第57話 独白 to Muscle

僕はコップの水を静かに飲む。


『頼って欲しい』

『相談して欲しい』


喉を流れる冷たい感触とともに、ヒスイとマッソに言われた言葉が頭に木霊する。


ヒスイには話さなかったが本当は、心の奥では。そう思っているのではないか。


再び、誰かにこのモヤモヤを打ち明けるチャンスが舞い降りたとき僕は…………それでも、断ろうと思った。


「あ……り……………」


『ありがとう』そう言おうとしたが、掠れて声が出ない。


僕は再び水を飲もうと、コップに手を伸ばす。


「っ……」


コップにはもう一滴も水が入っていなかった。


「ゆっくりでいいぞ。」


僕の様子を静かに見つめていたマッソが一言いった。


その言葉を聞いた僕は思ったーーーー








ーーーー話してみようかな







話して拒絶されるのがとてつもなく怖かったが、今の僕にはそれよりも、この爆弾を抱えたままいつか爆発してしまうことのほうが怖かった。


それに何となく、彼は……彼なら大丈夫なのではないのか。そう感じたのだ。


勘という感覚的なものよりももっと感覚的で、勘違いかも知れない。誤りかもしれない。


ーーでも、この無責任な程の安心感に身を委ねてみようと思った。


「ま………まっ…」


出ない声を精一杯振り絞り、言葉を放つ。

喉は焼けるように痛いが、それでも続ける。


「ま、マッソ………聞いて、くれるかな?辿々しくて意味わからないかもしれないけれど、僕の…………悩み、なんだ。」


やっと出たその言葉が部屋に響いたあとの沈黙が僕にはとてつもなく長く感じられた。


顔を上げると、マッソが口を開こうとしているのがみえる。


僕は降り掛かってくるであろう否定の言葉に備え、ギュッと拳を強く強く握りしめた。


「当たり前だ!!俺たちは親友だろ!!!」


でも、それは杞憂だったみたいだ。

マッソは満面の笑みでサムズアップして、こちらを見ていた。


その瞳に浮かぶのは、軽蔑でも侮蔑でも忌避の視線ではなく、それらとは真逆の温かいものだった。


「あのね……」


そこで、僕は再び口を噤んだ。


心の中身を曝け出そうとした矢先とある問題にぶつかったのだ。


お行儀よくベッドに座っている彼に転移のこと、異世界日本のことについて話すのか否か。


僕が抱える問題の根本には、人間としての感性とかそのへんが絡んでくる。


そして、それは日本での記憶に密接に関係している。


だから、それを話そうとすると僕が異世界から来たということを言わなければならない。


当然、転移したこと、過去の記憶については言及せず濁して、この世界のことだけを話すという選択肢もあるのだが………。


僕がマッソに目線を向けると、彼は相変わらず暖かな視線で微笑み返してくれた。


『ゆっくりでいいぞ。』


先程のマッソの言葉が脳内に響く。


ーーー僕に対して真摯に真っ直ぐに、正直に向き合ってくれている彼を欺き、レストとして話すのか。


ーーーそれとも、自分の一番大きな秘密をありのまま彼に対して誠実に、芯望唯一として話すのか。


その二択がどんどん大きくなって、脳内を埋め尽くした。


「うっ…」


ぐるぐると回り始めたその文字に少し目眩と吐き気を覚えた僕は、机に手を付く。


「だ、大丈夫か!?その、無理して話さなくても、いいんだぞ。」


ーーーどうしようか?


再び投げかけられたマッソの優しい言葉に、さらに頭を悩ませた僕は、逃げるように窓に目をやる。


すると、茜空に紺色のインクをこぼしたような、日の落ちかけた風景が目に飛び込んできた。


「…ほ…し………」


小さく声を漏らした僕は、ゆっくりと立ち上がる。


まだ太陽の余韻が残る中で、一際明るい星のみが光る。あるいは尾を引いて流れていく。


そんな浮世離れした神秘的な景色の端に、僕はを捉えた。


真っ白なドレスを空の色に染め、早足で歩いていくのは僕の見知った人物。


それは、名前の由来となった百合ユリの花言葉、「純粋」「無垢」が誰よりも似合う、健気で可憐な少女。


僕は急ぎ足で変わっていく空の元で、すでに視界から消えた彼女との出会いを思い返す。


まあ、出会いと言ってもあれ以降僕らは話していないのだけれど。


たった一度。されど一度。


僕はその一度で彼女と自分が、何処か似通っている様に感じた。


何もかも失って絶望の淵に突っ立っていた僕と、

皆に見捨てられて人生を終えようとしていた彼女。


ーーーーによって救われた僕に救われた、彼女第三王女


そんな、変な共通点で結ばれた彼女との会話を、僕は辿っていく。


いきなり訪れた僕に彼女は自身の秘密を、話してくれた。

最初違うと否定した言葉を、さらに否定して本名を名乗ってくれた。

話したくないであろう過去を告げてくれた。

自身の弱点を完全にさらけ出してくれた。


王女なのに、初対面なのに、異性なのに、あんなにも弱っていたのに、僕がもしかしたら悪い奴かもしれないのに。


彼女はその強い心で、他人へ弱みを話す恐怖に打ち勝ち、話してくれたんだ。


そんな彼女に比べ、僕はどうだ?


初対面でもなく、相手が絶対に受け止めてくれるであろう親友なのに、ぐちぐち悩んで。


「はぁ…」


なにか馬鹿らしくなった僕は、椅子から立ち上がりベッド横の小さな窓を開ける。


少しの間外を見ると、もうすっかり星が似合うようになった空に背を向けて、何故かひどく驚いたような顔をしているマッソに語りかける。


「異世界って有ると思う?」

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