第三十一話「大祖国戦争の顛末」
「でもこの小説、ここで終わりなんですよね? 本当はもう少し先まで書いてあったそうですけど……」
『全力さんと海(第二版)』
それが、ひーちゃんが僕に見せてくれた、大祖国戦争の顛末を描いた小説だった。作者は水落ハナヱ。『猫の鈴』の指導者だった頃から、剣乃の祐筆を務めていた女だ。
今の共和国では、個人的な記録を残すことは全て禁じられている。大祖国戦争以前の記録は時空管理局の監修した「正史」しかなく、創作を志す人間は真理省の創作課に勤めるか、ワナビ階級に身を落とすしかない。
「赤瀬川が削除させたのだよ。ここからいよいよ剣乃が出てくる訳だが、何しろ奴は、時空管理局への最大の敵対者だからな。もっとも、本当はもっと削りたかったらしいがね」
「少なくとも、私は出て来てますからね。今のバージョンは検閲がもっと凄くて、全力さんの手紙で作品が終わっているんです」
「それじゃ、何も伏線が回収されないじゃないですか?」
「だから、この第二版を持ってきたんです。全力さんが戻ってこないと作品として成立しませんからね。これだって、手に入れるのは結構大変だったんですよ」
「そういうものかね?」
僕はいま『猫の鈴』の事を知るために、コクブンチョウのスラム地域にあるノベルアップなろうカフェで、ひーちゃんとスナメリ老師を相手に昔話をしていた。ここには【猫目】と呼ばれる管理局の監視カメラもないし、今の僕には赤瀬川さんの後ろ盾もあるからだ。
この小説の中で描かれている大祖国戦争は、今から十五年前の昔話である。ユキが去り、時空管理局から穏健派が駆逐された後、国家元首となった全力さんの命により紙の書物は、ほとんどすべて焚書された。共和国の歴史は現在に至るまで改竄され続け、今では記録課の中にすら本当の歴史を知る者はいない。
特に『猫の鈴』の指導者である、管理局に対する反逆者である剣乃征大に関する記録は、改竄されていないものを見つけること自体が困難だろう。
「ここに書いてある事って、どれくらい真実なんですか?」
「えっちゃんや合百の事はよくわかりません。だけど、あのカジキとの戦いと、こっちの世界に戻って来てからの事は概ね真実だと思います。何しろ私は、現場を見てますから」
「じゃあ、ひーちゃんは既婚者ってこと?」
「勿論ですよ! 仮面夫婦なんで、えろい事とかしてないですけどね!」
永遠の時を生きるヴァルダさんの細胞と、祖母のソラさんの研究によって、今だ二十代前半にしか見えないひーちゃん(御年六十三歳)は、剣乃の妻である洋子本人である。ただでさえ設定盛り過ぎの彼女に、『革命指導者の妻』という新たなネタが付け加えられた瞬間であった。
「そういえば、どうしてスナメリさんはこの小説に出てきてないのですか? まさか、全力さんに殴られたイルカが貴方ってことはないですよね?」
「現場にはちゃんと居たのだがね。切られた部分では大活躍だったのだが、残念で仕方ないよ。『猫の鈴』のジョン・ランボーといえばわしの事だったのだがね」
「まあ、爺さんが無双しても、マニアにしか受けませんし」
「そうか? ニーズがあるのに供給がない作品を作るべきだと、わしは思うがね」
スナメリがそういうと、ひーちゃんはおかしそうに笑った。
彼は当時でも五十代後半のはずだから無理もない。
「わしの名は、この小説のイルカから貰ったのだよ。なにしろ全力さんに一泡吹かせようとした、外海の英雄だからな」
「では、あの演説シーンは本当なんですね?」
「流石にだいぶ創作が入ってると思いますよ。でも、全力さんがイルカを嫌ってるのは本当です」
そう言って、ひーちゃんは再び笑った。二人がどれくらい本当のことを言ってるのか、僕にはわからない。
「剣乃さんが過去に実在したことが分かっただけでも、お二人から話を聞いた甲斐がありました。何しろ過去に関しては、何一つ確かなものが無い世の中ですからね」
「そうだな」
「この後の事を何か憶えてますか?」
僕はスナメリ老師に尋ねた。
「覚えとるよ。徒呂月の書状を確認した剣乃は、直ぐにユキの提案を受け入れた。全力党の人間は当然反対したが、仙台の党本部が落ちれば自分たちの処刑は確実だから、最終的に飲まざるを得なかった」
「なるほど。では、ヴァルダさんは?」
「最後に全員で『死者の書のしもべ』に向ったんです。全力さんがヴァルダを口説き落としました。『ボクが国家元首になったら、ヴァルダはそのご主人様やで!』っていって」
全力さんの言葉を、ヴァルダさんがどこまで本気にしたかは分からないが、彼女は体制が変わっても、共和国の御用商人としての地位が保証されることを条件として、米国との手打ちに同意したという。
「こうして、二一二二年の未来から全力さん爆弾のクローン装置が持ち込まれることが決定しました。そして、ユキのもたらした数々の未来技術(Future Technology brought by Yuki)は、その頭文字を取ってFT-Yと呼ばれるようになったんです」
「急造された全力さん爆弾の力は絶大じゃったよ。徒呂月の偽装した巧妙な撤退作戦によって、白石の地におびき寄せられた米軍の先鋒隊五万は、わずか三千発の全力さん爆弾によって、完膚なきまで叩きのめされたのだ」
共和国軍は二百万発の全力さん爆弾と共に東京に逆侵攻し、共和国内から米軍を完全に駆逐した。徒呂月は旧日本国政府の用人たちを全て逮捕し、今度は沖縄に追放することなく、全員を即日裁判で処刑したという。
全力党は解党し時空管理局となり、全力共和国・日本として再興された共和国は米国と停戦協定を結ぶことになる。こうして、後の世に『大祖国戦争』と呼ばれるようになった対米国戦は終わりを告げたのだった。
「三年後、日中露の発展的解消として、ヱスタシア連邦を成立させたユキは未来へと帰り、その後一切、音沙汰が無くなりました。ユキはFT-Y(未来技術)の軍事技術への転用を禁じていていましたが、研究は秘密裏に進められ、そこから派生したテクノロジーは裏糸(うらいと)という隠語で呼ばれるようになったんです」
「裏糸?」
「弾性糸とも呼ばれる原糸の事です。縫製用語で裏糸のことを、FTYと書くそうで」
「なるほど」
ユキがこの世界から消えた直後に、剣乃が時空管理局から離れた。FT-Yの軍事利用を知ったひーちゃんや、軍権を奪われた徒呂月もそれに準じた。そして彼らは地下に潜り、反管理局組織(半力さん)となって、時空管理局への抵抗活動を開始したのである。
「まあ、そこに関しては赤瀬川を攻めるのは酷かもしれん。いずれ我らは管理局を離れたはずだ。『猫の鈴』の人間は壊すのが仕事だからな。我々は権力を志向する者ではない」
僕は記録課の人間ではあるが、彼らに出会うまで『猫の鈴』の事は、殆ど何も知らなかった。今の管理局の正史では、令和維新は全力党と自衛隊の国軍化勢力が協力して起こしたことになっている。かつてはそこに徒呂月の名もあったが、処刑後はすべて抹消された。
「『猫の鈴』から表に出て、今でも管理局の中にいるのは、赤瀬川さんくらいですね。立場的に、私たちに直接会う訳には行かないから、貴方を介して我々に情報を伝えているのでしょう」
「そうですね……」
僕らは今、反管理局組織(半力さん)の一員として、令和維新に勝るとも劣らない計画を準備している。しかも、あの頃の『猫の鈴』よりも遥かに少ない人数で。頼りになるのは、『猫の鈴』の初期メンバーであり、全力さんの側近と言っても過言ではない赤瀬川さんだけだ。
『全力さん暗殺計画』
それがその、恐るべき計画の名前だった。大祖国戦争戦勝十五周年記念式典であいさつをする全力さんを、その場で爆殺しようというのである。
「あの……」
「なんですか?」
「年代が少し合わないと思うんですが、この小説の中の赤瀬川さんは、今の赤瀬川さんの父親か何かですか?」
「その通りだ。もっとも父親と言っても、血は繋がっておらんがね」
「そっちの赤瀬川はどうなったんですか?」
「大祖国戦争の時に死んだよ。センダイへの撤退戦の途中だった。まだユキが全力さん爆弾をもたらす前だったから、未来に絶望していたのかもしれんな」
全力党の地位は世襲ではないが、祖国の危機という事もあり、赤瀬川さんは義父の地位を暫定的に受け継いだのだという。兵站基地である船岡駐屯地に初めてユキが現れた時、彼は真っ先にユキの側に付いたそうだ。全力さん爆弾による大逆転勝利で、正式に幹部の座を手に入れた彼は、今では内務省のトップ官僚である。
「では、今の赤瀬川さんはこの小説の中の誰なのですか?」
僕は一番知りたいことを、スナメリに聞いてみた。
「その答えを、記録課の君はもう知っているんじゃないかね?」
そういって、スナメリは意味深に笑った。
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