第64話 貳ノ字デ記サレル世界
時は少し遡り、悲しくも儚い少女の視点。
「ゴホッゴホッ……………」
少女は咳ごみながら、重たいまぶたを開けた。
「はぁ……」
まだ寝ていたい。体はだるいのに痛みで起きてしまう。
「ま…おう……様…」
昨日出会った魔王を名乗る少年。
酷く優しく、酷く温かい人だった。
少女はあたりを見渡すが、少年は居ない。
「げん…そう…?」
少女は切なく呟いた。
彼女がそう思ってしまうのも無理ない。
もとから辛い体があの男によってかけられた冷水により、とてつもなく傷んでいたんだ。
そんなときに都合よく、優しい少年が現れるなんてまるで御伽噺のようだ。
「あぁ……」
喉が強烈な乾きで水を所望するので、仕方ないと少女は体に鞭を打ち、立ち上がった。
「…………。」
無言で家から出て、少し離れた場所の井戸から水を汲む。
その重労働に体は悲鳴を上げるが、水を飲まなければ死んでしまう。
「…はぁ………」
少女は引き上げた桶の中に半分も水が入ってないのを見て、ため息をつく。
とぼとぼと、家と呼ぶにはあんまりにも小さく汚い小屋に戻る。
「んっ……んあっ………はぁはぁ…」
喉に水をやったはいいもの、その感覚が刺すように痛いので、少女は言葉にならない喘ぎ声を上げる。
少女の喘ぎ声というのは一般的に艷やかなものなのだが、彼女のものはあまりにも悲痛すぎてそういったものには到底聞こえない。
「っ………ぐわっッ……くぅ…」
入ってはいけない方に水が入り、再び少女はむせる。
力が弱まってきている腕をどうにか動かし、水の入った桶をテーブルに置こ…………うとして少女は動きを止めた。
「な……に………」
何もなかったテーブルの上に、物が置かれているのだ。
「……っ…!!」
霞む目をこすって見えたものは、花瓶だった。
透明で先がすぼんでいるタイプのシンプルな花瓶。
彼女はそれに挿してある花を見て、絶句する。
「ま…さ……か………」
こんな薄汚い部屋以前に、この時期の地上にも似つかわしくない可憐なその花は、少女が求めていたもの。
「アァ…………あ……ぁ……」
少女を蝕んでいる悪病を祓うことのできる、万病の特効薬。
数多の王族を救ってきたとされる「ソラの花」。
その名にふさわしく、朝焼けの色に花弁を染めて凛と佇む姿は、自分なんかよりもよっぽど王にふさわしい。
少女はそう思いながら、その花がそこにあることを確かめるように、ゆっくり繊細に花に触れる。
「ほん……もの………」
少女は伝わってくる柔らかな触り心地と、空が明るくなっていくように徐々に青くなっていく花の色からその花が本当にソラの花だということを確信した。
「だ、誰が…………」
父である国王がこんなことをするとは思えない。
母親?
兄弟?
他の貴族?
少女はぐるぐると思考を回していく。
「おっ……おぇぇ……ごはっ…あぁ…」
今まで使ってこなかった頭脳を急速に回したことにより、頭痛が増しめまいがしてくる。
「あっ………」
間抜けな声とともに少女の体はベッドから落ちた。
不幸か幸いか、空の花が握ったままであり、少女の目と鼻の先にある。
「ま…おう……」
もう少しで思考が落ちるかというとき、少女は昨日訪れてきた少年の顔を思い浮かべた。
少女は確かに少年に己の病の治療法である、ソラの花について話していた。
「………がっ……あぅ…」
『まさか』
そう言おうと思ったが、少女の口から出たのは嗚咽のみ。
「あっ」
今切れかかっている思考が落ちたのなら、もう次は起きられないと少女は直感的に感じる。
確かに、少女の病は末期でありここが正念場なのは間違いなかった。
「ま…お……う…………ま…う…………魔王!!!」
少女がその名を口にしたとき、思考は完全に落ちた…………
「あぁぁぁアア゛ア゛ア゛アアア゛゛゛゛」
…………ハズだった。
少女は気合と根性で細い思考の糸をつなぎとめる。
「ぐっ………く゛はぁ…」
口にした希望の花は、しょっぱかった。
◇ ◇ ◇
その花を食してから、少女を取り巻く環境はまるでおとぎ話のように二転三転。目まぐるしく変わっていった。
まず、その小さな体を生まれてからずっと蝕んでいた不治の病が治った上、少女のやせ細った体には適当に肉が付き、顔色も改善し、年相応の可憐な少女に変貌した。
いままで、歩くことすら辛かったのが嘘のように、走ったり跳ねたりすることすら朝飯前だ。
回復した少女を見た連絡役兼、お世話役のメイドがそのことを王家に報告。
その事態を知った王家はすぐさま皇国と内密な会議を開いた。
王国から少女の実の父親である国王。皇国から、これまた実の母親である皇国の第二皇女が代表として出席したその会議は、実子が死の淵から戻ってきたとは思えない重々しい空気に包まれた。
『我が国としましては…………』
長く続いた沈黙を打ち破ったのは皇国の補佐として来ていた枢機卿。
『皇国の第二皇女と国王陛下の間に関係はない。そのため、子供がいるわけない……といった見解です。』
冷たいように感じられるが、裏を返せば皇国は王女に関係ないからそっちの国で自由にしてもいいという、ある意味優しい言葉だった。
まぁ、皇国からすれば少女の存在が明かされなければどうなったっていい。
自国の第二皇女の真っ白なドレスが、濡れたとしても…………だ。
『左様であるか……』
王国は皇国のその姿勢は概ね予想通りだったため、こちらも事前用意していた意見を述べる。
『我が国としては、第三王女はたしかに存在する。その子は王の不貞によって、王家と取引のあった商家
国王が囁いた虚構に皇国の枢機卿はにやりと笑い、
『事実なのだから、私共に確認を取られましても、ねぇ?まぁ、もしも付け足すとすれば、彼女の聖女の職は孤児院にて育ったことによって芽生えたある種の奇跡であり、皇国に何ら関係ない…………とかですかね?』
そう言った。
そのものいいに、会議は失笑に包まれ、その方針でお開きになった。
◇ ◇ ◇
そんな裏やり取りがあったとは露知らず、第三王女が存在したという王家からの電撃発表に国民は湧いた。
さらに、その王女に平民の血が流れており、王家がその扱いを他の王女と同等のものにすると言った事が平民たちに夢を与え、第三王女の人気は彼女の知らないところで高まりつつあった。
会議後すぐさま少女はそのボロ小屋から、王都の豪華絢爛な建物へ半強制的に移動させられ、長い長い健康診断を受けさせられた後には、一通りの貴族マナーを叩き込まれる。
勿論食事は薄いスープに固いパンではなく、焼きたての白パンに肉魚野菜が選び放題な絶対に食べきれない豪華なものに変更される。
一週間が経ち、ようやくマナーの授業が一段落ついたかと思えば、今度は間近に迫った貴族向けの舞踏会、一般市民向けお披露目式典などの準備に追われることになった。
何十枚もあるかというドレスを着せられた後に、何十センチかというヒールを履かされる。
そんな生活を送る少女の心は確かに喜びもあったが、それは僅かなものであり、手のひら返しの態度に対しての不信感や周りの対応に対しての疑問のほうが大きい。
又何より、こんな状態に自分を押し上げてくれた、
一週間して、何とかすべての式典を終えた少女は、意外にも再び魔法大学に帰還することとなる。
当初、王家は強く反発したが、大学と少女自身の強い要望によって叶えられた。
勿論、戻るのは雨漏りのする薄汚れた小屋ではなく、室内装飾は王侯貴族の屋敷に匹敵するほどの学生寮の特別室である。
『魔王……』
少女は一人のときには常時その言葉を呟いたが、王家からなぜ体調が回復したのかしつこく聞かれた時にはその名を決して挙げず、神によるお導きと言い切った。
さてさて、一人の異世界人によって王国のお姫様は救われたわけだが、物語は幸せだけでは物足りない。
機械を直すとき、一箇所を直したら別の場所が壊れるように、運命にも又歪が起こる。
彼女が絶望から希望の地へと返り咲いた事は、同時に本来なら訪れなかった命の危機を招くことになった。
広く見れば、本来死ぬ予定だった有象無象の人々の人数が一増えるだけである。
たかが一人されど一人。
皮肉なことに、バタフライエフェクトはこの非科学的な世界でも通用するのだ。
突然ある世界から数十人の少年が消え、ある世界に現れた。
何億分の、何十億分の一にも満たないその人数で、世界という物はいとも簡単に狂うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・・・・ ・- ・・・・ ・- ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・-- ・ ・-・ ・ / ・-- ・ / --・ --- ・・ -・ --・ / - --- / -・・ ・・ ・ ・・--・・ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー…。
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