第二十八話「全力さん爆弾」

「全力さんが、別の世界線に飛んでしまったのには、二つ理由があります。一つは、全力さんに為政者として覚醒してもらうためです」


 部屋に入ったユキは帽子を取りながら、そう切り出した。


「為政者?」

「ええ、詳しいことを申し上げる訳には行きませんが、全力さんは将来、この国の行く末を決める重要なポジションに着くことになります」

「英雄がなんちゃらっていう奴か」

「そうです。あの箱は本来、伝承者の願いが最も叶う世界線に時空移動するための装置なんです」

「ああ、全力さんが勝手に中に入っちゃったから……」

「そういう事です」


 ヴァルダさんは、常日頃から全力さんを「使えないなあ……」と思ってたし、全力さんは全力さんなりに、「もっとお役に立たねば!」と思っていた。その思いを箱が読み取ったという事だろう。


「全力さんの居た村は、この世界線にもありますが、厳密にいうと同じ村ではありません」

「というと?」

「例えば、あの少年はこの世界線にも存在しますが、アケミという名前ではありませんし、全力さんの事もまったく知らないんです」

「アケミ?」


 不思議に思った伊集院が、ユキにそう尋ねた。


「別の世界線で、全力さんの弟子となった少年の名前ですよ」

「向こうで世話になった人間に、名付け親になってくれって頼まれてな。それで、お前の名を貰うたんや」

「なるほどね」

「ところで、あっちの世界のアケミは、元気にしとるんか?」

「貴方の予想した通り、村一番の漁師になってますよ。合百はしてませんけどね」

「却って良かったかもしれんな。誰の弟子になったかは知らんが、アケミなら絶対に大丈夫や」


 全力さんは、少し寂しい気持ちになりながらもそう答えた。


「もう一つの理由は、私がこれから話す話を信じてもらうためです。私がいきなり現れても、こんな話は信じてもらえないでしょうしね」


 世界線というものは、全く別の世界が複数存在するのではなく、殆ど同じ世界が無数に存在し、時系列の違う他の世界線に対して、互いに影響を及ぼしあっている。


 時空管理局の役割は、この世界線同士の乖離を一定の範囲内に収めることである。


 ユキは時空管理局の目的をそう説明した。彼女が今、こうして現れたのも、この世界線をこのまま放置すると、他の全ての世界線に悪影響を与えかねないからだという。


「ある一つの世界線で、全力さんが人間として生まれ変わり、漁師して二十年の生活を送ったとしても、他の世界線にはそれほど影響は与えません。これは理解できますね?」

「はい」


 伊集院と洋子は、そう答えた。

 全力さんはちょっと不服そうだったが、黙っていた。


「ですが、ここで在日米軍が蜂起して、日本がアメリカの五十一番目の州になってしまう事には、非常に問題があります。これは絶対に防がねばなりません」

「世界線同士の乖離が、広がり過ぎるという事ですね?」

「その通りです。戦争や革命は、これから新たに生まれてくる世界線や、まだ二〇三〇年に達していない既存の世界線に多大な影響を与えます」


 ひーちゃんは、ユキの話をちゃんと理解しているようだ。

 伊集院と全力さんは、彼女が何を言ってるのかちっともわからない。


「しかもこの戦争は、今から約八年前に『猫の鈴』がクーデターを成功させたから起こっているものです」


『猫の鈴』のメンバーたちが蜂起し、日本国が全力党による一党独裁体制になった際も、これを阻止するべきか、管理局内部で相当な議論になったという。だが、『猫の鈴』の側に着いた全力党が国民の民意をそれなりに反映していることで、「関与しない」という結論に至ったのだという。



「新政府が、『旧政府の残した国内向け債務以外の全てを引き継ぐ』と宣言したことが決め手でした。それならば、絹猫戦争の敗戦時と同様、一部の財閥系企業と資産家が泣きを見るだけで済むからです」

「クーデターが阻止されるよりも、共和国政府になった方が、幾分マシだったという事ですね?」


 伊集院がユキにそう尋ねた。


「はい。革命を阻止した場合の未来を量子コンピューターでシミュレートしてみたのですが、日本円が紙くず同然になった後、米国もしくは中国に統合されてしまう未来がほとんどでした」

「それは暗い未来だ」


 伊集院は独り言ちた。


「私の居た世界線――つまり、今から九十二年後の世界の事をお教えするのは、あまり望ましい行為ではないのですが、少なくともこの国は独立を維持しています。絹猫戦争の敗戦時を除けば、他国の軍が上陸したことすらないのです」


「では、時間軸の先行する貴方がたの辿った歴史と、この世界線の出来事には、既に相当な相違が生じていると?」


 伊集院が尋ねた。


「その通りです。この齟齬が続くと、他の世界線にいかなる悪影響を与えるか分かりません。一刻も早く米軍は撃退しなければならない訳ですが、かといって貴方がたに核兵器や、最新のテクノロジーを渡すわけにもいかない」


 ユキはそう言って、自分の足元を指さした。


「そこで連れて来たのが、この全力さん爆弾です」


 三匹の爆弾猫は、既にそこらに寝転がったり、遊びまわったり、窓際で居眠りをしたりしている。


「あの……。ただのダメ猫にしか見えないんですが」

「ダメ猫ですよ。お腹の中に超高性能の爆弾が入ってる事を除けばね」


「お腹の中に爆弾が!」


 全力はすかさずチャー研のボケをかましたが、誰にも気づいてもらえなかった。ユキはプルプルと震えている全力さんを気にも留めずに、爆弾の説明をはじめる。


 この爆弾は最低限度のコミュニケーション能力を持ち、首輪になってる安全装置(デブ猫だから見えない)を外すと、星条旗のみならず、アメリカ国籍を示す全ての意匠に向かって突撃し、自爆するのだそうだ。


「全力さん爆弾は、強烈な破壊力を持っています。これを上回る威力を持つ戦術兵器は、核砲弾以外には存在しません。どんなに強力な陣地であろうと、直撃すれば全壊です」


「しかし弱点もあります」

「何ですか?」

「全力さん爆弾は基本的に猫なので、適度にかまってあげないとメンヘラ化して自爆します。あと、水に弱いです。水に落ちると、やっぱり自爆します」

「どうしてそんな(スカタンな)仕様なんですか?」



「ベースが全力さんだからに決まってるじゃないですか」


 ユキは、さも当然と言わんばかりにそう答えた。二一二二年の未来では、全力さん爆弾は皆、全力さんの細胞をもとに、クローン装置で作られているらしい。


「意義あり! 意義あり! ボクはむこうの世界で三年間も孤独に耐えたんやで。ちいと頭はおかしくなったけど!」

「それは人間だった時の事でしょう? 今の全力さんなら、三日と持ちませんよ。持ちますか?」

「持たんかもしれん……」


 全力さんはあの魚と戦いながら、辛さのあまりアケミの幻影とお話してた自分を思い出していた。猫の身に戻った今なら猶更だろう。


「少し真面目な話をしましょう。全力さんはダメ猫ですが、他の誰にもなしえない稀有な特質を一個持っています。それは、徒呂月を除く『猫の鈴』のメンバー全員に愛されているという事です」

「そうですね」


 伊集院がそう答えた。全力さんが居なくなって、もっとも悲しんでいた人間は、契約者のヴァルダでも、相方の洋子(ひーちゃん)でもなく、この伊集院である。全力さんもその事を知っていたからこそ、少年に彼の名前を受け継がせたのだ。


「全力党の中にも優秀な人間はいますが、暴力を行使できるのは、剣乃征大引きいる『猫の鈴』のメンバーだけです。まずはここを抑えなければなりません」

「そのために、ユキさんはここに来たと?」

「はい。我々が関与しなければ、共和国軍は必ず負けます」


 白石蔵王で米軍の先遣隊を撃滅したとしても、共和国軍に兵士の補充はない。米軍が物量にものを言わせれば、敗北は必至だった。

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