第76話 死
「ぐぅぅ……」
ポタポタと上空から真っ赤な熱いものが垂れていくのが見える。
肉体からどんどんと血が抜けていく感覚は、魂が摩滅していくようで、何故だか面白かった。
「はぁ……は………」
なんだろう。
前が見えない。というか、息が吸えない。
目を開けると真白い雲と黄金色の化物が映り、口を開けば冷たい空気が喉を凍えさせるのに酸素は一向に足りないまま。
心臓は乱れすぎて脈が捉えられず、服は破れすぎてただの布切れ。
治癒魔法を発動したら傷口は塞がるが、既に垂れた血は戻らないし、酸素が供給されることもなければ、頭が正常に戻ることもない。
それに、この伝っていく冷たい血が、自分がまだ生きているということを実感させてくれるため、わざと治していなかった。
「グゥァアアアアアアア!!!」
「つぅ………」
あちらはほぼ無傷、こちらは満身創痍を超えて死にかけ…………なのに、どんなに有利になっても
「はぁ……ひゅぃ……………ふっがぁッ………」
ーーーーーーーー死ぬ。
人間本当に死を口にすると、それを味わうことも吐き出すこともできず、唯々咀嚼する事しかできないものだ。
二重三重。いや、何十重にもレイヤーがかかった視界で僕は確かに金色の体躯と、そこから放たれた紅焔を捉えた。
ーーあと50m
避けないと……。
脳はそう判断して即座に命令を出すが、既に至るところから血が出て色んな所の骨が折れている体は言うことなんて聞かない。
ヒュゥウーー
花火かなんかと聞き間違うような音をあげ、炎が迫ってくる。
ーーあと10m
真面目に何かしないと死ぬ。
「はっ……はぁ………」
何か、なんでもいいから詠唱を………。
駄目だ。もう頭すら動かなくなっている。
いつもは考えるどころか意識しなくても、浮かんでくる呪文やイメージが全く出てこない。
ーーあと5m
手を伸ばせば、一歩踏み出せば届きそうなほど近い。
働かないくせして体はしっかりと痛みを主張し始める。
何か、何か、本当になんでもいいから、火を消せるようなもの。
えっと…………あの、あれ………。
流れてて、凍ったりする………透明の、冷たい……飲むやつ………。
「く……ぅ…」
いつもなら忘れるわけないのに、こんな時に限って…………というかこんな時だからこそ、名前が出てこない。
あれだよあれとお年寄りの様に考えていると、視界に青が加わったことに気がついた。
僕を中心として円型に、ポワポワと青い光が見える。
これは、確か……………。
ーーあと2m
もうここまで来ると、押し出された空気で揺れた髪に炎が移るなんて現象まで起こるようになった。
熱さは感じない。否、感じているのかもしれないが、脳まで伝わってこない。
本当に死が具現化してそこにあると、視界はスローになるんだな。
コマ送りのようにゆっくりと流れていく景色だが、不親切なことにピントが合うことはなく、さっきまでと同じく何十重にもなったままだ。
本気で、何か言わないと。
幸いなことに魔力はまだ全然あるから、単語一つでも言えばそれが現れてくれるんだから、本当に口を開くだけ。声帯を少し震わせるだけなのだ。
「グギャィィイイイイヤァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」
ハウリングした、低めのモスキートーンという訳分からない音が聞こえてくる。
多分、
聴覚と視覚からその情報は分からなかったが、その代わりに僕が常に使っていた『
人って死の間際の極限まで弱っているときに、圧倒的強者の咆哮を聞くと魔法を使うことさえ止めてしまうんだ。
一つ勉強になった。
…………まぁ、その知識もこのまま死んでしまえば使うことは文字通り一生無いのだが。
ーーあと1m
僕は服が燃えていく熱で少しだけ正気に戻ることができた。
僕がここで生きるために取るべきことは一つだけ。
「す………ぅ……スぅ………」
出来るだけ周りの空気を口に含んで、肺に叩き込み、
「た、た………た……瀧ぃ…」
やっと出てきたあの透明の液体にまつわる言葉を、死ぬ気で絞り出す。
……………このままだと、僕落ちて死ぬんじゃ………
「………ふぇ…ひぃっ……」
そこまで考えたところで、僕は変な声を出しながら、意識を手放した。
◇ ◇ ◇
結果から言うと彼が死ぬことは無かった。
その生は色々な偶然が重なった、まさに奇跡としか言いようのない物である。
彼が生きた理由其一、
もし、解けていなければ彼の『瀧』の魔法だけでは抑えきれなかった熱が直接体を飲み込み、死んでいた。
其二、水の精霊王が起きたこと。
連絡がつかなくなっていた水の精霊王だったが、決して逃げたわけではなく、唯力の使いすぎで寝込んでいただけである。
その彼女が彼と炎の距離が5mを切ったところで丁度起きたのだ。
それにより、三つ目の理由のーーーーが間に合った。
其三、ーーにーーが居たこと。
もし居なければ、彼の体は今頃地面と衝突してトマトのように散っていたであろう。
そんな小さな。しかし、確かに彼がこの世界に来て繋いできた優しさの糸によって、少年はその命を繋ぎ止めたのだ。
こんな風に、彼は彼の知らないうちに、己のやって来たことの意義を証明することとなった。
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