第100話 つかの間の平和と、嫌な予感

僕の願いが叶ったのか、普通の日々はちゃんと続いていた。


学校に再び通い始めてから数週間が経っても大きな事件は起こっていない。

あったことといえば、マッソが紅茶に塩を入れたり、マッソが授業中に寝て怒られたり。そんなどうしようもないことばかりだ。


「レストぉ!」


僕がお昼休みだから外で木の実を食べようかと廊下を歩いていると、そんな叫び声が聞こえた。


「ど、どうしたんですかテイチ先生?」


手招きをするテイチ先生に近寄りながら、僕は尋ねる。

先生は廊下の端のところで、何やら大きな荷物を抱えていた。


「これ。」


二文字で簡潔に言った先生は、その手に持っていた荷物を僕の方に差し出す。


「へ?」


勢いに押されて受け取ってしまったけど、この荷物なんなんだろう。

見た目で通りで結構重いけど。


「これを別棟まで頼む。」


先生は両手を上げて背伸びをしながら、『よぉしこれで仕事が減ったぞ』という喜びを隠さずに言う。


「へ?」


「これ鍵な。終わったら職員室の適当なとこに置いといてくれ。」


戸惑う僕に半ば押し付けるように鍵を渡しす先生。


「え?あの、僕……」


何故か満面の笑みの彼に荷物を返そうとすると、


「じゃっ!!!」


そう言い残して、とてつもない速さで走っていってしまった。


「あぁ……行っちゃった…………。」


僕は一旦荷物を地面に降ろして、去っていった先生の背中を見ながらつぶやく。


「何が入ってるんだろう。」


任されてしまったものは仕方ないかと、僕はその箱の中をそっと覗いてみる。

別に中見ちゃいけないとかは言われてないし、運ぶんだからそれぐらいの権利はあってもいいはずだ。


「…………………」


箱の中には書類の束。

ぎっしりと隙間なく詰まって、几帳面に束ごとに紐でファイリングされている。


僕は一番上にのっていた束を持ち上げてみた。

そこには、『㊙関係者以外閲覧禁止 魔法学園収支管理表』と大きな文字で書かれていた。


「……………先生、これ僕に渡しちゃだめでしょう…。」


テイチ先生の満面の笑みを思い浮かべながら、僕はつぶやく。


というか、先生。

生徒に自分の仕事押し付けないでくださいよ。


「はぁ…」


もうやる気はゼロだけど、この極秘資料の山をこんな大衆の面前に置いておくわけにもいかないので、仕方なく再び持ち上げて、


「はぁ…………。」


深い深いため息をつきながら、別棟へと向かった。










「ここかな?」


鍵についていた札に書かれていた部屋番号と同じ部屋の前で立ち止まる。

僕は荷物を地面において、鍵を鍵穴に刺した。


ギギギ…


そんな鈍い音とともに鍵が回転する。


「やっぱりここか。」


僕は立て付けの悪い扉を開け切って、中に入る。

六畳よりもすこし広い部屋の中は木の棚とそこに置かれた箱でいっぱいだった。


長い間使われていなかったのか、溜まった埃が入り口から入ってくる風にのって舞う。


「すごいな……。」


僕は腕で口を覆いながらつぶやいた。


ちゃんと掃除したほうがいいような気がするけど、あいにく僕には午後も授業があるし。

というか、その前にご飯食べないといけないから今は掃除することはできない。


「よいしょ」


とりあえず先生の荷物を棚の空いているスペースに押し込んでおいた。

場所は指定されていないし、適当でも大丈夫だろう。


僕は外に出て、扉に強く力をかけて閉める。

本当に立て付けが悪いな。


「ふぅ、終わった終わった。」


額の汗を拭って、鍵を締める。


「職員室ってあっちだっけな。」


ちゃんと言われた仕事はしたからね。

あとはこの鍵を職員室に持っていくだけだ。


僕はなんでこんな事しているんだろうかと思いながら、歩きだした。


生徒たちは皆、友達やら恋人やらと楽しげにご飯を食べている。

……今は昼休みだから、それが当然なんだよな。


職員室なんて本当に数回しか言ったことがないから、正直場所は曖昧にしか覚えていないけど、なんとなくの方向はわかるからそっちに向かっている。


近くに行けば扉の上に札がかかっているだろうし、多分分かるよね。


「あ、あった。」


普通に中に入ってすぐのところに大きく職員室って書いてあった。


コンコンコン


三回ノックしてから扉を開ける。


「どうした?」


入るとすぐに女の先生が声をかけてくれた。


「テイチ先生から鍵を預かりまして…。」


僕は鍵を差し出しながら言う。


「あぁ、貰うよ。ったくアイツ生徒に渡すなよな……。」


頭をかいて先生が鍵を受け取ってくれる。


この先生テイチ先生と仲いいのかな。

なんとなく彼女の言い草からそんなことを感じ取った。


「ありがとうございます。」


僕は先生に頭を下げてから、職員室をあとにする。


さぁて、ようやくお昼ごはんの時間にできるな。

僕はうーんと背伸びをしながら、外へと向かった。





「レストさん!」


僕が渡り廊下を鼻歌交じりに歩いていたら、そう爽やかな声で呼び止められた。


「リリア様」


彼女は普通の制服を着ているはずなのに、明らかに普通とは一線を隔てた輝きでそこに立っていた。


「何してるんですか?」


「今からご飯を食べようと思いまして。」


僕は白銀の髪の毛が風に舞う姿を眺めながら答える。


「なるほど!奇遇ですね、私も今からご飯なんですよ!!」


朗らかに微笑んだ彼女は、手に持ったキャラメル色のバケットの中身を覗かせた。


「一緒に食べますか?」


リリア様の語感から彼女の言いたいことを感じた僕は、それを代弁するようにして尋ねる。


「ぜひ!」


そう大きく頷いた彼女は、より一層煌々とした笑みを浮かべた。


僕らはすぐそこに見えた、淡い赤色のベンチに腰掛ける。

理由は単純に近かったのと、そこからは学園の庭の花々が見渡せるからだ。


「リリア様はタルトなんですね。」


僕は彼女がバケットから取り出したものを見て言う。

こんがりと焼けた生地に、鮮やかなフルーツがのっていてとても美味しそうだ。


「私、タルトも果物も大好きなんですよ。そういうレストさんはどうなんですか?」


幸せそうにそれを頬張ったリリア様が、僕が何も持っていないのに不思議そうにこちらを覗いた。


「僕はこれです。」


マジシャンのようにポケットから謎の実を数個取り出して差し出す。

これは種も仕掛けもバリバリにあって、もはや手慣れた収納からの取り出しを、布で隠れたポケットの中で瞬時に行っているだけである。


収納魔法が使える人なら、多分少し練習すれば誰でもできる簡単な技。


「……だめです。」


「へ?」


僕が魔法が使えれば手品なんて簡単だなと苦笑していると、リリア様が俯いてプルプルと震えだした。


「それだけじゃだめですよ!!」


バッと顔を上げた彼女は、体を寄せて至極真剣な顔でそう怒る。

頬を膨らませたその様子からは怖さは伝わってこなかったが、怒っているということだけはしっかりと伝わってきた。


「美味しいし、お腹いっぱいになりますよ?」


僕は更に左手にも謎の実を出して言う。


薄々栄養とかの偏りがすごそうだなとは思っていたけど、今の所不具合はなく健康そのものだから。多分大丈夫だと思うよ。


「むぅ……えいっ!」


不満げに頬に空気をためたまま僕を見つめた彼女は、可愛らしい掛け声とともに手に持っていた苺のタルトを……


「ぐぅっ!!」


……僕の口に放り込んだ。


「どうです?」


「……おいひいでふおいしいです。」


僕は口の水分が急速になくなっていくのを感じながら、返事をする。


「ならよかった。ちゃんと食べてくださいね?」


口角を上げ、にっこりと微笑んだリリア様が見つめて言った。

こちらを見据えてずっと目を離さないところから彼女の本気具合が伝わってくる。


「……善処します。」


ゴクリと苺の甘酸っぱさを飲み込んだ僕は、そんな煮え切らない言葉でリリア様の視線から逃れた。


『善処します』『考えておきます』『また後日』この三つを使えば、大抵のことは乗り切れると日本のアニメで見た気がする。


事実、リリア様も頬をもとに戻して、元の微笑みを取り戻していた。


ただ、その笑みからは『ちゃんと食べてください』という無言の圧も感じられる。


……善処はします。そう、善処はするんです。ただ、確実にとは言っていないだけです……。


僕は木の実に変わる何かを探そうかと、天を仰いだ。

見上げた空はこのまま降ってくるのではないか心配になるほどに、青く透き通っていた。


「平和ですねー。」


僕はベンチに完全に背を預けて、空を眺めながらつぶやいた。


木の実を食べた上に、リリア様からタルトを2つも頂戴したから、もうお腹いっぱいだ。


満腹さを感じながら、太陽の日を浴びて、ボーッとする。

それだけなのに、なんて幸せで満たされるのだろうか。


「本当に、和やかですね。」


ベンチに浅く腰掛けて、ピンと背筋を伸ばした姿勢を保ったまま、リリア様がつぶやく。


さすが王女様といったところか。


よくそんな美しい姿勢を保ってリラックスできるよね。

僕はこうやってぐでんと体の力を抜かないと、落ち着けないから羨ましい。


「ふぅー……」


ため息のような吐息を吐いて、ゆっくり目を閉じながら耳を済ませる。


小鳥たちの呼び合いと、虫の飛ぶ声。

それを覆い隠すような、遠くから響いてくる生徒たちの笑い声。


そんな穏やかな昼下がり。

事件のじの字すら見えないような、平和そのもの。


僕はちらっと横に目をやる。

そこではリリア様が、何やら頭を抱えて考えていた。


なんか悩み事でもあるのかな。

僕で相談にのれることならば、聞いてあげられるんだけど……。


「ふぁぅ……」


花壇のお花に蜂が止まっているのを見ながら、大きな欠伸をした。

浮かんできた涙の粒を指で拭って、再び空を見上げる。


その途中で見えたリリア様はやっぱり何か悩んでいるようで、指をくるくる回して考え込んでいた。

どうしたんだろうな。


疑問に思いつつも、こちらから行くのは違うかなと僕は流れていく雲に目線をあわせた。


「あのっ!!!」


僕が雲が流れているのか、自分たちが動いているのかが分からなくなってきた頃。

彼女は覚悟を決めたように切り出した。


「なに?」


人生で初めて友達から相談というものを受けるのかと、少し期待しつつ僕は彼女の方を向く。


その小さな拳を震わせて、グッと下をうつむいた幼気かつ玲瓏な少女。


彼女の瞳に何が映っているのかは分からないけど、確かに芯を燃やす何かがあることがヒシヒシと伝わってくる。


「私……ずっと……」


小さな体を細かに震わせたリリア様は、銀の御髪をはらつかせて、必死に言霊を絞り出す。


頑張れと僕は心のなかで応援しながら、ただ彼女の言葉を待った。


「……ずっと、レストさんのことっ……」


リリア様が顔を上げて僕を見つめる。

彼女の口は小さく開いたまま固まっていて、その先が聞こえることはなかった。


僕が無理しなくてもいいと、伝えようと思ったその時。

ほぼ同時に、男の人の怒鳴り声が響いた。


遠くから響いてきたその声は、僕の体の動きを完全に止めた。


リリア様の話、男の怒鳴り声。

そのどちらを優先するかと言われれば、絶対にリリア様の方なのだが……。


僕の体はベンチから離れ、声の方へと動き出していた。


何か……何か嫌な予感がする……。


なんだ……?

何なんだ、この焦りは……。


僕とリリア様は学園の廊下を走っていた。


最初僕は一人駆けだしたのだけど、後ろから彼女に呼び止められたので、今は僕が手を引いて、二人で走っている。


あの叫び声のあと、ちょくちょく怒号が響いてきている。


リリア様を含めた周りの生徒たちは、ただの喧嘩くらいにしか思っていないのだろう。


しかし……僕の心臓はうるさいほどに警鐘を鳴らしていた。


怒鳴り声は、その中身が聞き取れないほどの距離から響いてきた。


対した圧迫感もないはずなのに、僕の心はその音を捉えた瞬間から激しく揺らいでいる。


なんでなんだ……?


自分でも訳がわからなかった。

ただ、とにかく怖かった。


何に恐怖しているのかすらわからない。


声の主が怖いのならば近寄らなければいいのに、僕の体は息が切れてもなお前に前に動き続けている。


怖い。


怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。




その感情が、もう抑えきれなくなった瞬間。


僕らは、そこに着いた。


学園に備え付けられた食堂。

昼休みになればたくさんの生徒たちで賑わうそこから少し離れたところで、二人の男が睨み合っていた。


遠くにいた僕達にも聞こえるほどの声だったので、食堂の生徒たちが気が付かないわけがなく。


二人の男の姿は、野次馬たちの壁で隠されている。


「……に…クソ……か……し……」


片方の男が再び大きく吠えるが、その声は生徒たちの喧騒ですぐにかき消されて、内容を聞き取ることはできなかった。


行かないと……。


僕は脳の処理が追いつかない中、ただひたすらにそう思った。


「レストさんっ!?」


騒ぎの中心地へと一歩足を踏み出した僕を見上げて、手を繋いだままのリリア様が僕の名前を呼ぶ。


「僕は行きます。リリア様はどうしますか?」


自分でもビックリするくらいに冷たい声が出た。


ーーーーおかしい。


さっきから……あの声を聞いた瞬間から、自分の思考が制御できない……。


まるで…………まるで、昔の僕のようだ……。


「いっ、行きますっ!!」


リリア様は少しの怯えを見せながらも、そう強く言った。


「……行きましょう。」


僕は己の胸に手を当てて、自分を落ち着かせながらつぶやく。


「手、離さないで下さいね。」


彼女にそれだけ言って、僕はその人の波をかき分けて進み始めた。

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