第三十話「駆引き」
「一つだけ補足させてください、洋子さん。先ほど、全力さん爆弾は水に弱いと言いましたね」
「ええ」
「これには、開発者の思いが込められています。全力さん爆弾はあくまでも、自衛のための兵器なのです」
「全力さん爆弾は、他国への侵略には使えないと?」
「その通りです。無理やり飛行機に乗せたとしても、海を見た時点で自爆するでしょう」
あっちの世界では、全力さんは海が大好きだった。不思議なこともあるものだなぁと思ったが、全力さんは黙っていた。全力さんは全力さんなりに、大人になったのである。
「ところで『猫の鈴』のメンバーは、徒呂月を除いて、政府の要職には着いていませんね?」
「その通りです。指導者である剣乃ですら、名義を貸しているだけで、なんら政治的な権力は握っていません」
伊集院はそう答えた。『猫の鈴』の指導者である剣乃は、集産主義的無政府主義を掲げている。組織の目的は権力の破壊であって、それを奪取することではないのだ。
「理念に忠実に生きる。素晴らしい事です。我々の先人として誇らしく思います」
そう語るユキの瞳に、ウソはない気がした。
「しかしながら、真っ先に武力闘争を開始し、令和維新(クーデター)を成功させたのは、『猫の鈴』の働きであることは周知の事実です。旧政府の連中が復権したら、組織の人間は必ず全員粛清されます。内乱罪の時効はまだ成立していませんからね」
「全力党の連中も同じでしょう。僕だって怪しいものだ。何しろ、ヴァルダさんに手を貸して、共和国軍の兵站を担ってますからね」
伊集院は苦笑した。
「愛する女のために死ぬるなら、えーやんか。アケミはヴァルダに惚れとるんやろ?」
「死ぬのは別に構わないけど、あの人は涙すら流さないと思うよ。全力さんの方がよっぽど愛されているさ」
「そうかなあ……」
「そうさ。今だって、全力で挑めば何とかこなせるくらいの仕事を、カッキリ送ってくる」
全力さんは首を傾げた。ヴァルダは確かに厳しい主人だが、その奥底には、仲間を絶対に見捨てない暖かさがあるはずだ。
「でもね。いくら尽くしても、彼女が僕の事を歯牙にもかけないからこそ、僕はヴァルダさんの事が好きなんだよ。全力さんには少し難しいかもしれないけどね」
「世の中には、色んな愛の形があるんやなあ……」
全力さんには、伊集院の気持ちが良く分からなかった。何か問題が解決した訳でもない。だが、張り詰めた空気が少しだけ緩んだ気がした。
「洋子さん。ここまで来たら腹を割って話しましょう。『猫の鈴』の理念は、むしろ全力党を解党することでなされると、私は考えます」
「どういうことですか?」
「令和維新の時は民意が必要だった。だから組む必要があったけれども、彼らの政策は基本的にポピュリズムです。『猫の鈴』の理念とは相容れません」
全力党は、コロナショックに端を発する不穏な社会情勢の中、『月額三十万円のベーシックインカムと、消費税を除く全ての税金の廃止、富裕層及び大企業への財産税課税』を公約に掲げて、野党第一党にまで躍進した政党である。理念では国民の心を掴めないと考えた彼らは、その心を金で買収しようと考えたのだった。
だが、次の選挙で彼らが与党になったとしても、富裕層や大企業が国外脱出しては意味がない。頼みの経済が揺らぎ、米中の板挟みになった日本に残された時間は、もう残り少なかったのである。
彼らはその壁を、国家転覆(クーデター)により一気に乗り越えることを決意する。全力党は、『猫の鈴』の最大の支援者である赤瀬川や、自衛隊の国軍化を図る徒呂月と積極的に結びついた。そこにヴァルダが手を貸して、令和維新はなったのである。
「既得権益の破壊こそが『猫の鈴』の存在意義だったはずです。能力もないのに権力にしがみつこうとする人間は、すべて追放されねばならないと思いませんか?」
洋子がこの言葉に反駁できるはずがなかった。彼女は剣乃の同窓であり、戸籍上では彼の妻だからである。爆弾魔としての側面を隠すための偽装結婚で、夫婦としての実体はなかったが、それでも洋子は剣乃の事を尊敬していた。
「戦後のかじ取りをどうするかについては、まだ十分に考える時間があります。ですが、全力党は絶対に解党されるべきでしょう。貴女が『理念』に殉じる人間だというのなら、猶の事です」
「だから私は、最初から『棄権』だと言ってるじゃないですか。私は、貴方のシナリオ通りに事が運ぶのが嫌なだけです。ここには、ヴァルダもいませんしね」
「ヴァルダは、貴方の敵なのではないですか?」
「まさか……。彼女は私のご先祖様を救ってくれた恩人ですよ。ただ、ちょっと人使いが荒くて、金払いが悪いだけです」
『相変わらず、ブラックやんなあ……』と思ったが、全力さんは黙っていた。全力さんは全力さんなりに、大人になったのだ。
「貴方もヴァルダの動きが読めないからこそ、ここに来るまで姿を現さなかったのでしょう? 米国の打倒は絹猫戦争以来のヴァルダの宿願ですし、伊集院さんはヴァルダにべたぼれですからね」
「そこまで読まれては、仕方ありません。仰る通りです。流石はひーちゃんですね」
ユキは素直に洋子の言葉を認めて、お手上げのポーズをした。
「持ち上げたって駄目ですよ。ヴァルダの説得は、皆さんでやってくださいよ。これ以上、給料を下げられたら堪りませんから」
それを聞いた二人と一匹も笑い出した。
つられて洋子も笑ってしまう。交渉成立だ。
合意を形成した全力さんとその仲間たちは、最前線の白石蔵王で指揮を執る徒呂月の下に向かった。ユキは徒呂月に対し、全力さん爆弾の戦術兵器としての可能性を愚直に説いた。
「ユキとか言ったな?」
「はい」
「いいだろう。この爆弾は戦局を転換する重要な兵器になりうる。私は今、この前線を離れる訳には行かんが、剣乃への推薦状を書こう」
全力さん爆弾の戦術的な価値を認めた徒呂月は、ユキにそう言った。洋子の説得に成功したユキは、全力さんや伊集院アケミと共に、白石蔵王の前線へと向かったのである。
「ありがとなー。徒呂月。これで話が先に進むでー」
「剣乃や伊集院から話には聞いていたが、まさか本当に猫がしゃべるとはな。しかも同じ形をした爆弾が、この国を救うかも知れん。不思議な事だ……」
「全力さん爆弾を、徒呂月さんが適切に利用した場合、この白石蔵王決戦は98%の確率で共和国軍の勝利で終わります。頑張ってください」
「残りの2%は?」
「味方陣営内での全力さん爆弾の誤爆です。全力さんはメンヘラですから、取り扱いには十分気を付けてください」
「猫の扱い方など、俺は知らんぞ。伊集院、お前の方で何とかなるか?」
「大丈夫です。金さえあれば」
「何に使う?」
「ヴァルダさんに頼んで、大至急、猫使い(ネコラマンサー)を集めてもらいます」
猫使い(ネコラマンサー)とは、戦場において巧みに猫を使う者の総称である。絹猫戦争の最中に産まれ、敗戦後も自衛隊内部で密かにその技術が受け継がれてきた。民間にも猫好きのインフルエンサーを偽装して、その技術を継承している者が大勢いる。
「わかった。船岡の金を全部持っていけ。負ければどうせ紙屑だ」
徒呂月は吐き捨てるようにそう言った。
「米軍の先遣隊の到着は、いつごろになりそうですか?」
「早ければ三日以内に来るだろう。猫型爆弾は製造が完了次第、逐次前線に回してくれ」
「分かりました。最悪の場合、ちゅーるを大量投与すれば三日は持つはずです」
「念のため、そっちも用意しておいてもらおう」
伊集院にそう命じると、徒呂月は自分の机に着き、一筆をしたため始めた。党本部で指揮をとる剣乃に対し、全力さん爆弾の採用と党の解党を決議するように勧告する手紙だ。
「持っていけ。これを見せれば、少なくとも爆弾の採用には同意するはずだ」
「ありがとうございます」
「礼などいらん。俺は軍人として、勝つことを考えるのが仕事だ」
「これで、剣乃氏も支持に回るでしょう。徒呂月と剣乃が賛成すれば、全力党も同意せざるを得ません。党には軍を動かす権限がないですから」
仙台に向かう車の中で、後部座席のユキが皆にそう語り掛けた。
「確かにそうですね」
運転手の伊集院が答える。
「ちょっと待ってください。私は、あくまでも棄権ですよ。ヴァルダへの義理もありますからね」
反駁する洋子の膝の上に乗っている全力さんが、こう続けた。
「まあ、ヴァルダが最後の難関やろなあ……。全力党の事はともかく、アイツが米国との手打ちに納得するやろうか?」
世界制覇を目論むユダヤの長老たちは、マスコミを支配し、博打と宗教を使って大衆の骨抜きを企てていた。米国の背後にいる彼らを打倒するために帝国の側についていたヴァルダさんは、絹猫戦争の敗北で政府の御用商人としての地位を失ったのである。
投資の大半は焦げ付き、彼女は古書店の一店主として、雌伏の数十年間を余儀なくされた。令和維新では『猫の鈴』の側につき、御用商人としての立場は取り戻したが、米軍のメンツを立てた停戦に納得するかは定かではなかった。
「いえ。ここまで来れば、ヴァルダは我々の提案に賛成すると思いますよ。投資を焦げ付かせるのは、もうこりごりでしょうから」
「だと、ええけどなぁ……」
「それに、皆さんの同意さえあれば、これから先の事も建設的に話しあえるはずです」
後部座席のユキが最後にそういった。
その傍らには『人生を変える箱』が置かれていた。
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