第49話 戦い闘い-Fight-

精霊王との契約の力は物凄かった。


力が体の芯から湧き出すというか、そこに無限に存在するような気までしてくる。


身体強化の魔法に魔力を注げば、魔力の限界より体の限界が来てしまう。


攻撃魔法を使おうとすれば、魔力が体を通るたびに毛穴から血が吹き出しそうになる。


魔力、体力、筋力その他すべてのが圧倒的に高くなる。


これが、王の力。


でも、その精霊王の力をまだ完璧には使いこなせない僕と、虎の悪魔の闘いは紙一重だった。


はじめに感じたあの本能的な敗北感が拭われることはなく、常に死と隣合わせの攻防。


剣で切れば爪で切られ、魔法を撃てば咆哮される。


まさしく一進一退のギリギリの戦い。


どちらが勝っても負けてもおかしくない闘いだ。


始まってまだ数分も経っていない僕らの死闘は、白熱の一途を辿っていた。


僕が身体の限界近いスピード、力で剣を叩きつけても、虎の悪魔には若干の傷しかつかない。


対して僕が攻撃を喰らえばひとたまりもない。


魔法もさして効果がないのが見てわかる。王級魔法を当てても微風が吹いた並の反応しか示さないのだ。


こっちは咆哮でいちいち固まってるっていうのに


虎の悪魔の爪や歯での攻撃は直撃を間逃れたとしても、その驚異的な力によって生じる風圧で僕の体を、脳を直接持ってグワングワンとゆさぶっているかのように激しく震わせる。


どんなに大きく回避しても絶対に体が揺れ、小さな傷が体につき、血が吹き出す。


厄介なところはそれ以外にもある。


虎は悪魔というだけあって、体から漆黒の霧みたいなのを常時放っている。


それが傷口に入ればどんなに小さなかすり傷でも血液が滲んできて、鼻から吸えば工業用アルコールのようなツンとした香りと変な浮遊感に襲われる。


僕は僕で、虎の悪魔によって体が傷つくたびに、血が溢れるたびに、理性を失いかけるたびに、契約によって体中から猛烈な力が湧き上がってきて、傷口を塞ぎ、血を急造し、体を前に突き動かす。


攻撃を受けるたびに強くなって回復するという、矛盾。


虎の悪魔からすれば僕のその力も非常に厄介なのだろう。


お互いがお互いに攻めあぐねている状況が続く。


「はぁはぁ………」


「グゥォォオオ…」


どんなに力が湧こうと、どんなに強かろうと疲れるものは疲れる。


虎は徐々にその攻撃の精細さ、力強さを欠いていき、僕もドンドンとそのスピードを落としている。


もはや力と力の戦いではなく、心と心のぶつかり合い。


覚悟の違い、どこまで諦めずに戦い続けられるかの差がこの勝負の鍵を握っていた。


「ははは、ははははハハ」


僕は虎の攻撃から逃げる足を止めずに笑う。


常に新たな傷が加えられ、少し前の傷は精霊の力や常時発動している治癒魔法によって治っていく。


ーー傷付くときの痛み。


ーー傷が治るときの快さ。


それら正反対の感覚が同時に訪れることによって脳は崩壊寸前。


今すぐにでも意識を失いそうだが、少しでも意識を手放せば、虎の霧によって完全に脳が乗っとられる。


常人ならたった一回で意識を手放すであろう、強い崩壊の山がもうすでに何十回も訪れている。


「でも、僕は諦めない」


僕をなめるなよ。


僕が今まで耐えてきた絶望はこんなもんじゃない。


僕が何回絶望の淵に立ち、何度死の快楽に溺れようと思ったことか。


毎日毎時間毎分毎秒自殺しようと思い、常に苦痛と孤独感と劣等感に苛まれてきたんだ。


この程度の苦痛で諦めるわけがないだろう。



僕はとうに限界を迎えた体に鞭を打ち、さらに身体能力強化を重ねがけし、前へと進む。


目指すは相手の首。

望むは勝利。


ダサくても格好悪くても、泥臭くても最後に立っているやつが勝者なんだから。


新鮮な空気を渇望する肺をドンと叩き無理矢理に息を吸い込み、僕はこの戦いを終わらせる為、渾身の技を放った。



それはここまで耐えた自分への称賛の一閃。



それは今まで戦い続け、この美しい舞台を共に踊り抜いた虎の悪魔への深謝の一閃。



それはこの一連の戦闘に関わったすべての人への讃美の一閃。



それはこの事件を起こした犯人ターシャ先生への怨恨の一閃。



それは己を信じ力を貸し与えてくれた精霊王への感謝の一閃。



水の精霊王の力を最大限に纏わせ、己の魔力をすべて注ぎ込んだ刀身を、最高速、最高力で首に叩き込み、振り抜いた。




……………だが。




粉々に砕け散った刀の銀の破片の奥の虎は、嗤っていた。


僕は理解してしまった。


僕の渾身の、すべての力を込めた一撃はこの怪物にとっては他の攻撃と変わらぬものだったのだと。


あぁ、もう無理だ。


こんなに頑張っても、こんなに力を込めても無理だったんだ。諦めよう。


今まで堪えてきた分、積もりに積もった絶望は濃く、大きいものだった。


僕の体はすでにボロボロ、脳も意識を保っているのかどうかすら危ういフラフラの状態。


おまけに体勢は剣を振り切ったままで隙だらけ。


こんな絶望的な状態から逆転できるわけない。


「グフゥゥウウウ」


ほら、ね。


虎の悪魔がいくら疲れていようともその大きな隙を見逃すわけない。


大きく振りかぶった虎の鋭い爪は僕の脇腹を抉り取り、体に半月状の穴が空いた。


「もう…………だめだ」


僕がそう呟いた瞬間、は聞こえてきた。


「ひ〜か〜り〜〜は、やさ〜しく〜」


ゆっくりと、


「やぁ〜み〜〜は、しず〜かに〜」


はっきりと、


「だい〜ち〜〜は、きび〜しく〜」


やさしく、


「か〜ぜぇ〜〜は、りり〜しく〜」


穏やかに、


「ほ〜のお〜〜は、はげ〜しく〜」


強く、


「み〜ずぅ〜〜は、やさ〜しく〜」


それでいて、美しい歌声が聞こえてきた。


その言葉に合わせるように、まるで逆再生するかのように僕の体が戻っていく。


血が湧き、肉が生まれ、筋肉が繋がり、骨が繋がり、最後に皮が傷一つない状態に戻る。


生命の法則に逆行し、僕の体は生まれ変わったのだ。


「はぁ………」


僕は這いつくばっていた地面からユラリと立ち上がり、僕の体が戻っていく様子をただ見つめていた虎に向き合う。


僕は気づいてなかったんだ。


こんな簡単で、単純なことに。


相手は悪魔。比喩でもなんでもなく、なのだ。


なのに、どうして真正面から剣で、物理で戦っていたんだ。


それと、僕と彼女との間にできたこのつながりは、約束じゃない。なんだ。


彼女は信じてくれていたのに、僕は信じられていなかった。


精霊王ニンフ………」


僕は落ちていた愛剣の欠片を取り、指先を切る。


「僕はあなたを、信用する」


ポタリと地面に赤色の雫がこぼれた。


僕が今までしてこなかったこと。ずっと目を背け続け、諦めていたこと。


あのマッソやフェルン、ヒスイに対しても出来なかったことを、僕は彼女に求めていたんだ。


そして、彼女はしっかりとそれをしてくれていた。


なのに僕は、僕は全く信頼して、信用していなかった。


だから契約は、力は完璧じゃなかったんだ。


ターシャ先生は言っていた。


悪魔を倒せるのは天使、又は大精霊の契約者のみと。


そして、その契約者というのは表面上のものではない。書面上のものでなく、心と心が通じ合った魂で繋がった、信頼し合うパートナー契約者のことだったんだ。


「グォォオオオオオオアアアアアアアアア!!」


さっきまであんなに心揺さぶられた咆哮も今となってはただの醜い叫び声だ。


僕は胸に手を当てる。


ドクドクと動く心臓の奥に、確かに感じた。僕と彼女水の精霊王とを繋ぐ契約信頼の糸が。


剣は折れた。


でも、僕はそこに剣があるかのように構える。


「光よ我を照らせ、水よ我を運べ。我、水の精霊王の契約者なり。さぁ悪魔よ、死んでもらおうか。」


刹那。


僕の手の中に青い光を放つ西洋剣が現れる。


光と水の魔法でできたその剣を持ち、虎の悪魔に向けて走る。


「うわぁぁぁああああああ!!!」


勢いのまま叩き込んだ、は無造作で不格好で、さっきの一閃と比べて明らかに劣る一撃だった。


しかし、その刃は虎の悪魔の首の半分まで食い込んだ。


「グゥオオアアアアアアア!!!」


ーーあと半分


飛び乗った虎の首元に足を食い込ませて踏ん張り、刃の上に振り下ろす。


「ウァァアオオオオオ!!」


ーーあと四分の一


虎の悪魔だってそんな簡単に殺させてくれない。


首を思いっきり振り、はち切れんばかりの咆哮を上げ僕を落とそうとしてくる。


「くっ!!あぁぁああああああ!!!」


咆哮によって生まれた風の刃が、肌に無数の傷をつける。


ボタボタ


血が虎の悪魔の美しい毛を赤く染めていく。


「はぁはぁ………」


骨が何本か折れ筋肉が裂けているであろう体に最後の踏ん張りをきかせ、僕は足を振り上げる。


「っ!!!!」


そこで見えた。


祈るように泣きながらこちらを見る精霊王さんが。


その瞳は僕が負けることなど微塵も考えてなく、ひたすらにただひたすらに僕を信じていた。


「いくぞぉぉおおおおお!!!!」


「グウォオオオオオオオオラララァアアアアアアア!!!!」


言葉の意味は分からないだろうが、僕が勝負を決めに来たことは理解したのだろう。


虎の悪魔も最後の抵抗とばかりに首を思いっきり下に振る。


「っ!!」


土台としていた首が下がることで僕の体は中に投げ出される。


「ここだぁあ!!!!」


ピンチはチャンス。


誰かが言ったその言葉の通り、体が宙に投げ出されたことを逆手に取って、僕は虎の首に刺さった刀に乗るように着地してその刃を貫通させた。


「グ、グォォォォオオオオオオオオオオオゥゥゥウウォォォオオオオオオオオ!!!!!!!」


愚かな人間の手によって放たれ、操られた可哀想な虎の悪魔は、最後に大きな雄叫びを上げ、消えていった。


「ぐふぉあ」


それと同時に僕の体にも限界が訪れ、かなりの高さから背中を下にして落ちていった。


「ふっ…………あぁ」


意識を手放す前見えたのは、朝焼けの空の下その手をかたく結び祈りを捧げる水の精霊王さんニンフだった。


「きれい」


意識が途切れる間際、僕はそれだけ呟いた。

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