第86話 少女の告白と少年の歪み

「こちらどうぞ。」


「ん、うん。ありがとうございます。」


僕がウトウトしていると、シアさんがお水を渡してくれた。


「お兄さんはなんで怪我したんです?学園の生徒さんだって聞きましたけど。」


彼女は雑談程度にそう聞いてきた。


「えっと…………」


さて、どう答えればいいだろうか。

ドラゴンと戦ったからなんて言ったらこいつ正気かって思われるだろうし、かといって変な嘘をついてもバレてしまいそうだし、なんとなく申し訳ない。


「そうですね…………多分、馬鹿になったんです……かね?」


「なんで疑問形なんですか。」


僕が首を傾げて言うと、彼女はケロケロと笑う。

その笑顔が眩しすぎて僕は変な罪悪感に苛まれ、そっと目を逸らした。


「…………これはですね…。」


「っ!!!」


それが良くなかった。

僕が何気なく逸らした目の先には彼女の左手が有ったのだ。


シアさんは、先がない左肩を撫でながら少し悲しそうに。それでいてどこか誇らしげに話し始める。


「本来なら私は死んでいたんです。」


どこか遠いところを見て、指先を弄びながら呟いた。


「私も魔法学園に通う生徒だったんです。一週間前に学園の寮が燃えた火事が有ったじゃないですか。私もその棟に住んでいて……というか、出火元が私の部屋だったんですよ。勿論私は火をつけていませんが、なぜか突然火がついたんです。はじめは小さかった火も、私が慌てているうちにどんどん大きくなっていって。気がついたら、部屋全体が飲み込まれていたんです。」


出火元の部屋…………?

僕はその言葉に若干引っかかりを覚える。

だが、まぁ気のせいだろうと、出火元が複数あったのだろうと自分を納得させた。


「煙で目が痛くて、暗くて、熱くて、怖くて。私はもう死んじゃおうかなって思ったんです。でも、どうせなら最後にあがいてみようかなって、喉が焼けないギリギリまで息を吸って叫んだんです。『助けて』……って。」


命の危機を感じたことはあるし、辛くなったこともあるけど火事に遭遇したことはない。


僕もドラゴンの炎が目前まで迫ってきた時は、背筋が凍るを通り越して肉体が消えてしまったかのように感じられた。

彼女の場合それが全方向から来るんだから、とてつもない恐怖感だったのだろう。


軽々しく同情したり、『分かってる』なんていうのは簡単だけど、それはされる側からしたら何もせずに放置されるのと同じ…………それ以上にむかつくのだ。


だから、僕はなんて反応すればいいのか分からず、せめてもでずっと頷いている。


「思ったより声は出なくて。誰も気づいてくれないかなって思っていたんです。でも、少ししたら『誰かいるんですか』って、高い少年の声が聞こえたんです。」


語る彼女の顔には喜色が浮かんでいた。

その色から僕はこの話がハッピーエンドで終わるかと予想して、こころなしか自分も嬉しくなってくる。


「私はもう嬉しくて。泣きそうになるのを堪えて、『はい、居ますよ』そう言ったつもりだったんですけど、煙でむせてしまってほぼ言えなかったんです。でも、その人は『大丈夫ですか』とか『こっち来れますか』とか、常に優しく言ってくださって。」


緊急時にそこまで冷静に言えるなんて、その人はすごいな。僕なら慌ててしまいそうだ。

着地点が幸せだと信じている僕は、すっかり安心してそんなことを思っていた。


「部屋の中に入って来てくれて、私の傍まで来てくれたんですよ。そして、逃げ出そうかというそのときに、落ちてきたんです。」


僕は、何が落ちてきたのかはわからないが、とにかくその言葉から不穏な空気を感じ取った。


そしてようやく、それまでのぬるさから抜け出して、残酷なほどに冷たい現実への扉を叩いた。


「何かはわかりませんでした。多分天井についていた装飾品か何かだと思いますけど、とりあえず私の左腕にちょうど落ちてきたんです。少年は気づいていたみたいで、剣で切って助けようとしてくれたんですけど、間に合わなくて。」


多分その少年は…………そして彼女は…………。

本当に、世界というのは思ったよりも小さくて、それでいて飽和しているみたいだ。


僕は皮肉を込めて小さく笑い、頬をパチンと叩いてシアさんへと真剣に向き合う。


「熱いとか、痛いとかそういう具体的な感覚は何もなかったんですけど。ただただ、恐怖と絶望が襲ってきて。私はずっと叫んでいました。」


そうだ、ずっと叫んでいたんだ。

その声を聞いた僕はパニックになって、そして後先考えず窓へと飛び込んだ。


あの時は黒煙のフィルターが数枚かかっていて見えなかった、彼女の溶けるような水色の髪が今は怖くなるくらいにハッキリと見える。


「そこからは、記憶が曖昧なんです。ですけど、けれども、あの人が助けてくれたってことは覚えています。」


体が揺れるたびにふんわり揺れる一本一本が傾き始めた陽の光を浴びて、みるみるうちに橙に侵食されていく。


毛先を乗っ取られた彼らは、果たして元の水色に戻れるのだろうか。


「今もその人が誰かはわからないけど、ずっと、すーっと忘れることはないと思うんです。」


胸に手を当てて頬を陽の色とは違う。けれども同じく優しい色に染めながら呟いた彼女は、細雪や平和なんかよりもずっと耽美だった。


「……っぅ………」


そんな彼女を前にして、打算や策略や計算なんて無意味だと悟った僕は思うがまま。今の心のうちを素直に打ち明けた。


「命は助かったけど、腕は……。」


受動態も他動態も何もかも、紙面上の決まりなんてすべて取っ払った僕の独白を、彼女はーーーー


「違うんです。」


ーーーーゆらりと否定した。


「え?」


顔を上げた僕とシアさんの視線が重なる。

僕の瞳を掴んで離さない彼女は、火傷するほどの暖かさで僕を見つめた。


「腕を失ったんじゃないんですよ、腕以外を救って貰ったんです。」


腰掛けていた椅子から立ち上がり、彼女はベッドで半体を起こしている僕の傍へと歩きよる。


「最初に言った本来死んでいたっていうのはそういう意味で、この体は右腕は全部一度失くして…………そして、あの少年に授けてもらったんです。」


そっとタオルケットをかけ直してくれた彼女は、半分泣きそうな笑顔を浮かべた。


「…………お兄さんは治ったらやっぱり学園行きます?」


少し落ち着いてから、シアさんがそう尋ねた。


学園か。元々、こっちの世界の社会常識とか最低限の学術的知識を身につけるために通い初めたけど…………。


正直、街の近くであんな戦闘をしてしまったから戻りづらいし、なんというか、僕が居てもいいのかわからない。


「…………分からないです。行ったほうがいいのか……行ってもいいのか。」


僕は心の内を素直に打ち明けた。

彼女と話すのは、王女様と話してるような感じでとても心地よい。


「行ったほうがいいです!!絶対に!!!」


「おぶっ!」


シアさんが荒く鼻息を立てながら、僕のベッドに身を乗りだす。


「ご、ごめんなさい!いや、私は、もう行けないから、その貴方には行ってほしいなって……。」


「行けない………?」


左肩をさする彼女を見て、別に腕をなくしたって学園に通えるのではと思う。

現に、彼女はさっき片手だけでも器用に魔法を使ってお粥を温めていたし。


「私一応子爵家の四女なんですけど、うちは貧乏で。本来なら学園に通わず嫁入りする予定だったんです。でも、私が無理を言って通わせてもらっていて。卒業したら侯爵家以上の人と結婚するっていう条件で。」


貴族にも色々あるんだな。

僕からしたら、まだ若いのに嫁入りなんてと思ってしまうが、こっちの世界ではそれが普通なのかも知れない。


「まぁ、できるかも分からないし…………できなくなっちゃいましたけど。」


「そ、うなんですね………。」


貴族でもなければ、結婚も恋愛からも遠い僕は何も言えない。だが、彼女が悲しがっているのは嫌というほど伝わってきた。


「ほら、片腕がないって見た目的にはすっごい損じゃないですか。この体じゃ侯爵どころか男爵家にすら嫁に貰ってもらえないから、お前はもう勘当だーって。」


シアさんは自虐気味に笑うが、その視線はずっと下に向いている。

腕がない。そういった障がいに対しての考え方とか差別というのは現代日本でも問題視されていた。


僕も完全に健常者と同じように接せられるかと言うと、正直自信がない。


勿論、腕がないことや目が見えないことだけで嫌いになったり、嫌がったりはしない。


そういう差別はしないけど、なんというか、失ってしまったものに対してその人が何も思わないことはないだろうし、ないことによって不便になってしまうこともあると思う。


そういったことに対していい意味でこっちも配慮というか、接し方を変えていく必要があると思うのだ。


人によって考え方や感じ方が違うから、僕のその行動や思いだって嫌に思ってしまう人だっているかも知れない。完全に他の人達と同じように、障がいがないように接することがいいことなのかも知れない。


それでも僕は、自分なりに精一杯向き合いたい。


「探したら居ますよ。シアさんキレイですし、全部受け止めてくれる素敵な人が。」


だから、僕はそう彼女に返答をした。


「えへへ、そうですか?…………お兄さんは貰ってくれます?」


首を傾げて頬に人差し指を置きながら放たれた台詞は、とてつもない破壊力を込めていた。


正直、とても美しくて見惚れてしまいそうだ。


ただ、どうしても付き合うとか結婚するとかそういった確かな形まで踏み出すとなると、躊躇してしまう。


それと、何故かは分からないが『恋』というものを考えたとき、銀髪を伸ばした可憐な少女がその存在を強く主張してくるのだ。


「…………………。」


「冗談ですよ、冗談!というか貴方と私、お兄さんって言うほど年離れてませんよね。なんなら明らかに私より年下ですよね?後、名前教えて下さい。ナームさんに聞いたら魔王だとか海賊王だとかはぐらかされたんで。」


僕が返事に困っていると、シアさんは笑いながら話を変えてくれる。


「えっと、レストです。年は……一応16です。」


いけない。こっちに来てから年齢とかそんなの気にしてなかったから、一瞬戸惑ってしまった。


「一応ってなんですか!私は17なんで、私のほうが歳上ですね。お姉さんです!」


腰に手を当ててえっへんと偉ぶるシアさん。いや、学年は同じだろうから今年中には並ぶと思うんですけど。


「なんか話ずれましたけど、とにかく私は学園生活送っている場合じゃないんです!だから私の分までレスト君には学園生活を謳歌してほしいのですよ!!」


僕へ向けて指を指し、ウインクをするシアさん。

さっきから行動がいちいち古臭いのは何なんだろうか。


「……シアさんと学校行ってみたかったです。」


彼女が行けなくなってしまったのは様々な出来事の糸が絡まりあった結果だけど、僕も確かにその一端を担っている。


一塊の罪悪感を抱えながら僕は、腕をなくしても前を向き続けている活発な彼女に率直な気持ちを伝えた。


「私もレスト君と通ってみたかったです!………せめて卒業まで不自由なく暮らしていけるお金が、あればいいんですけど。魔法学園卒業って肩書があれば、就職も楽って聞きますし。……でも、現実ってそんなに甘くないんですよね。」


あははははと頬をかきながら笑う。


「あぁ、そろそろ時間です!すみませんね、しんみりさせちゃって。」


よいしょと立ち上がって離れていく彼女。


「あのっ!!!」


僕はその姿に複雑で、それでいてとても簡単な感情を抱いた。


胸が締め付けられるような、海の底で藻掻くような感覚の中、少しだけ気怠い上体を勢い良く起こして叫ぶ。


「ど、どうしたんですか?お粥足りませんでした!?」


目を点にさせて振り返り、少し不安げな表情を浮かべる彼女に、僕は…………僕は…


「その、シアさん…………ごめんなさい。そして、有難う御座います。」


そう、あの子に伝える筈だった心からの感謝を精一杯投げた。


「んふぇ?」


石像のように固まったシアさんが間抜けな声を上げる。


「こちらこそ、ありがとうございました!!!!どうぞお大事に!!!!!」


しばしの間止まっていた彼女は、ゆっくりとその口角を上げると、くしゃりと破顔した。


僕はその満天の星の如き輝きの余韻が残るまなこを両手で隠しながら、バタリとベッドに倒れ込む。


「ははは、ははハハハ……………もぉ………どうしよう……どうしようよ………。ありがとうございます……………………………ご…めんなさい……ィぃ………」


泣いているのかもしれないし、笑っているのかもしれない。後悔しているのかもしれない。謝っているのかもしれない。


そんな潮目の如き、切り貼りの粗雑な感情で僕の顔は、多分どうしようもないくらいに…………




















歪んでいたのだろう

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