第三十四話「政治家の仕事」

 今ある賭場の連中は、カジノの中で商売が出来たり、廃業の補償金が出たりするのだろうが、手入れで潰されたナカノには恩恵はない。自分の賭場は廃れたが、村そのものは新たな賭場(カジノ)のお陰で潤う。そういう事を言ってるんだろうなと全力さんは思った。


「外部から、観光客も来るようになる。うちも移転予定だよ。最近じゃ、漁師もめっきり少なくなったしな」

「そうなんか?」

「ああ。今じゃ、早朝営業もやってないんだ。海に出てる連中には悪いが、俺ももう歳でな」


 そう言って、オイゲンがお道化た時、一体何処から聞きつけて来たのか、全力さんが一番会いたかった人間が店に入って来た。


「全力さん!」

「よー、アケミ。久しぶりー!」


 全力さんは敢えて軽く交わしたが、本当は泣きだしそうだった。アケミの方は立派な青年に成長していたけど、全力さんを見た瞬間に泣き始めてた。


「お前はわしが猫の姿でしゃべってても、全然驚かんのやなあ……」


「だって、手紙に書いてたし! それにあの後、夢の中にユキさんが出て来たんだよ!」


「なんていうとった?」

「全力さんは、デブの三毛猫になって必ず帰って来るから、心配しないでねって」

「そうかー」

「だから僕は、いつ全力さんが戻って来てもいいように、村中に触れ回っておいたんだ。正直、もう諦めかけてたけどね」


 ユキもなかなか粋なことをするなあと、全力さんは思った。まあ、そのユキの所為で、全力さんは元の世界でえらい苦労をしたのだけれど。


「まあ、アケミ。とりあえず、一杯飲め。祝いの席に涙は似合わんよ」

「うん、そうだね」


 アケミは涙をぬぐうと、オイゲンから杯を受け取った。

 そしてそれを一気に飲み干すと、矢継ぎ早に全力さんに語り掛ける。


「大切な人たちには会えたかい?」

「うん、会えた」

「あっちの世界での使命は果たせた?」

「果たせたと思う。でも、昔の仲間や、お前の名前を貰った男を殺してしもうた。勿論、直接手をかけた訳やないけど、わしが殺したようなもんや。あっちの世界でも、わしはオワコンやったんや」


 全力さんは、少ししょげながら答えた。


「全力さんは、オワコンなんかじゃないよ。全力さんが持って帰ったあの巨大なカジキの骨は、今でも村の名物さ。立派な観光資源になってる」

「そうなん?」

「ああ、オイゲンさんが村長に掛け合ってくれたんだ。立派な骨格標本になって、村の博物館に収められてるよ」


 オイゲンがグラスを拭きながら照れ隠しに、二、三度咳をした。無残に肉を食い散らかされた兄弟が、村人の役に立っていることを知って、全力さんは嬉しかった。


「肉は一度売ったらしまいや。アイツにとっては、これが良かったんかもしれんなぁ」

「そうだね。もし少しでも肉が残ってたら、市場に傷物として出されていたかもしれない」

「サメのお陰か、皮肉なもんやな」


 全力さんは独り言ちた。


「わしはな。わしの殺した兄弟(カジキ)があんまり哀れで、あっちの世界で兄弟を模した巨大なロボット(シーフィアス)を作ったよ。めっさ強かった。でも兄弟は、こっちの世界でも、ちゃんと皆のお役にたっとたんやなあ」


 シーフィアスは、ひーちゃんによって改造を施され、劣勢だった共和国の戦局を立て直す切り札になったのだが、それはまた別の話だ。


「あのね、全力さん。あれから僕は何度もあの手紙を読み返したよ。そしたら全力さんが、元の世界で頑張れるって書いてあったからね」

「うん。あの時は、黙って行ってしもうてごめんな」

「戻って来てくれたからもういいよ。手紙にどんなことを書いたか、覚えてるかい?」

「もう忘れてもうたなあ。アケミにいい人が出来たらええなって書いた気はする」

「僕はいつでも、あの手紙を持ち歩いてるんだ。ボロボロになっちゃうと困るから、写しだけどね。ほら、ここを見て」


 アケミは全力さんに手紙の写しを差し出した。


 アケミがこれからの人生で何を選ぶのか、ボクには全然分からんし、想像も出来ません。だけど、選び方だけはちゃんとしっとる。人生で本当に大切なものはね、選んでも何の得もないかもしれんのに、それでも絶対に諦められないもののことです。だから、そういうものを、これから頑張って見つけてね。


「手紙の中で、全力さんはこう言ってる。僕はこの言葉を、人には皆、果たすべき役割があるってことだと解釈した」

「役割?」

「うん。大事なのは、得をする生き方をすることじゃない。自分にしか出来ない役割を見つけて、それを果たすために生きることだ。違うかい?」

「違わんよ。さっき、オイゲンにも似たことをいうとったんや」

「そうなの、オイゲンさん?」

「ああ。俺のご先祖様は、軍人としての職務を果たしただけで、何も悪い事ことはしてないってな。やっぱりアケミは、全力さんによく似てるよ」


 オイゲンは苦笑しながらそう言った。


「ねえ、全力さん。僕の役割は、全力さんに喜んでもらう事だよ。でも、全力さんはもういないし、具体的に何をしたらいいのか分からなかった」

「それで?」

「一生懸命に考えて、政治家になることを選んだ。いつか全力さんがこの村に帰ってくるなら、政治家になって村を栄えさせた方が、全力さんが喜んでくれると思ったんだ」

「確かにそうかもしれんなあ……」


 アケミには昔から、誰からも愛される天賦の才があった。おまけに、ツキも兼ね備えている。少し優しすぎる気もするが、漁師よりは、政治家の方に適性があるだろう。


「元の世界で何があったのかは知らない。でも、全力さんは自分の役割を果たしたから、願い通りに猫に戻れて、この村に帰って来たんだ。だから、大丈夫だよ」


 そう話す目の前のアケミが、まだ大学生だった頃の伊集院にかぶった。この二人は本当にそっくりだ。こっちのアケミまで、不幸にする訳には行かない。全力さんは泣きそうになってしまって、少し話題を変えようと思った。


「ところでアケミ、あの船はまだあるか?」

「勿論。今でも月に一度は漁に出てるんだ。自分の原点を忘れないためにね」

「ええ、心がけや。迷った時は、ポジを全部清算して休む。合百のセオリーやで」

「そうだね」


 アケミは苦笑しながらそう答えた。


「なあ、アケミ。わしもこれから、この村で暮らしてかないかん。使わん時は船を貸してくれる?」

「構わないけど、少しはのんびりしたらどうだい? せっかく、猫に戻れたんだしさ」

「そう言う訳にもいかんやろ。この体でも、ビンナガくらいは釣れるはずや。自分の食い扶持くらいは自分で稼がんと」


 アケミは少し考えこんだあと、全力さんに言った。

 

「じゃあこれから、久しぶりに船を見に行かないかい? 釣具は全部揃ってるよ」

「ええな」

「俺はそろそろ店に戻るよ。オイゲン、勘定はツケといてくれ」


 じっと話を聞いていたナカノが、そういって席を立った。


「全力さんが帰って来た祝いの日だ。今日は俺が奢るよ」

「そうか。じゃあ、ありがたくご馳走になっておこう。もし追加があったら、後で電話を入れてくれ」

「わかった」

「じゃあな、全力さん。もしまた新聞が読みたくなったら、俺の店にくるといい」


 そう言って、入り口のウエスタン・ドアを押し開けたナカノに、全力さんが声をかけた。


「安心せえ、ナカノ。お前が賭場を失おうと、合百が廃れようと、わしの本質は何にも変わらん。わしはドン底の生活を救ってくれた男を忘れるほど、恩知らずじゃないで」

「……」


 ナカノは、全力さんのその言葉を聞いてかすかに笑うと、何も言わずに食堂を出て行った。


「あの人は? 見かけない人だけど」


 アケミが全力さんに尋ねた。


「ずっと昔にな、お前から借りた七十ドルを、十万ドルにしてくれた男や。今は村のはずれで小さな酒屋をやっとる。お前も政治家なら、ああいう男の声を拾い上げてやれ。それが本物の政治家の仕事だ」

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