幕間 トラウマ

Sideニル


ダンジョンの100層の扉を開けると、目に強い光が飛び込んできた。


目を開けて、見えた景色にあたしは絶望する。


それは、乗り越えたと思っていたあたしの初めての命の危機だった。


 ◇ ◇ ◇ 


あたしは産まれてすぐに、お母さんに連れられてダンジョンに潜った矢先、狼に攫われてしまった。


本来なら赤子の手をひねる様に無力化できるはずだが、あたしは産まれて1日とちょっとしか経っていない。


初めての命の危機。生命の危険に怖くて震えてしまって何もできなかったし、大した力もなかった。


攫われた時のお母さんの世界が終わったような顔が未だに忘れられない。


狼達はあたしを下の層の自分たちの巣に連れ込んだが、何もしなかった。


多分、お母さんと戦っているというか、対峙している狼達の連絡を待っているのだろう。


それから、少し経った。


痺れを切らした狼の若いオスがあたしを食べようと牙をたてた。


『死ぬ!』


そう強く思ったが、あたしには傷一つつかなかった。

否、狼ではつけられなかった。


あたしのふわふわの毛の下には鉄よりも硬い皮膚があるのだ。それがたとえ産まれたばかりだとしても、狼なんかの歯では傷をつけられない。


「ワォォーーーン!!!」


狼達は次々と遠吠えをして、あたしを中心に円を作り、一拍おいたあとあたしに一斉に飛びがかかってきた。


傷つかないとわかっていても、その迫力と殺意にあたしが目をつむったその時、視界の端に青い塊が見えた。


あたしは最初それが何かわからなかったが、狼達がそれに気付き、攻撃を始めた頃に分かった。


あれはだ。生態系で最底辺にいるスライムなのだ。


普通は周りの魔物に怯え、自身の群れの中で争いを起こすことか、たまに人に襲いかかるくらいしかしない雑魚モンスター。


そのスライムが一応にもダンジョンの中層以下の狼達。しかも群れを相手取って怪我一つなく、翻弄しているのだ。


でも何で?


スライムが命をかけてまでここに来る意味がないのだ。


そう思った時、あたしの体が宙に浮く。


『へ?』


思わずそう言ってしまいそうになった。


だって最弱種のスライムが赤子でも神獣であるフェンリルあたしを助けるなんて前代未聞だ。


後ろから狼達は追いかけてくる。ジャンプして飛びかかってくる狼もいた。


でも、スライムはそれらを躱しながら地面に落ちないように天井を安定的に這っていた。


でも、このままじゃだめだ。


なぜなら、この巣の入口は狼一匹がやっと通れるくらいの小さな穴なのだ。


そこに入ろうとすれば、必ず狼達にやられる。


そんなことはお構いなしにスライムはドンドン入口の方へ移動する。


『もう地面についてしまう!』


それくらい地面と近くなった時、スライムは大きく息(?)を吸って、粘液を飛ばした。


途轍もない速さで刃のように飛んでいく粘液はドゴォんという音と共に入り口の穴を広げる。


当然その破片が飛び散って目の前は何も見えない。


だが、スライムは何のお構いなしにその幕の中に飛び込んでいく。


破片をなるべく躱しているが、ようやく外の光が見える位のとき、大き目の破片がスライムに当たった。


怪我はなさそうだが、軌道が大きくそれてこのままだと地面に叩きつけられてしまう。


『ヤバイ!』


そう思った時、あたしはスライムごと優しく包み込まれた。


見上げると、そこには銀長髪の美しい、天使のような少女がいた。


少女はスライムに愛しむような視線を向けてから、一変恨み殺すような眼で追ってきた狼達を見た。


そして、


風を重ねる。高く高く、薄く薄く風は起こり、怒る風の怒りウィンドアンガー


そう鈴のような声で呟いた。


刹那、爆風の刃が狼達を襲う。


前方の狼は全滅、後方の狼達もグルルと一唸りしてから下がっていった。


あたしはてっきり追うのかと思ったが、少女はスライムとその中の私を持ち直し、撫でながら高速でダンジョンを逆走し始めた。


 ◇ ◇ ◇ 


あの時はスライムと少女ーーーではなく少年だった。に助けられた。


あたしは現実通りに狼に噛みつかれたが、当然傷はつかない。


そして、狼達があたしを中心に囲み始めた。


やはり一泊おいて、狼達はあたしに飛びかかってくる。


あたしはこれが100層の試練で、救世主スライム達が来ないと分かっていても、やはりその圧迫感と恐怖感に思ってしまうのだ。







『助けて』……………………と。


 ◇ ◇ ◇

Sideフローラ


100層の扉を開けると同時に見えた強い光に我は目をつむる。


少しの時間が経ち、目が復活したので、開けるとそこには懐かしい姿があった。


我よりも大きい背中。我よりも硬い手触りの毛。目と目の間に大きく刻まれた歴戦の跡。


「じゃあ、ちょっくら行ってくる。」


そう言って我らの寝床から走り去ろうとする背中。


ーーーー我より100年ほど前に産まれたフェンリルのオスだ。


我が下を向くとぷっくりと膨らんだお腹。


我はつい20年ほど前に奴との子供を授かったばかりだ。


これから親子三人の幸せな日々が始まろうとしているのに、奴はドラゴンに挑みにいこうとしているのだ。


『何故そんなことを?』


と聞くと、


『ドラゴン位倒せないと、子供を守れないだろ?』


とおどけて笑っておった。


もう見えなくなろうとしている背中に我は言葉を投げる。


あの時は勝つと信じていてかけなかった、照れ恥ずかしくてかけられなかった言葉を。


「おい!」


「なんだ?」


奴はすぐに我に向けて振り返ってくれた。


きょとんと見つめるその顔は、長年の戦士のものでもなく、これから父親になる覚悟の顔でもなく、ただただ愛しい人へ向ける優しい視線。


ーーーーいつもありがとう。


「どうしたんだよ?」


ーーーー幸せだよ。


「本当に?大丈夫か?」


ーーーー愛してるよ。大好きだよ!


「痛むのか?おい…………参ったな。」


溢れ出す涙と言葉が止まらない我に近寄り、彼は戸惑いながらも抱きしめてくれた。


この香り、優しい麦畑のような香ばしいかおり。


懐かしくて、切なくて、悲しくて、楽しくて、嬉しくて。


いつもと変わらない、何十年、何百年経っても忘れられない底抜けに優しい香りに、嫌んなって我はーーーー私は顔を上げて彼に視線を合わせる。


「大丈夫か?」


彼の優しげな、忘れられなくて、忘れられるはずなくて、いつか何食わぬ顔して帰って来るんじゃないかと期待していた、望んでいた顔に向けて言う。


長ったらしいのは私に合っていない。


だから、短く。


「愛してる。幸せだ。いってらっしゃい。」


そう言って恥ずかしそうな彼の顔に、


「ん。」


短くキスをする。


「へっ………へ?」


状況を理解できていない彼に、


「ほら、ドラゴン共を倒すんだろ?行って来い。私は待ってるから………何時までも。」


「お、おう!行ってきます!」


こう言葉をかけられたんだから。


私にーーーー我にもう悔いはない。


「ぐふっ………う…………あぁぁぁ!!!」


彼の姿が消えてから、我は泣いた。久しぶりに子供に戻ったかのように泣いた。


たとえもう彼に会えなくたって、私は、我は、彼を待ち続ける。


 ◇ ◇ ◇

Sideスロ


まばゆい光が100層の扉が開くと共に襲いかかる。


こらえきれなくなって僕は目を閉じる。


聞こえてくるの戸惑うような声に僕は目を開けるが、そこはダンジョンの100層ではなかった。


僕が、僕が最悪な日々を過ごしたスライムの群れだった。


 ◇ ◇ ◇ 


今日もまた一匹死んだ追放された


スライムという種族は最弱だ。他の魔物に怯えて日々を過ごし、草木を食べ………否、草木しか食べられずに、たまに怪我をしたはぐれ人を見つけては攻撃を仕掛け、やるかやられるかギリギリの攻防を繰り広げる。


そんなカースト底辺。それがスライムだ。


スライム達は外で威張れない代わりに仲間の内で争いを起こし、威張る。


周りより少し強いやつが集団を作り、群れの中で弱いやつをいじめる。


周りは止めないし、止められない。


僕が生まれてから、追放された数ですら多すぎて数えられていない。


スライムは弱いので群れを作り、他の魔物に目をつけられたとき、半分ほどを見捨ててもう半分が生き延びるということをする。


当然、追放された一匹は生きていくことなぞ出来ずに野垂れ死ぬか他の魔物にあっけなく殺される運命だ。なので、追放=死なのだ。


次のターゲットは誰なのだろうか?僕は気になって周りを見渡す。


ジロジロジロ、ジロジロ


顔を上げるとみんなが僕を見ていた。


………まっまさか、今度のターゲットは僕なのか?


群れの中の長といっていい、いじめの主犯格が僕に見せしめのように体当たりをする。


すると、他のスライム達も順々に僕に体当たりを始める。


これはあれだ、こうやって一匹のターゲット目標を傷つけることで長への忠誠を表しているのだ。


僕は痛くて、悲しかったが、同時にこれでいいかもとも思った。


僕も今まで彼らと一緒に追放されたスライム達に攻撃をしてきたんだ。


日々みんなにやられ続けて、やつれる彼らを助けることもせずに横目に見ていたんだ。


そのターゲットが僕に変わっただけの話。


もうこれ以上他匹ひとを傷つけたくなかったし、殺したくなかった。


体当たりはお昼のご飯によって中断された。


ご飯はみんなで草の生えているところに行って食べるのだ。


たくさんの草をむしゃむしゃと食べる………ことは許されない。


ターゲットにされた個体はご飯を自由に食べることさえも許されないのだ。


長に言われるがまま何も食べずただ、他のスライム達の世話をする。


そして、ご飯が食べ終わったあとは再度いじめタイム…………のはずだった。


スライム達にとって良きせぬ、僕にとってはある意味良かったのかもしれないアクシデントが起こった。


草木を追い求め東に行くにつれて入ってはいけない領域。ヘビの縄張りに入ってしまった。


ヘビは基本雑魚モンスターだ。初心者の冒険者でも注意すれば簡単に殺すことができる。


でも、そんなヘビでも僕らはスライムにしたら強敵だ。


スライム達100匹ほどに対し、ヘビ10匹。


10倍の差だが、そんなことは関係なくスライムは蹂躙されていく。


ほおけて見ていた僕を突然、強い衝撃が襲う。


長が僕をヘビの方へ飛ばしたのだ。


「キシャァァァアアア!!」


ヘビの一匹が僕に向けて攻撃してくる。

牙で噛みつかれ、尻尾で弾き飛ばされた。


背の低い木の上に落ちた僕は、死にはしなかったものの重症を負い、意識が朦朧としていた。


本来ならここで見るはずなんだ。


とても優しい焚き木の光を。

そしてに、僕と同じ境遇を持ちながらも確実に前に進み続ける、僕の命の恩人でもあり、憧れの人でもある…………に助けてもらえるはずなんだ。


 ◇ ◇ ◇ 


でも、これは夢であり試練である。


そんな優しい希望はいない。


僕はゆっくりと地面を這うように………というか這っているのだけど何処かわからない方へ進んでいく。


パッ


運がよく明るく開けた場所に出ることができた。


でも、運が悪くそこには会いたくない奴らがいた。スライムの群れだ。


長は僕に気がつくと、ズタボロな姿に同情もせずただ見つめる。


いつの間にか僕はスライムたちに囲まれていた。


「「ギュー!!!」」


唸るような声を上げてスライムたちは僕に順番こに体当たりを始める。


癒やされない傷はどんどん広がり、体液が溢れる。


今すぐ倒れてもおかしくない状態だ。


でも、何より心の傷が痛む。


今の僕のような、死にそうな弱った仲間の姿を見ても何もできなかった僕。


ーーー死にそうな僕を助けてくれた


襲ってくる驚異スライムに反撃できずにやられっぱなしの僕。


ーーー襲いかかる驚異オーガに死にものぐるいであらがった


そして何より、この場で助けが来ないと分かっているのに、それにも関わらず助けてくれる手を、無条件な優しさを、を求めてしまう僕。


ーーー皆に認められず誰にも認められないものを見て

皆に裏切られ誰かに裏切られたものを見て

皆に傷つけられ誰かに傷つけられたものを見て

皆に嘲笑われ誰かに嘲笑われたものを見て

それでもなお、皆を信じる誰かを助ける


そんな差を見せつけられて、嫌というほど分からせられて。


それでも、僕は、僕はーーーーーー英雄に成りたかった。


僕は最後の大じめというように、一歩下がり僕に体当たりをする長と同じタイミングで、長よりも大きく、強く体当たりをし返す。


長は少しよろけるくらいで大したダメージはないのだろう。


対して僕はもうフラフラで今すぐにでも意識を手放したい。


でも、これで、この少しで、一歩で、僕もーーーーに近づけた気がした。

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