第三十三話「悪党たちの歓談」
『全力さん暗殺計画』は未遂に終わった。だが、
だが、暗殺計画の顛末を語るのはこの物語の主旨ではない。赤瀬川(伊集院)は、最後の最後まで全力さんに殉じた。全力さんも、ユキとの約束を果たすため、自分の役割を果たした。全力さんは、皆の悲しみを消そうとして、限界を超えて頑張ったのだ。
今はそれだけを語れば十分だろう。
気が付くと全力さんは、人間だった頃のあの村に戻っていた。けれども、体は猫のままだ。傍らには、えっちゃんの写真とアケミから貰った千ドルの入った風呂敷があった。全力さんはその風呂敷をもって、かつて全力さんの住処だった粗末な小屋を目指し、歩いていった。
「確かに、この辺やったと思ったんやけどなあ……」
記憶にあった場所には立派な家が建っていた。守衛に話しかけようかと思ったが、今の全力さんは猫である。余計な騒ぎになるとまずい。自分がかつて人間の全力さんだったことを証明するものは、えっちゃんの写真しかなかった。
「そや、酒屋のトサナミのところに行こ。アイツなら、新聞くれーっていえば、多分わかるやろ」
酒屋のトサナミは、合百の胴元だったのナカノの通名である。お上から手入れを喰らった彼は、賭場を失った挙句、数年間臭い飯を食った。娑婆に戻った彼は、全力さんが一五〇連敗を喫していた頃にこの村に戻ってきて堅気になった。その頃からずっと酒屋を営んでいる。
「トサナミー、新聞くれー!」
「ああ! 猫がしゃべってる!」
「そりゃあ、猫だってしゃべりたいこと位あるやろ? アケミがどこにおるか知らん?」
「アケミって……。もしかしてお前、全力さんの何かか?」
「何かもクソもない。あの大暴落を当てた全力さん本人や」
かつて、ナカノの賭場で大暴落を当てた全力さんは、十万ドルの大金を手にして、堅気に戻ったのだった。えっちゃんに捨てられた後、全力さんは合百で莫大な借金を背負ったが、ナカノだけが全力さんの復活を信じて、陰ながら支援していたのだ。
「お前だけが、わしを見放さずに毎日と新聞と方眼紙をくれたな。今でも感謝しとるで」
「その話を聞いたら信じざるを得ないな。それにしたって、アンタが消えてからもう十年だ。まさか、本当に猫になって戻って来るとはなあ……」
「わしの前世は猫やったって、何度もいうたやろ?」
そういって、全力さんは笑った。全力さんは元の世界で十五年を過ごしたが、こちらの世界ではまだ十年しか経っていないらしい。アケミはまだ青年のはずだ。
「死神のお帰りや。ところでアケミは、村一番の漁師になったか?」
「漁師どころの騒ぎじゃないよ。今のアケミは政治家だ。この村一番の出世頭で、今じゃ村長までペコペコしてるよ」
「まじかー」
国家元首よりは控えめとはいえ、アケミが政治家になっているとは思ってもみなかった。だが、名前を貰った伊集院は、大祖国戦争後に赤瀬川の名跡を継ぎ、内務省のトップにまで駆けあがったのである。それを思えば、それくらいの出世は当然なのかもしれない。
「今、アケミがどこにおるか分かる?」
「オイゲンなら知ってるかもしれん。ちょうど今から、酒を納めに行くところだ。車を出すから一緒にいこう」
「そりゃ、助かるなー」
トサナミと全力さんは、ヴァイマール食堂に向かった。
食堂は少しやれていたが、場所も雰囲気も全力さんの記憶のままだった。
「よぉ、オイゲン! 久しぶりやなあ!」
「ああ! 猫がしゃべってる!」
「そりゃあ、猫だってしゃべりたいこと位あるやろ? アケミがどこにおるか知らん?」
「アケミって……。もしかしてお前、全力さんか?」
「そうや。あの大カジキを釣り上げた全力さんや! 次に戻ってくる時は、猫かも知れんっていうとったやろ?」
「確かに聞いたよ。でもまさか、本当に猫になって戻って来るとはなあ……」
呆れるオイゲンに、ナカノが言った。
「俺もびっくりしたさ。でも、俺が本物の相場師だと見込んでたのは、全力さん一人だけだ。死神の話を持ち出されたら、信じざるを得ないだろう」
「そうだなあ。相場の借金を相場で返したり、百五十連敗しても大物を釣り上げられる奴は、全力さん位しかいないだろうさ」
昔の事を思い出しながら、三人はしばし歓談に耽った。
「
「ああ、今じゃ完全に堅気だよ。ボンクラを嵌め込むのは楽しいけど、ムショはもうコリゴリだしな」
「ちょっと、やりすぎたんだよ。この村には、お前が飛んで困ってる奴も大勢居る。俺もその一人だ」
「そうか? 俺がまだ賭場をやってた頃は、それほど絡みもなかったと思うが」
「お前の賭場で大勝ちした奴らが、よくここに流れて来てたのさ。漁師ばかりのこの村じゃ、雨が降れば合百くらいしかやることがない。俺は助かってたよ」
オイゲンは笑いながらそう言った。
「俺みたいな悪党の商売が、堅気のアンタの役に立ってたとはな。世の中は面白いもんだ。それで娑婆に戻った俺に、仕入れを頼んでくれたって訳か」
「アンタの目利きは確かだ。昔ならともかく、堅気になったアンタを助けない道理はないさ。それに悪党というなら、俺の一族の方が遥かに悪党だ」
「どういうこっちゃ?」
全力さんは、オイゲンに尋ねた。
「俺の家は、代々軍人の家系だった。プリンツ・オイゲンの名をどこかで聞いたことはないか?」
「ある。ヴァイマールの戦いで圧倒的に不利な戦力差をひっくり返し、祖国を再興した英雄だ」
プリンツ・オイゲンは今から何百年も昔に、この世界に実在した人物である。ここから遥か東にあるファーネリア大陸で、統一を目前にしたガレリア帝国の野望を打ち砕いた男として、伝説のように語り継がれていた。
「そういえば聞こえはいいがね。いかに効率よく人を殺すかを考え続けたのが俺のご先祖様だ。あらゆる策謀を尽くし、勝利のためなら手段を択ばなかった。罪の重さなら賭場の比じゃないさ」
「……」
全力さんは、戦勝十五周年記念式典から始まった『猫の鈴』との戦いを思い出して、少しだけ悲しくなった。
「負ければ吊るされるし、勝ちすぎれば仕事がなくなる。ご先祖様は頑張りすぎて、
「大丈夫や、オイゲン。お前のご先祖様は、何も悪うない。自分の責任を果たしただけや」
「そうかな?」
「そうや。お前の一族は沢山の人を殺した代わりに、不条理に命を奪われることのない世界を作った。立派なもんやで」
血を流さんで手に入るものなど、大したもんやない。
全力さんはずっと、そう思って生きて来た。だからこそ、あの兄弟分のカジキを斃せたのだ。大事なのは、争いを避ける事じゃない。そこで流れた血が、より素晴らしいものを生み出せるか否かだ。
「本物のクズはな、平気な顔して他人から巻き上げといて、ひたすらため込んでる奴らの事やで。大事なんは金を残す事やない。生きざまを残す事や」
全力さんが正しかったかを、全力さんは決めることが出来ない。それはこの世界に残したアケミや、あっちの世界で全力さんを斃した連中の、これからの行動で決まるのだ。
「そんな風に生きとれば、助けてくれる奴もおる。ナカノやお前みたいにな」
「そうだな」
「確かにお前の残した者は、村のために良くやってるよ。もしかしたら、俺の仇を取ってくれるかもしれない」
ナカノはそういって、杯の中の酒を煽った。
「仇を獲るって、どういうこっちゃ?」
「この村にカジノが出来るのさ。アケミは今、建設予定地の視察に行ってる。賭場の連中とも話はついてるみたいだ。これからは合法路線で行くんだろう」
「なるほどな。もう合百の時代じゃないってことか……」
「老兵はただ消え去るのみ、さ。俺やお前さんみたいにな」
グラスの酒を傾けながら、ナカノがそうこぼした。
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