!!?」


僕はいきなり背後から聞こえてきた声に、すぐさま距離を取るが、


「俺だ俺。第二王子のエドワードだ。久しいな。」


相手の男は両手を上げて、フレンドリーに笑ってみせた。


「お、お久しぶりです。」


僕は彼の腰に挿さった剣をみて、僕と同じく鍛錬に来たのかと納得する。


「武道会優勝おめでとう。」


エドワードさんは拍手のジェスチャーをしながら言った。


「ありがとうございます。エドワードさんは出なかったんですか?」


「あぁ。出たかったんだが来賓席を用意されてしまったから、爺婆の隣で大人しく座っていた。お前とあの公国の勇者との決勝はなかなかに興奮したぞ。」


僕が尋ねると、彼は渋い顔をした後に楽しげに笑う。


「カイン君強かったですね。」


僕がそううなずくと、


「公国との関係も良くなれば良いんだがな」


エドワードさんが真剣な顔をしてしみじみとつぶやいた。


「彼がそんなに気になるか」


僕が黙っていると、彼は苦笑気味に尋ねた。


「へ?」


「いや、ずっと見ているから。知り合いなのか?」


エドワードさんは今も剣を振り続ける赤井を指さして言う。


もしかして僕、ずっと無意識に彼のことを見ていたのか……。


「…………はい」


思いの外僕は赤井のことが気になってしまっているらしい。


僕が赤井から目を離さずに返事をすると、


「やつは丁度武道会の翌日から毎日ここに来るようになった。」


エドワードさんもこちらを見向きもせずに集中している赤井を見て、そう語り始めた。


「朝練……ですか。」


朝に彼が努力を、しかも人に見えないところで行いなんて本当に信じられないが、エドワードさんが言うのならば本当なのだろう。


……一体彼に何があったんだ…………何が彼をそんなに動かしたんだ


「いいや、朝だけじゃない。時間があれば剣を振っているし、走り込みなんかをしている様子も見受けられる。俺もずっといるわけじゃないから全ては分からんが、見た限りでも相当なやりこみようだ。本当に、なにかに取り憑かれたように鍛錬をしていて、俺も関心しているんだ。」


エドワードさんは腕を組んで、赤井を真っ直ぐに見つめながらつぶやいた。


本当に、どうしてしまったんだろうか……。


「そう……なんですね……。」


僕は赤井が変わるのは良いことなのに、何故か手放しで喜べない複雑な心境でそう頷く。


「ふっ。お前も色々あるんだな。」


僕を見下ろして、微笑む第二王子。

その笑みからは、どこか第三王女の面影が感じられた。


「…………」


「事情はよく知らんが、後悔がないようにな。じゃあ、俺は用事を思い出したからここで。」


なんと言えばいいか分からずに黙り込む僕に、彼はそれだけつぶやいて去っていった。


「後悔がないように……か…………」


僕は一度も休まずに鍛錬を行う赤井をみつめながら、いつか誰かに言われたのと同じ言葉を繰り返した。







「おい」


僕は自分でも驚くほどに低く冷たい言葉を投げた。

いつもなら使わない強めの単語を、さらに語気をわざと強めた。


「は、はい?」


僕の目の前に立つ少年は、いきなり現れた僕に驚きながらもそんな丁寧な返答をする。

僕の知っている彼は、そんな事を言うような人ではないのに。


正直、どうしようかかなり悩んだ。


このまま去っていくことも考えたし、いきなり斬りかかろうかとも思った。

けど、そのどれもが『後悔』が残ってしまうように感じられた。


だから僕は、あえて強く出てみることにした。

彼が本当に変わったのなら、逆上して来ることはないはずだから。


僕の目には、剣を片手に突然話しかけられて眉をひそめる彼が、本当に赤井咲夜本人だとは到底思えなかった。


それに、そんな少しいい面をして偽善の仮面をかぶったところで、僕の気持ちは治らない。


治っていいーーーーわけがないーー


「剣を持て。」


僕は彼にそう吐きつけた。


本当はこんなに強く言うつもりじゃなかったのに。

自分で自分の感情をコントロールできていない。


ずっとずっとずっっと、僕は彼を憎んで、それを根本に抱いてやってきたのに。

なのに、そんな簡単に僕の知らないところでいともたやすく彼が変わってしまうのは、許せない。


彼は悪逆非道の天上天下唯我独尊な人間のはずだ、優しさの欠片も、恩情の少しも持ち合わせていない…………はず……なんだ…………。


「え、え?」


赤井は相変わらず意味がわからないという表情のまま、おずおずと己の剣を握り直した。


「戦うぞ。」


僕は自分の体が熱くなって、燃えていくのを感じながら腰から剣を抜いて構えた。


「行くぞ!!」


「ちょまっ!」


焦ったように叫ぶ彼に構わず、僕は地面を蹴って突進していく。

彼と僕との間には明確な実力差があるからいつもなら手加減するはずなのに、今回ばかりは全力以上の本気だ。


「グゥッ!!」


僕の全速の一撃を受けて、赤井は大きく後ろに押されて着地すらままならず、体勢を崩した。


「ガハュ!」


僕は彼がまだ立ち直っていないのを見ながらも、さらなる追撃を食らわせる。

それは、相手の悪いところを咎めてゆっくりとリードを広げていく指導試合とは全く異なった、一方的な試合。


「グンッ!!」


「グォッホ!!!」


「ナハッ!!」


脇腹、肩、太もも。その全てが致命的な打撃を与えかねない一撃。


「はぁ……はぁ……はぁ…………」


僕の息を荒くなり始めた頃には、


「ガハッ………ヒュー……フュー…………」


赤井はもう気絶寸前で、地面に倒れ込んでいた。


やって……しまった…………


僕は、動かない赤井を見て、そんな言葉を頭に浮かべた。


途中からもう制御がつかなかった。

理性が飛んだように、ただ攻撃を続けていた。


本当に、どうかしているようだった。


ただ、不思議なことに後悔の二文字は影すらも浮かんでこない。


「君ぁ………誰……なんあ……?」


ゆっくりと体を起こした赤井が、回らない口を精一杯回して尋ねる。


「…………」


僕はなんと返せばいいか分からずに、ただ俯いた。


「……どうして……こんなことを……?」


赤井が一度咳き込んだ後、そう尋ねる。

その顔には明らかな恐怖が宿っていた。



その瞬間。僕の心の中で、何かが切れた。


何かとても大切で、僕の根本にあって、今までずっとギリギリで保たれていた何かが……切れた。


何で……何でお前が……そんなに苦しそうな顔で、『なんで』をつぶやいてんだ…………ふざけるな……ふざけるなッ!!


「どうしてあんなことを?」


僕は場も凍るような、冷たさで質問を投げた。


「なっ……」


それを聞いた瞬間、赤井の顔が驚きでゆがむ。

彼は、恐れるよな畏怖するような表情をした後、諦めたように一度大きく頷いて。


「それは……俺にもわからない……」


そう、つぶやいた。


「ただ、後悔しかないのは事実だ」


彼は、ひどく穏やかな顔をしている。


「外から見たら一発で分かることなんだ、俺はもとからお世辞にも良いとは言えない人間だが……それでも、あれはおかしかった。」


己の傷だらけの拳を見つめて。


「あの時は普通だと思っていた。周りもそうだった。火の中にいたら、燃えていると、わからないんだ。」


そんな言い訳を並べる。


「…………はぁ、また言い訳だ……」


それは彼も分かっているようで、自分自身に嫌気が差したように頭をかくと、


「君が何を知っているのか俺にはわからない。」


そう苦笑して、


「ただ、この際ここまできたのなら付き合ってもらおう。」


静かな独白をはじめた。

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