第77話 聖女の祈り
聖女は、王女は、リリアは祈っていた。
地に膝を突き、背筋を伸ばし、手を強く握りしめて唯々祈っていた。
神という存在。
辞書を引けば、『人知を越えて優れ尊く、人々に宗教的信仰を寄せられる威力の優れた存在』とでも書いてある存在。
そんな見たこともない唯の概念に祈っていた。
本当に神がいるのか、祈りは届くのか、願いは叶うのか。
そんな哲学的難題を考え出せば尽きないのだが、一先ずそんなものは置いておいて、無心で祈っていた。
聖女として、
王女として、
リリアとして、
唯祈っているだけなのに、彼女は汗ばみ、息は荒くなっている。
冒険者達は
騎士達は
魔法隊は
教師達は
神官達は
「グギャィィイイイイヤァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」
威嚇されているのか、助けを求められているのかといった絶妙な声色の叫び声を発した
それは王女も例外ではなく、丁度区切りがついた祈りを中断して、目を久方ぶりに開いた。
始めは『また吼えてるな』や『今回はでかいな』といった感想を抱いていた彼らだったが、すぐにその顔を真剣に変えることとなる。
「落ち………てる?」
飛んでいる場所が高すぎて今どこで戦っているのかが薄っすらとわかる程度だったため、彼らは少年がぼろぼろなことは知らない。
だが、明らかに異常事態ということは瞬時に理解した。
まぁ、それはそうだ。
だって、今まで上空にいた少年がいきなり、多量の水と共に近づいてくるんだもの。
冒険者達や騎士達が『ヤバい』『どうする』と騒ぐ。
その間にも少年の高度は低下してきており、もう三分の一以上落ちてきていた。
「ま、魔法を!!」
「な、な、な、なんの魔法ですか!?」
「水ですかね!?」
「いや、水でも死んじゃいます!!」
「なら飛行の魔法を!!」
「いや、あれは本人にかけるのは簡単だけど、他人にかけるには………」
「じゃあどうするんですか!!?」
魔法隊は魔法で少年を助けようとするが、肝心の何の魔法を使うかというのが決まらないようだ。
このように大人たちがあたふたとする中、やはり彼女だけは、しっかりとした行動を取れていた。
「神よ…………神よ……………」
彼女の職業である聖女として、神に少年を助けて欲しいと、祈り…………ではなく願っていた。
「天にまします我らが神よ。願わくば、御力の片鱗を今日我らに与え給え。御力で一人の尊き少年を救い給え。」
静かに、されど遠くまで響くような玲瓏な声で王女は願う。
「おい王女様が光っているぞ!!」
「お、お助け頂けるのか!!?」
その姿を見た冒険者が叫ぶ。
彼らは少女を中心に、淡く光り輝く青い精霊が飛んでいるのを見たのだ。
「っ………」
それを聞いた王女は祈りの言葉を止め、少しすると再び変わらぬ様子で祈り始める。
「常より我らを御見守りになられる精霊王よ。自然を形作る精霊よ。……水よ。願わくば、自然の奇跡をもって、一人の清き少年を御救い下さい。」
「うぉぉ!!!」
「どうにかしてガキを助けねぇと!!!」
「………?」
「…………?」
その祈りを聞いた冒険者達は何の疑問も持たず、もう地上との距離が半分を切った少年を思うが、騎士達は頭に疑問符を浮かべて黙っていた。
この世界で聖女といえば、メシウ教に仕えるもの。そして、メシウ教は一神教。神メシウのみを信じる宗教なので、聖女の口から精霊王の名が出てくるのはおかしいと思ったのだ。
騎士たちのその考えは当たっている。そう、一般的には。
一般の聖女というのは、ある程度メシウ教会に勤めてから、試験を突破して教皇に認められ、ようやく
だから当然、聖女は神メシウにしか祈らないし、それによってしか力を得ることが出来ない。
だがしかし、リリア第三王女は生まれつきの聖女。普通の聖女が踏む聖職の段階を踏んでおらず、彼女自身メシウ教徒ではない。
そのため、聖女リリアは祈る対象が何であれ本人が心から信仰しているのであれば力を得ることが出来るのだ。
「精霊王と精霊に願い申し上げます…………」
王女は呟きながら、手を伸ばす。
「おい!!もうやばいって!!!」
「あとどんくらいだ!!?」
「もう四分の一切ってる!!」
少年の落下速度は下に行くたびに早まっていき、その体が地面に叩きつけられるまであと十秒もなかった。
「我らを窮地より救った英雄を、護り給え。」
王女がそういって手を開くのとほぼ同時に、水が生まれる。
数本の細い水柱が青く光りながら混ざり合い、登っていく。
「もうダメだ!!!」
「落ちるぞ!!!」
「お、おい、あれ……!!!!」
それはやがて落ちてきた英雄と重なり合い、混ざりあう。
その姿はまるで天使降臨のように、美しく、神聖だった。
水流が優しく少年を包み、その速度を徐々に緩めていき、終いに目を瞑ったままの聖女の膝へと運ぶ。
「くぅ…………っ……」
少年は意識を取り戻したが、視界はぼやけたままで、脳も冴えていない。
「…………。」
王女は何も言わず、静かに目を開けて少年を見つめる。
「お、王女殿下……………はっ。失礼致しました。」
確認の為話しかけたララムナードを右手で制し、王女は少年の顔にかかった髪を避けて、
「…………」
ゆっくりとその額に手を重ねた。
するとどうだろう。少年の体全体が強く光ったではないか。
「っ!!奇跡………」
「これが、聖女様の………」
「あ、ありがたい……」
「うらやましい…」
周りの大人達がそう言葉をこぼすのも無理はない。
光がおさまると、少年のボロボロだった学園の制服は元に戻った上、水色と白を基調としたデザインに変わり、細かな装飾が付いて、まるで軍服のようになっていた。
それに、全身に傷を負って至るところから血が出ていた体も完全に治り、元の少年の白い肌。
外から見ただけでは分からないが、体内部では、疲労や折れた骨も治り、抜けた血も戻っているという、まさに完全回復である。
「……………………。」
王女は少年の体を見回し、全部が治っているのを見てから、ペチペチと少年の頬を叩いた。
「ん………んぅ………ふぇ………ふぃ…?」
数度瞬きをした少年は、未だ覚醒しない脳を必死に回して状況を把握しようとする。
「…………。」
「…………。」
数秒間、沈黙があったあと少年は小さめの声で、
「王女………様?」
と呟いた。
「はい。左様で御座います。」
その姿が愛らしいと思いながら、王女は返事をする。
「…………治ってる………あの、その……えっと………。」
少年は死にかけていた記憶からの、温度差にパニックになってあたふたとする。
「安心して下さい。私は敵ではありませんから。」
やはりそれが面白いと王女は笑う。
「お前、生きてんだぞ!!」
「英雄さん、おはよう!」
「美少女の膝枕なんて羨ましぃ!!」
冒険者達も気安く声をかけ、辺りを穏やかな空気が包む…………が、
「グゥギィイイイイイイイヤァアアアアアアァアアア!!!!!」
「ちっ!いいトコだったのに!!」
「クソ!!!坊主、すまねぇが戦いの時間だぜ!!」
「いや、俺ら言うほど戦ってなくね!!?」
「っせ!!!それは黙っとけよ!!!」
「ドラゴン…………。そうだ……」
少年は冒険者達の声で、ようやく自分の覚悟ーーーー義務を思い出して、立ち上がろうとする。
「お待ち下さい」
……が、王女に頭を抑えられて、起き上がれなかった。
「……何です?」
少年は意味が分からないと王女を見る。
「何か、願いはありませんか。」
しかし、返ってきたのはそんな問であった。
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