第107話 ー少女と勇者ー

その日は怖いくらいに雲のない、晴天の日だった。


少女はいつも通り、なんの希望もないような時間を過ごしていた。


こんな感じで今日も終わり、一生を終えるのだと思ったとき、


コンコンコン


そんな少し荒々しいノック音が響いた。


「あ………ぃ」


少女は普段叩かれることなどない扉が叩かれたことに驚きながら、久しぶりに声帯を動かして『はい』と返事をする。


ここに来るのはご飯や連絡のときだけくるメイドだけだし、彼女たちもいちいち丁寧にノックなんてしてこない。


誰なのだろうか。


少女は不安になりながら、ゆっくりとその扉を開いた。


立て付けの悪い戸が、ギーっと嫌な音を立てて開く。


「こんにちは」


不安げに開いていく扉を見つめる彼女の目には、優しげな好青年が映った。


普通に生きていればこんなところに来ることは決してないような、貴族の嫡男らしき少年が笑みを浮かべてそこにいた。


「ど、どちら……様で……」


少女は戸惑いながらも頑張って、そんな言葉を振り絞る。


「申し遅れました、私は勇者でございます。」


「……ゆぅしゃ……?」


誇らしげに名乗った彼を見つめて、少女は繰り返す。



それは彼女の好きな御伽噺の中で、もっとも描かれ、もっとも良く見せられる役職だった。


その名の通り勇ましい者が勇者。


人々に優しく、敵には厳しく。平和と幸せを願うような人。


それが御伽噺の中での勇者像であり……彼女の思い描く勇者像でもあった。


少女はまだ不安げな瞳に、かすかな希望を灯して彼のことを見つめる。


「左様です。世界を救ったりするような勇者です。あんたな何故ここに?」


彼は微笑みながら頷いて、優しげに尋ねた。


やはり、勇者だと。

彼女は心のなかで安堵する。


御伽噺では勇者を語る偽物も多く出てくる。

だから彼もそれと同じで、本物ではないかもしれないと思っていたのだ。


本物の勇者が、絶望の淵にいる自分に会いに来た。


これは御伽噺ならば、主人公とヒロインではないか。


そんなことを思っていたからだろうか。


「…………」


少女が彼の問いに答えるのが遅れてしまった。


しかしそこまでの遅れでもないし、何より心優しき勇者ならばこの程度笑って待っていてくれる。


そう、彼は笑っている…………



「ッチ、ハズレか」



…………はずだった。


「……へ?」


少女は少年の言っていることがまるでわからず、そんな疑問の声を漏らした。


意味がわからない。


今彼は、『ハズレ』と自らのことを表現したのか。


勇者を名乗った優しい微笑みを持つ彼が……。


少女はそのことが信じられず、それが勘違いであってくれと願いながら顔を上げた。


「きったねぇ部屋にきったねぇ女一人。はぁマジつまんね。」


…………しかし、現実は残酷で、彼のつぶやきが空耳ではないことは確かであった。


更に今回に至っては、ドカドカと土足で彼女の居住スペースに侵入し、その様子を『きったねぇ』と表現する始末だ。


絶望から不意に見えた希望。それに近寄ると、やはり絶望だった。


その感情のジェットコースターが、少女の心を深く抉ってゆく。


「……あの……中入らない……」


もうすっかり彼が怖くなった少女は、申し訳程度の抵抗を見せる……が…………


「うっわこれ枯れてるし、ひっでぇな」


…………少年にそんな小さな声が届くはずもなく、彼はテーブルの上にぽつんと置かれた花を手に持ってそう嗤っていた。


「………………」


彼女は考えるより先に手が出ていた。


花瓶を乱暴に扱う少年へと、そのやせ細った右手を近づける。


数秒後。トンッと軽く彼女と彼の手とが触れた。


それはとても小さくそのままなら気がつかない程度であったが、当たりどころが悪かった。


変な角度で伝わった衝撃は、少年の持っている花瓶に伝わり、そこから少しだけ水がこぼれた。


当然それは花瓶を持っている少年の手にもかかるわけで……。


「っ!!このあまっ!!」


彼はそれを感じた瞬間にそう罵倒の言葉を叫び、半ば反射的に手に持った花瓶の先を彼女へと向けて……そのまま振り抜いた。


ブッ……そんな鈍い音とともに少女の頭から、水が滴った。


少年は花瓶の中身の水を、少女へとぶっかけたのだ。


「ご、ごめんな……」


急激に体温が低下していくのを感じながら、彼女は謝罪を口にするが、


「ざけんじゃねぇよ!!」


激昂した少年の前ではもはや意味をなさなかった。


「…………」


「ハハッざまぁねぇぜ」


彼はただその銀髪から水を滴らせる彼女を見て、その顔を卑劣に歪める。


「…………」


少女はもう頭が混乱しすぎて、寒くて怖くて、何もできずにただ立っていた。


「世話になったな」


去り際にもう一度部屋の中を覗いて、ずっと立ち尽くす彼女へ嘲笑をプレゼントした勇者は、そのまま彼女の元からいなくなった。


「……ゆぅ……しゃ……ぁ……」


少女に残ったのは、希望でも優しさでもなんでもなく。


ただの、壊れた夢の欠片と、壊された心だけだった。

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