第111話 ー少女と魔王ー
「ゴホッゴホッ」
少女はベッドに横たわりながら咳をした。
かけられた水が体温を急激に奪って、もとから弱い体に拍車をかけている。
吐き出した咳はすぐには終わらずに長引いて、彼女の体を蝕んでゆく。
ーーもう、良いかな
少女がそんな諦めとも取れるような言葉を思い浮かべたその時。
トントントンという心地の良いノック音ともに、
「ごめんください。」
そんな優しい声がかけられた。
少女はその言葉にどう反応すればいいのか、悩んでいた。
さっき同じような事があって裏切られたばっかりだ。
そもそもこんな小屋にわざわざ来る人なんて、よほどの物好きしかいないだろう。
だから、開けなくたって、いないふりをしたって……いい…………。
「はいどうぞ」
でも、そう思っていても少女はそう、たん絡みの喉を酷使しても、声の主に
そんな簡単に御伽噺の王子様のような人が現れるわけない。
ずっと夢で、憧れだった『勇者』に先程ひどい仕打ちを受けたばかり。
そう分かっていても、少女は思い体をベッドから起こして、動く扉の向こうにいる『英雄』を期待してしまう。
「失礼します。」
躊躇気味に入ってきたのは、とても優しそうな少年だった。
背も小さく声も高く、まだ幼気な雰囲気が残る少年。
少年は全体的に疲れた雰囲気を出しているが、その瞳からは確かな『心配』の色が感じられた。
ーーーーこの人なら
少年は律儀に頭を下げる少年を見ながら、そんな何度目かわからない淡い期待を抱いた。
「どうしたんですか?」
少女は己の髪から滴る雫越しに見える少年に尋ねる。
少年は部屋の様子を見渡して浮かんできた、なんとも言えない切ないような苦しいような辛いような表情を、
「あ、あの……な、名前は……名前はなんて言うんですか?」
そんな当たり障りのない質問で濁した。
彼は己の気持ちをそれで隠したと思っているが、実際には少女には全て伝わっていた。
ずっとここで生きる彼女ですら分かる、この部屋の異常さ。
それを目にした彼は、きっと入ってきたことを後悔しているのだろうと。
そう少年の心のうちを推測しながら、少女が答える。
「リリア・バモン・ヤフリオ…です。」
少女の返答に、少年はやってしまったというような表情を浮かべた。
「あっあの、失礼を承知でお聞きしますが、王女殿下でありますか?」
「…ち…が………」
少年が何かに怯えるように投げたその質問に、少女は内心とても戸惑っていた。
本名を言うのでさえ躊躇した理由は、明らかに先程の事件が絡んでいた。
真剣にこちらがすべてを正直に答えても、相手はそれをすべてひっくり返してぶち壊すのではないか。
そんな不安が彼女の小さな心を覆い尽くしているのだ。
そもそも、自分の存在自体秘匿されたものなのに、正直に打ち明けていいものなのか。
少女は様々な可能性を考慮して、考え抜いた末。
「はい、そうですよ………。」
そんな肯定の言葉を返した。
正直、不安は晴れないまま曇雲となって彼女の心を覆っている。
でも少女は、信じてみようとそう思った。
さっきは信じた結果裏切られてしまった。
だから、今回は信じない方がいい。普通はそう思うだろう。
しかし、純粋で夢見がちな少女は、優し過ぎる彼女は、その選択をとれなかった。
もし彼が自分を思う一心で尋ねたのならば。
もし彼が本当にいい人だったのなら
もし彼が自分にとっての『英雄』だったのなら
そんなもしもの話を考えて、期待を抱いて。
そうやって彼女は、
「あの、王女殿下、髪の毛を乾かさなければ風邪を引いてしまいます。」
少女はその言葉に目を見開いて驚いた。
今彼女は、彼を信じてよかったと、心の底から思っている。
彼はさっきの『勇者』と違って、自分を心から心配してくれて、心から何かをしようとしてくれるのだと。
「そうですね。ですがここにタオルはありません。」
少女は、まだ不安さが抜けない彼の優しい顔をみながら言う。
今も滴っている水が彼女の体温と生命力を奪っているのは明らかだったが、拭けるような布がシーツくらいしかないので仕方ないのだ。
それに、彼女なそれを拭くような気力はなかった。
もう今までの積み重ねと、さっきの事件で幼い少女の心身はボロボロで限界寸前なのだ。
気持ちだけでも嬉しいと微笑もうとした彼女に、
「その、よろしければですが、乾かしましょうか?」
少年は、そんな優しい提案をする。
「よろしいのですか?」
少女は戸惑いながらも、濡れたままは辛いので拭いて貰いたかった。
「えぇ、貴女様がよろしければ。」
そう微笑んだ少年を見て、おずおすと彼女は布団から起き上ってベッドの縁に腰掛ける。
「失礼します。風を与えよ、風。火を与えよ、着火。」
少年は魔法を使って、少女の髪の毛を乾かしていく。
少女は優しく扱われる感触に、自然と涙がこみ上げてきた。
それは髪の毛が乾くことではなく、少年の優しさそのものへの涙だった。
ずっとずっと、酷い環境にいた彼女はこんなに優しく繊細に扱われることは初めてで、とても嬉しくなったのだ。
「出来ました。」
最後まで優しく髪を乾かし終えた彼は、そう呟いてベッドから降りた。
「あの、その………ありがとうございます。」
少女は床に散らばったガラスの破片の掃除までしてくれていた。
その姿を見た王女は嬉しいとともに、何故こんなに優しくしてくれるのかと。その裏に何かあるのではないかと少し不安になりつつも、感謝の言葉を述べる。
窓から入り込んできた風まで優しく感じられるようだった。
「……王女殿下、何故貴女はこちらに?」
少女を見つめながら、少年が尋ねた。
「そうですね……。…私は表に出てはいけないのです。」
少女は一瞬話そうか迷ったが、ここまで優しくしてくれた彼になら話しても大丈夫と。
彼のことを……信じてみようと。そう思って、話し始めた。
今までのこと。自分の家族に境遇に、受けた仕打ち。
隠したい過去までそのすべてを彼に語った。
「なぜ髪が濡れていたのですか?」
話を聞き終えてなお、優しい微笑みを絶やさずに彼は尋ねる。
「そ、それは………花瓶を落としてしまって。」
少女は、そこで始めた嘘をついた。
本当は故意に落としたのではなく、悪意でかけられた。
けどそれを言ったらきっと、この優しい少年は怒って『勇者』を探してしまうから。
だから、少女は初めて彼に嘘をついた。
その後彼はその嘘を気にせずに、少女の病気について尋ねた。
少女は彼に自らの持病について詳しく語った。
詳しく話せば彼も他の人と同じように引いてしまうのではないかと心配していたが、少年は終始真摯に向き合ってくれた。
いつしか彼女は、心のなかで『勇者』と少年を比べていた。
花瓶を投げた、まるで今まで出会ってきた大人たちを代表するかのような『勇者』と、怖いくらいに優しい少年。
自分が昔から憧れてきた、御伽噺の中の『勇者』にふさわしいのはきっと…………。
そんなことを考えていたからだろうか。
少女はふとした瞬間に、
「…勇者………。」
そう、つぶやいてしまった。
「勇者、ですか?」
脈略もなくつぶやかれた言葉に、少年が小首をかしげる。
「あっ、言っていましたか?………そのですね、あなたの横顔が本物の……勇者のようだなと思いまして。」
少女はとっさにそんな言葉で見繕った。
さっき『勇者』のことを隠してしまった故の嘘。
嘘の連鎖とはよく言ったものだ。
横顔が本物の勇者みたい。なんてとっぴなことを言って気分を損ねてしまうかと少女は少し心配するが。
「勇者ですか。どちらかというと魔王なのですけどね。」
少年は心底楽しそうにそう微笑んだ。
「ふふっ、魔王ですか?」
安心からか。それとも自分から悪いように言ったことからか。どちらにせよ、少女は笑っていた。
もういつぶりかわからない、純粋な笑みで。
「えぇ。悪い悪い、魔王ですよ。」
「ははは。面白い方ですね。」
おどけてみせる少年が、彼女の笑みを加速させる。
「あの、王女殿下………」
笑ったことの疲れと、優しさに包まれた安心感で少女はいつしか眠ってしまっていた。
「おやすみなさい。」
少年は起こさぬように優しくし布団をかけ、ゆっくりとその場を後にした。
「……い……ないで……。やめて……。」
少女はなんの夢を見ているのか。
それは誰にも分からない。
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